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タイムスリップ(4)

 ……そんなちっぽけな希望も虚しく、今夜泊まる場所すら確保出来そうになかった。 「住み込みで働ける場所ご存知ないですか?」  何人かにそう聞いたけど、みんな「知らない」と言うばかり。  本当に知らないのか、それともガキの俺の姿を怪しんで言ったのか。  段々とどこも店仕舞いしていき、道を歩く人も少なくなる。街灯は薄暗いし、足は疲れた。  食欲は無いのに腹が鳴ってる。  フラフラしながらたどり着いたのは、(カケル)サンのアパート。やっぱりここしか居場所は無い。  ……断られたら、もうどこにも……。公園暮らしかな。指先でブレスレットの水晶を転がした。そんな暮らしじゃ気力だって回復しないだろう。  外から翔サンの部屋の窓を見上げるが、明かりが点いてない。まさかもう寝てる?  怒られるのを覚悟でチャイムを鳴らすも出てきてくれない。  隣室から出てきた人に訊ねると、「まだ帰ってきてないんじゃないか」とのことだった。  いつも夜遅いらしい。学生なのに毎日のようにバイトしているみたいで偉い、と。  その人に断って廊下で待たせてもらうことにした。屋根があるだけありがたい。  腹をキュルキュル鳴らしながら、膝を抱えて座って待った。 「おい、陽翔(ハルト)」  肩を揺らされているのに気づいて目を開けると、翔サンが心配そうな顔で見ていた。 「あ……翔サン……ごめん、行くとこなくて」  慌てて立ち上がろうとしてふらつく。 「おっと」  翔サンが支えてくれた。そして俺の額に手を当てた。 「お前、また熱出てるだろ。体熱い」 「え……?」 「いいから入れ。なんだよ、部屋の中にいればいいのに」 「鍵、郵便受けに入れちゃったから……」 「ダイヤル錠かかってても、手突っ込めば取れるぜ。内緒だけど」  クスッと笑い声が聞こえた。  部屋に入って、「えっ……?」と翔サンが絶句した。 「ここ、俺んち?すげえ片づいてる!お前がやってくれたのか?」 「う、うん……」 「こんなに畳見えんの久しぶり!すっげー!」  ゴロンと翔サンが寝転がった。すごく嬉しそうに笑ってる。 「迷惑かなとも思ったけど、礼したくて……」 「なんだよ、いいのにそんなの。そうだ、今日も泊まってくか?」 「えっ、いいの?」  翔サンは寝返りを打ち、笑った。 「いいのも何も、そのつもりで待ってたんだろ。自分で『行くとこない』って言ってたじゃん」 「そうだけど……」 「オカンは?オカンとは話したのか?」  笑いを消して、心配そうに訊ねてくれる。  どう言ったらいいんだろう。 「か、母さんは……実は遠くに行っちゃって、簡単には会えなくて。い、家も、無くって……独りで、帰る場所なんてどこにも……っ」  ボロボロと涙が溢れる。情けない。本当に情けない。でも涙がとめどなく溢れて、俺は座り込んで泣きじゃくった。  翔サンは起き上がると、俺の頭を撫でてくれた。 「……でも手ぶらでうろつくとか普通あるか?お前、事件に巻き込まれてる?」  俺は強く首を振った。 「お前をかくまってて、俺があとで逮捕されたりする?」  再びブンブンと首を振る。頭を振りすぎてクラクラしてきた。 「平気……そういうのは、全然ないから」 「本当に?それに学校は?行かなきゃマズイだろ?」 「学校は、その、休学してる……」 「げっ!何やらかしたんだよ?休学って相当だろ」  言い方間違えたかな。確かに休学って印象悪いかも。 「なに、も……」  めまいで吐き気がしてきた。口を手で押さえる。 「どうした?」 「気持ち、悪い……っ」  喉の奥から何かがこみ上げてきた。止められない! 「うわっ、吐くな!……おい、大丈夫か?……陽翔、陽翔!」  翔サンの声が段々遠くなる。そして意識を失った。  額に冷たいものが置かれて目が覚めた。  ……タオルだ。水で冷やした濡れタオル。 「陽翔、気分はどうだ?」 「翔サン……」  声のほうに向くと、翔サンはバッと頭を下げた。 「熱あんのに無理させてすまんかった!休学っつっても、別に暴力沙汰とかじゃなくて、体調不良とか色々あるよな。ついウチの高校と同じ尺度で考えちまった!」  バカ高校と天下のサク高を一緒にすんなって話だよな、と翔サンは苦笑しながら言った。 「ううん、そんな……」 「それで、これ薬な。ホントは病院連れてったほうがいいと思うんだが……。