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タイムスリップ(3)

 目を開けると、天井が目に入った。茶色い木目の天井は、明らかに自分の家ではない。  ここはどこだろう。何で俺は他人の家に……?  即座に状況が掴めなかった。 「おっ、起きたか」  男の声がしたのでビクッとして見ると、短髪の青年がいて、俺の様子をうかがっていた。そいつが手を伸ばし、俺の額に手を置く。 「うん、熱は下がってきたみたいだな。良かった。気分はどうだ?悪いか?」  ジッと見てくる青年の顔に、どこか見覚えがあった。精悍な顔つき。ガッシリした体型、日焼けした肌。スポーツ選手とか?……いや、もっと身近な存在……。  もやがかかったように思い出せず、俺は気を取り直して首を振った。 「あの、あなたは……。俺、どうしてここに……」  起き上がろうとするも、青年に肩をそっと戻されてしまう。 「まだ寝てろ。このアパートの玄関前で倒れてたんだ。覚えてるか?」 「あっ……」  もちろん覚えてる。  ……やっぱり、夢じゃないんだ。今の俺にはこれが現実。地獄経由で昔にタイムスリップしてしまった。しばらく帰れない。  男のくせにジワッと涙が滲んできて、慌てて指で拭った。 「どうした?具合悪いか?救急車呼ぶか?」 「いえっ、平気です、すいません……。目にゴミが入ったみたいで」  わざとらしい嘘をついて誤魔化すが、青年は「あ、すまん」と何故か謝った。 「部屋きたねーから埃舞ってんのかも。あ、言っとくけど布団は綺麗だからな!」 「え、あ、はい」  寝たまま首を動かすと、確かに足の踏み場がなさそうなほど散らかって見える。  サッと青年が視界に割って入ってきた。 「あんまジロジロ見んなって。それより、ここのアパートの住人に知り合いでもいるのか?」 「……いいえ……」  知り合いなんて一人もいない。それよりこれからどうやって暮らしていけばいいのか……。 「家はどこだ?近いのか?」 「いいえ……」 「どこか行こうとしてたのか?」 「いいえ……」  どこにも行くあてなんてない。不安がどんどん膨らみ、両手で目を押さえた。 「……っ、すいません、なんか情緒不安定で」  声が震えた。  青年は俺を安心させるように掛け布団をポンポンと叩いた。 「いいって。しばらく休んでいけ。まだ雨も降ってるしさ」 「ありがとうございます……」  孤独で不安な中の暖かい言葉。ホッとして余計に泣けてきた。  いつの間にか再び眠りに落ちていて、次に目が覚めた時は夜になっていた。 「起きたな。おはよ」 「おはようごさいます……」 「なんて、もう夜だけどな」  クスッと笑われた。 「腹減ってないか?病人用の食事なんて用意出来ねえけどさ。どれか食う?」  と、スーパーの買い物袋を横に置かれた。 「あ、はい……」  さすがに腹が減った。こういうところも、やっぱり現実なんだと思い知らされる。  腹が減るし、トイレにも行きたくなる。 「あ、あの、トイレ借りたいんですけど」  急に尿意が襲ってきた。しばらく行ってなかったから当然だろう。 「便所ならここ出て右の奥だ。共用便所だから」  どうやらここは、風呂なし・トイレ共用のアパートらしい。昔のドラマとかマンガでは見たことある。床がギシギシ鳴るし、トイレは和式。夜だから薄暗くて怖い。  半ば小走りで部屋に戻った。 「ほら、選べ。こんなんしかないけど」  青年が出してくれたのはインスタントラーメン。  袋の中を見ると、同じようなインスタントラーメンがたくさん入っていた。 「いつも夜ご飯ってこういうのなんですか?」  鍋を火にかけてる青年の背中に問いかけた。 「夜どころか朝も、休みは昼も、だな」 「栄養偏りませんか?」  青年は笑いながらインスタントラーメンの袋を開けた。 「お前、オカンみたいだな!若いのにさ。……つーか、お前いくつだ?」 「17ですけど」 「なんだ、同い年だ」  青年はニッと笑った。 「それなら敬語やめろよ。てっきり年下かと思ったぜ。高2か?高校どこ?近いのか?」  俺はインスタントラーメンの袋を握りしめた。なんて答えればいいんだろう。正直に答えてもいいのか……? 「……さく高です」 「うわ!めっちゃ近所じゃん!俺は柏。知ってる?」 「はい……」  その高校も比較的近所だ。でも、確か数年前に他の高校に吸収される形で統合してしまった。  複雑な気持ちになって口をつぐんだ。  