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タイムスリップ(5)

「ちょ、ちょっと!やめろよ!」  必死でズボンを押さえる。 「見せろって!」 「やだ!バカ!!」  両手でズボンを押さえ、両足をバタつかせて蹴りを入れる。 「いてっ、大人しくしろっ!」 「触んな変態!」  足を押さえられて体を仰向けに畳の上に倒された。必死で暴れて逃れようとするけどビクともしない。  俺の上に跨がる形で(カケル)サンが座り見下ろした。 「お前さ、力で俺に敵うと思ってんの?」 「……っ!くっ!」  より一層強い力でズボンを下ろそうとする。  翔サンの体は俺より一回り以上大きいし、腕だって太い。 「その手、離せよ!」  左手を無理矢理外されてしまう。 「いや!嫌だ!!」  左手を掴まれたまま、がら空きになった左側と後ろ側から、脱がされかける。  右手が痛くて限界だ。でも死んでも離すもんか!  唾でもかけてやろうかと翔サンの顔を見ると、ちょうど目が合った。  お誂え向きに顔が近づいてくる。  ところが残念なことに口の中が乾いてて飛ばせるほど唾液が出ない。モタモタしてるうちに翔サンの顔が至近距離まで迫ってきてる。  ……え、でもなんかこれ、キスの角度じゃないか?  唇が、触れそうで……。 「な、なになになに!?」  と、その時。  ピンポンピンポンピンポン!と玄関チャイムが連打された。続いてドンドンドン!とドアを叩く音。 「ゲッ、やべ!」  翔サンは慌てて起き上がり、玄関に走る。  ドアを開けたと同時に「うるせーぞ!何時だと思ってんだ!」と男の怒号が聞こえた。 「すんません!静かにします!」 「ったく、最近の若い奴は時間感覚がおかしいんだ!だいたいなぁ……」  くどくどと説教される翔サンの姿に胸が少しスッとする。もっと怒られればいい!  俺はヨロヨロと起き上がった。  力を使いすぎて体中がダルい。両手は固くこわばっている。  今のうちに武器になるものを、と周りを見回した。そういえば片付けをした時に、バットが転がっていたのを思い出した。  それをそっと握った。  長い説教から解放された翔サンはドアを静かに閉めるとため息をついた。  そして俺に頭を下げた。 「すまん!なんかムラムラ、じゃなかった、ムカムカして止まんなくなっちまった。下のおっさんが来てくれてある意味助かったぜ。……もうしないから、バットは置こう、な?」 「……」  絶対信用出来ない!  ハァ、と再びため息をついて、翔サンは畳に座る。  俺は少しでも離れたくて部屋の隅に移動する。 「なんか、腹減ったな。ラーメン食い行く?」 「……」  は!?ラーメン!?なに言ってんだよバカじゃないか!?バカバカバカ!誰が行くか!  グーーーッ。  心の声とは裏腹に俺の腹からどでかい音が響いた。  翔サンがプッと笑った。 「腹のほうが正直だな。行こ」 「……」  言葉を発したくないくらいムカついてるけど、食べに行くことにした。  アパートを出てしばらく歩き、駅にたどり着いた。  駅舎の屋根に書いてある駅名に、ここが現代で俺がよく利用している最寄駅だとわかった。  すごい古いというか、素朴というか……現代では駅ビルになっているけど、昔の駅ってこんなに何も無かったんだ……!  妙に感動して、立ち止まるとじっくり眺めてしまう。 「陽翔(ハルト)、どうした?こっちだ」 「うん……」  翔サンに呼ばれて振り返ると、その駅前の片隅に赤いのれんと提灯のかかった屋台があった。  近づくと美味しそうなスープの匂いがする。 「おっちゃーん、お邪魔ー」 「おう、来たか」 「いつもの、2つね!」  翔サンはここの常連なのか、フランクにラーメン屋台のおじさんと会話している。 「おおっ、翔じゃねーか、久々だなぁ!」  先客の、同じく常連らしきスーツ姿のおじさんが翔サンに声をかけた。 「あ!早川のおっちゃん!すげー、俺タイミング良すぎねえ?おっちゃんに会いたかったんだよ!」  オーバーリアクション気味にスーツのおじさんに話しかけてる。  おじさんも満更じゃない様子で、翔サンの背中を叩いた。 「お前、相変わらず口うめーなぁ!またたかろうって魂胆だな?」 「いや、そんなつもりは……あるけど。