うん、なんか色々訳ありみたいだからさ。だろ?」 「うん……ありがとう」  薬局の袋に入った真新しい薬の箱を手に取った。きっと俺のために買ってきてくれたんだろう。気遣いが嬉しい。 「あと、米!買ってきたぜー。薬局のおばちゃんにお粥の作り方聞いてきたから作ってやるな。お粥って炊飯器無くても作れるんだってな!てっきり米は炊飯器専用かと思ってたぜ。おばちゃんに聞いて目からウロコ!」  おどけたように言う翔サンは「ちょっと待っててな」と、鍋を取り出しお粥を作り始めた。 「……なんか、ゴメン……失敗した」  目の前にあるのは茶色いお粥。多分、火加減を間違ったんだろう。 「ありがと……」 「ただ米に水入れて煮ただけなんだぜ!?なんでこんな茶色くなるんだ?」 「そ、そうだね、火加減かな?いただきまーす」  スプーンですくって食べる。……うん、ちょっと焦げ臭い。 「マズいよな。ゴメン!やっぱ食わなくていいから!」 「ううん、美味しいよ。ありがとう」  味云々よりも、その優しさが嬉しいから。焦げ臭も味わいの一つって感じがする。自然と微笑みがわいてしまう。  翔サンが俺の顔をジッと見て、手を出した。 「スプーン、貸して。ちっとだけ食いたい」 「えっ、味見してないの?」 「したよ、マズかった!でもお前美味そうに食うからなんか違うのかなってさ」  やめといたほうが……と思いつつスプーンを渡した。  一口食べて、「うわ、マッズ!」と叫ぶ翔サン。 「マズいどころか味もねーし!焦げ臭さしかねえだろが!もう食わんでいい!」 「やだよ!勿体ないじゃん!」 「捨てていい!俺が許す!」 「ダメだよ!翔サンが許しても農家の人は許さないよ!」 「まぁたオカンみたいなこといっ……あ、ワリィ」  あの大泣きを思い出して母親の話はマズイと悟ってくれたのか、翔サンはバツの悪そうな顔をした。 「ううん、気を遣ってくれてありがとう。ホントにこれ、美味しいから。全部食べたい」 「……わかった。気分悪くなったら早く言えよ」 「うん」  そっとお粥を口に運んでいく俺を翔サンはずっと見ていた。 「それで、明日には帰るか?」  お粥を食べ終わったタイミングでそう聞かれた。 「えっ?」 「いや、さすがに家が無いっつーことは有り得ないだろ?たまには様子見に行ったほうがいいんじゃないか?それとも今日見てきた?」  首を振った。  ……やっぱり、ここにいたら迷惑なのだろう。当然だ。知らない人間を、しかも病弱で役に立たない俺を置いてくれるわけがない。 「……それとも、しばらくウチで生活するか?」  バッと顔を上げて翔サンを見た。  翔サンはハハッと笑い声を立てた。 「ずっと思ってたんだけどさ。お前、捨て犬みたいだな。ちょっと突き放すことを言うと、すげー悲しそうな顔すんの。そんで、嬉しい時は目がキラッキラする。今みたいに」 「なっ、からかったのか?」  ムッとして目を伏せた。 「ちょっと試しただけだ。もしここにいたかったら好きなだけいていいぜ」 「本当に……?」 「ククッ、その目!」 「バカにして……!」  拳を構えて翔サンのほうに身を乗り出した。ちょっと殴る振りでもしないと気が済まない!  拳はいとも簡単に掴まれ、そのまま体ごと布団に横たえられた。 「興奮するとまた熱上がるから。もう寝ろ」 「誰のせいで……っケホッコホッ」  思わずむせてしまった。 「ほら、言わんこっちゃない。お前の気の済むまでずーっとここにいていいからさ。安心しろ」 「うん……!」 「ふふっ、ふははっ」 「だから笑うな!」  翔サンは涙が出るほどツボったらしい。本当に失礼だ。 「だってさ、同い年だと思えないぜ。ダチにもこんなんいねーよ。小動物かってくらい可愛すぎるだろ」 「可愛いとか言うな!」  すごい屈辱。でも、これが『父親』に言われていると思った途端、スッと怒りが消えた。  物心つく前に亡くなってしまった父親と、こうして会話が出来る。こんなに嬉しいことがあるだろうか。もちろんDNA鑑定してないから、100%の確証は未だにないけど。  そう思ってたほうが気楽だし嬉しい。  たくさん思い出を作って、現代に帰りたい。……でもそしたらこの人は……。  死んじゃう。  心臓がズキッと痛んだ。  目の前で大笑いしてる、失礼だけど気のいい翔サンが、いずれ病気で死ぬ……?  悲しすぎて、布団を頭まで被った。 「おい、顔出さないと苦しくなるぞー」  翔サンの言葉に俺は「うん」としか答えられなかった。  