一瞬の沈黙。 「……柏なんてバカ高かよって思ってるだろ?」  ハッとして見ると、青年は口を尖らせていた。 「どーせ優秀な桜丘サマとは違うさ」 「違っ!そんなこと思ってないですっ」 「ほらその敬語!そういうとこが下に見てんのかって話!」 「あっ、すいませ、じゃなかった、ごめん」 「あと言うことは?」 「あと?……あ、あの、助けてくれてありがとう。感謝してる」  そうだ。まずは最初に言うべきことをすっかり忘れていた。深々と頭を下げた。 「別に礼なんて言う必要ねーよ。当然のことしただけだし」 「でも、ホントに、助けてもらえなかったらそのまま死んでたよ。ありがとう」  今度は天国に行けるのかな?そしたらそこの誰かが元の年代に戻してくれないだろうか?  試したいけど試すのは怖い。  目の前の青年は照れたように顔を掻いた。 「……大袈裟だな!そういう話したいんじゃないんだって。名前は?お前の名前!」  あ、そうだ。名乗ってなかった。 「ごめん、瀬谷陽翔(ハルト)、です」  軽く頭を下げた。 「はると?変わった名前だな。どんな字書くんだ?」 「太陽の陽に、飛翔の翔」  陽は母親の名前『陽子』から、翔は父親の名前『(カケル)』から組み合わせたらしい。 「ああ、翔ってこういう字?」  青年が空に字を描いた。俺は頷く。 「そうそう」  青年はニカッと歯を見せて笑った。 「なら俺と同じ字だ。俺は(カケル)だ。宮田翔」 「えっ?宮田翔!?」  俺は耳を疑った。父親と同姓同名だから。俺が物心つく前に病気で亡くなった父親。  そんな偶然はあるんだろうか? 「あ、あの、みやっ、か、翔サン?生年月日なに!?」  思わずテンパってしまう。 「うん?昭和34年4月10日だけど?」 「えーっ!?」  ドン!と胸を殴られたような衝撃があった。心臓がバクバク言ってる。  まさか、父さん……!?  この青年の顔に『どこか見覚えがある』……そう思った自分の中のピースがカチッと嵌まった音がした。  写真だ、父さんの写真!!  いつも見てる遺影の写真は病気で痩せた姿だったが、前に母親が見せてくれた元気だった頃や若い頃の父親の写真では日に焼けた精悍な顔つきをしていた。  父親と母親は年の差婚で、長いこと独身だった父親が母親に一目惚れして結婚したとか。でも、病気で亡くなってしまった。  俺も幼少の頃は『宮田』姓だったが、若くして未亡人になった母親を心配した親戚の勧めで色々と手続きを経て母親と共に、母親の旧姓の『瀬谷』になった。 「……っ」  言葉もなく呆然としてしまう。  目の前にいるのが父さん……? 「な、な、なんだよその顔。そんなに驚くようなことか!?」  かなり引かれてる。 「いや、でも、だって……!」  だってあんた俺の父さんなんだよ!?……なんて言ったら頭おかしい奴って思われるかも。  名前と生年月日が一致して、写真が似てるってだけで、DNA鑑定したわけじゃないし。もしかしたら、もしかしたら!他人の空似かも。 「だって、何?」 「いや、ごめん、なんでもない」 「ずりーよ!一人で盛り上がっておいて『なんでもない』?そんなわけねえだろ!」 「あははは、勘違いだった!ごめーん」  乾いた笑いで誤魔化す。 「勝手に驚いて勝手に勘違いって……」  その時、鍋の湯が沸騰して蓋がカタカタいった。  翔サンは不服そうな顔をしてたけど、それ以上は聞いてこなかった。  インスタントラーメンが出来上がるのを待ってる間、翔サンがテレビのスイッチを入れた。  昔あったブラウン管テレビってやつだ。ガチャガチャとダイヤルを回してる。これは…チャンネルを変えてる?  リモコンは無いみたい。  画面が小さいし全体的に丸っこい。電源が入っても音がするだけで画面が出てない。 「これってラジオ?」  思わず聞いてしまった。 「はっ?バカにすんなよ。見てろ……」  バン!  翔サンがテレビの上に手刀を入れた。  パッと映るテレビ。 「だいぶ古いからたまに映んないことあんだよ。叩けば直るけどな!」 「すごい!もう一回叩くとまた消える?」  手刀を真似しようとするも、「やめてくれ、マジで壊れるから」と翔サンに止められた。 「さて、銭湯行くけど、お前も行く?」  夕飯を食べ終え腹が落ち着いた後、翔サンがそう切り出した。 「せ、銭湯……」  体は洗いたいけど、俺は銭湯や温泉とか、大衆浴場は嫌いだ。首を振った。 「や、やめとく。まだ体調イマイチだし」 「そうか。そうだよな。じゃあ俺行ってくるけど大丈夫か?」 「うん。あ、タオル借りれる?体拭くだけはしときたいから」  と、タオルを借りてから翔サンを見送った。  濡らしたタオルで体を拭いて、しばらくテレビを見ていると翔サンが帰ってきた。 「いい湯だったぜ。お前も体調早くよくなるといいな」 「うん」  でも、銭湯は絶対に行きたくない。 「で、夜中だけど、そろそろ家に帰るか?」  突然翔サンがそんなことを切り出した。 「えっ……?」 「雨もだいぶ弱くなってたし、親も心配してるだろ?明日も学校だし。送ってってやるよ」 「やっ、でも……」  帰る場所なんてない。今放り出されたら、どこに行けばいい……? 「うん?何か都合悪いのか?……ははーん、もしや親と喧嘩でもしたか?それで家に帰りづらいとか」  どうしよう。そういうことにしておく? 「う、うん……」 「何で?勉強しろー!って怒られたとか?オヤジにひっぱたかれた?」  俺は首を振った。 「違う……」 「じゃあ何だ?教えて」 「か、母さんと喧嘩して……」  母さん、ごめん!と心の中で謝罪する。  俺と母さんは自分で言うのも照れ臭いが仲がいい。  体があんまり強くないのに毎日夜遅くまで働いていて、俺を大学まで行かせたいって、常日頃から言ってた。  俺はそれを支えたくて、母さんに料理をはじめとした家事全般を教えてもらった。  見た目も似てるって言われることがあるし、怒られることなんてほとんどない。  そんな母さんを悪者扱いするなんて、気が引ける。 「……っ」  俺は俯いて拳をギュッと握った。 「……んー、じゃあ泊まってくか?」  翔サンのその言葉に、俺はパッと顔を上げた。 「いいの!?」 「あ、ああ。夜中だしさ。今から帰って家に入れてもらえるかわからないだろ?一晩くらいなら構わねーよ」 「ありが、とう……」  一晩だけ。明日の夜からはどうしたらいいんだろう。他の親切な人に拾ってもらう?それとも住み込みで働けるところを探す?  身分証も何もない自分を雇ってくれる場所なんてあるんだろうか? 「なんだよ、そんな暗い顔すんなって!明日……つーかもう12時回ったから今日か。オカンと仲直り出来るといいな!」 「うん……」  明るく励ましてくれる翔サンと対称的に、俺は暗く頷いた。  翌朝。  翔サンが支度をする物音で目が覚めた。 「おはよう」 「うっす!朝メシまたその袋の中の食べてな」  翔サンは黒い学ランを着ている。  これを見るとやっぱり同い年なんだなってわかる。  バタバタと忙しなく動いていて、思わずジッと見てしまう。あ、ゴミに躓いた。ゴミを踏んで歩いてる。……片付ければいいのに。 「やべー遅刻しそうだけど、ちょっと来い!早く!」  急に呼び寄せられて慌てて駆け寄る。 「鍵はこれ。鍵かけたら、こっち」  と、外に誘導された。 「この郵便受けに入れといて。いいか!?」 「う、うん!」  頷いて見せると、肩をポンポンと叩かれた。 「じゃあ元気でな。オカンと仲直りしたらまた遊びに来い」 「うん……」 「そんな寂しそうな顔するなよ、じゃーな!」  カバンを肩に担いだ翔サンは風のように去っていった。  部屋の中に戻り、『朝メシ』の袋を覗く。  ……食欲が湧かない。  ふぅ、とため息をついて、部屋を見回した。  せめてものお礼に、部屋の片付けでもしていこうかな。  部屋の隅にあったゴミ袋にゴミを入れていった。足の踏み場もないくらい部屋を占めてたのはほとんどがゴミで、あとはマンガ雑誌、教科書、服。  それらを分別して片付けると、かなりスッキリとした部屋になった。  雑巾を見つけたので、細かいチリはそれで拭き取る。  テレビの上や画面も拭いた。テレビをつけると今回は一発で映った。心なしかテレビが喜んでいるように見える。  昼が過ぎ、日が傾き始めて。そろそろここを出ないといけないという焦りが募ってくる。  そろそろ翔サンが帰ってきて「まだいるのか」とか言われてしまう。  よろっと立ち上がった。なんか目眩がする。  ブレスレットの水晶は、1個分まで回復してる。来た時の状態に戻っただけ。  赤鬼・青鬼……早く迎えに来てくれよ……。  後ろ髪を引かれる思いで部屋から出た。鍵をかけて、翔サンに言われたとおりに郵便受けに鍵を投入する。  頑張ろう。きっとなんとかなる。 ──続く──

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