死んでほしくないから、やっぱりこの人は父さんじゃないほうがいい。どうか、違いますように……! 「いやー、夕べは手足伸ばして寝れて極楽だったぜ。お前が片付けてくれたお陰だな」  朝、ニコニコしながら翔サンが言ってくれた。 「あ、あのさ。もし行けそうだったら、帰りにこれ買ってきてくれない?」  俺はさっき書いた買い物メモを差し出した。 「ん?玉葱・人参・鰹節・昆布・豆腐、それから……」  と、様々な食材を翔サンが読み上げていく。 「すっげー量だな」 「いや、無理にとは言わないから!」 「いいって。お安いご用だ。今日のバイトはそんな遅くなんねえと思うし。帰ったら銭湯行くか?」  うっ、と言葉に詰まってしまう。 「まだ体調イマイチだから……」 「そっか。まあ無理すんな。寝てていいから」  ブレスレットを見ると、2個目が赤くなっていた。確実に気力がたまってきてるし、今朝はすこぶる調子がいい。  何だか罪悪感を感じつつ翔サンを見送った。  暇なんだから、俺が買いに行けば良かったかも。でもなんとなく「お金貸して」とは言いづらくて。貸してもらえなかったら、信用されてないんだなってわかって、結構傷つくし……。  片付けた、とは言っても、昨日は目立つ中央部分を綺麗にしただけで、端のほうや家具の周辺にはまだ整理すべきところがある。  今日はそこを片付けようと思う。  すると、クシャクシャに丸められたテストの答案用紙を発見。 「うわ……」  と思わず声が出るほどお粗末な点数。これが父親だったらやっぱりショックかも。  あと、エロ本の数々を発見……!男だから仕方ないけど、これもショックだ!  開けていた窓から吹く風に煽られて、エロ本のページがパラパラとめくれ上がった。  そのページの女は大胆に股を開いたポーズで、胸も下半身も丸出し。 「……っ」  カーッと体温が上がったのがわかった。  やっぱあいつは父さんじゃない、絶対!! 「ただいまー」  夜になって、大量の食材を買い揃えて翔サンが帰ってきた。 「……おかえり」 「すっげー重かったんだけど!マジで!」 「ありがと。明日の朝食から作るからさ」  おおっ、と翔サンが目を見開いた。 「何作ってくれんの?」 「うーんと、ご飯と味噌汁と、目玉焼きとウィンナーと、あと野菜を付け合わせして……」 「すげー楽しみ!……つーか、お前なんか怒ってない?」 「別に?」 「別にって……」  と言いながら、翔サンは部屋を見回して「おおあ゛!」と声にならない声を上げて、例のブツがあった場所に飛んだ。 「お前、俺のオアシスを掘り返しただろ!?」 「片付けただけだよ」 「そこまでしなくたって……うわっ綺麗に並べてある!しかもあいうえお順かよ!?」 「探しやすいでしょ?」  本棚に整然と並べられたエロ本をなぞって、翔サンはガクッとうなだれた。 「男のロマンがわかってねーなぁ。お前ホントに男か?ちんこ付いてる?」  なんかムカッとくる言い方。 「は?付いてるし」 「こういうのは寝床のそばに置いてあるのがいいんだって!抜こうかなーつってわざわざ本棚行くか!?」 「知らないよ!本棚行けばいいじゃん!」  男ならエロ本くらいあって当然だって理解してやろうと思ってたのに、なんでいちいちムカつかせること言うかな!? 「お前、自分のエロ本も本棚に並べる派なのか!?」 「エロ本なんか持ってないし!」  俺がいたのはパソコンだってスマホだって見れる時代だ。わざわざエロ本なんて見つかるかもしれないリスクをおかすわけない。 「持ってないだと?どうやって抜いてんだよ!……まさか、抜いたことねえとか言わないよな……?」 「そんなん言う必要ない!」 「ははーん、ためてためて、夢精派か?お前、童貞っぽいもんなぁ」 「……!」  童貞で何が悪いんだ!清く正しく生きてきて何が悪い!  ……って言いたかったけど、翔サンの勝ち誇った表情に悔しさが募った。  クラスメートにも早い奴は中学の頃から彼女とか出来て脱童貞したのが何人かいた。何となく童貞=恥って風潮になってて。俺だって、その気になればすぐにでも……!  翔サンはバカにしたようにククッと笑う。 「お前、ちんこ剥けてる?童貞ちんこ、見てやろっか?」 「は、なに……?」 「剥くの手伝ってやるよ」  翔サンは俺のズボンに手を伸ばして引き下げようとした! ──続く──

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