ははっ!コイツと俺の、2人分ね!」  揃って椅子に座る俺を背中を反らして覗き見るおじさん。 「んー?」  俺はちょっと居心地悪い気分で、一応おじさんにペコリと会釈した。 「なんだぁ?弟か?お前、弟なんていたのか」 「ちげーよ。居候。つーか、ダチ?同い年だし。なっ?」 「う、うん」  突然振られたので、頷くことしか出来ない。 「あいよ、お待ち」  神業のような速さでラーメンが出てきた。 「いただきます」  揃って手を合わせ、食べ始めた。  熱々のスープに息を吹きかけて飲んでみる。  ……美味しい。  麺を一本摘まんでまた息を吹きかけ、ツルツルッと口に入れる。  麺のコシ、スープとの絡み、そして喉ごし。全てが好みで。ホッと息を吐きながら思わず「美味しい」と呟いた。 「だろ?美味いだろ?」  まるで自分が作ったみたいなドヤ顔の翔サン。それが可笑しいのとラーメンの美味しさが相まって、笑みが零れてしまう。 「うん!」  俺の機嫌が思いのほか簡単に直ったからかわからないけど、翔サンは俺の顔を凝視した。  俺は引き続きラーメンを食べ続けるけど、何故かその様子をガン見されてて、視線が気になって仕方ない。  とうとう我慢出来ず、「なに?」と聞いてみた。  翔サンは慌てて自分のラーメンに向き直った。 「いや、別に、なんつーか、急に……何でもない!気にすんな」 「なんだよ、気になる」 「ああ、そうそう、お前、ラーメンっつーのはさ、お上品に麺1本ずつすするんじゃねーんだよ。こうやって、ガバッと!」  ズルズルと豪快に麺をすすって見せてくれた。 「このほうがもっとうめぇぞ」 「だな!ズルッといけや!」  スーツのおじさんが畳み掛ける。  言われたとおりにガバッと麺を掴み、口に向けた。 「あちっ」  ……フーフー息を吹きかけた。 「お前、猫舌?熱々なのを一気に口入れんのがうめーのに」 「うるさい」 「はっは!怒られてやんの!」  スーツのおじさんがはやし立てた。  たくさん頬張ると、確かに口中にラーメンのスープの味が広がるし、麺の弾力がより感じられて美味しい。 「美味しいです!」  店主のおじさんに向かって言うと、おじさんは「そうか」と嬉しそうに口を歪ませた。  翔サンと二人でズルズルと麺を吸う。  スーツのおじさんが「よっしゃ!」と言った。 「いい食べっぷりの二人に、熱燗もやってくれや」 「あいよ」 「やりい!おっちゃん最高!」  翔サンは大喜びしてるけど、熱燗って酒……じゃないのか?  程なくしてゴトッと置かれたコップ。透明な液体から薄く湯気が上がっている。 「いっただっきまーす!」  翔サンは躊躇することなくグイッと口に含む。 「うめー!」  俺は注意深く液体の匂いを嗅いで、むせた。やっぱり酒じゃん!! 「これ酒だけど?」  翔サンに言うも、「だから?」と問い返された。 「み、未成年は飲んじゃ駄目なんじゃ……」  グイグイ飲んでる翔サンを見てると、こっちが間違ってるんじゃないかという気になる。  この時代は飲んでも平気なのか? 「堅いことはいいっこなし!単なるお湯だ!」 「そうだぞ!厚意は素直に受け取れ坊主!」  ガハハハと笑うスーツのおじさん。  いいのかなぁ、と思いつつ一口飲み込んだ。  うん、やっぱり酒だ。鼻を抜ける独特な香りと味。喉がカッと温まる。 「お、いける口か?」  嬉しそうに顔を覗かせるおじさん。 「どうだ?うめーだろ?」  そう言ってゴクッと喉を鳴らして酒を飲む翔サン。 「うーん、酒って感じ」 「なんだそりゃ!」  ガクッとする翔サンとおじさん。  その時。 「あーれー!?かけるん!?」  と甲高い声がした。 「ん?」  振り向くと、声の主と思しきちょっとケバめな女性と、白髪頭のおじさんがのれんの隙間から覗いていた。 「うわ!坂本さんとユーコさんじゃないっすか!」 「やーん!久しぶりだね、かけるん!元気してた?」  翔サンに抱きつかん勢いで女性が寄ってきた。 「元気っすよ!二人も元気そうで!」  翔サンと女性は、片手でハイタッチからの、指を絡ませてる。  ……なんかすごいムッとした。あんたには母さんがいるだろうが!何イチャイチャしてんだ!?  そのままその女は翔サンの隣に座った。  スーツのおじさんがヨイショ、と立ち上がった。 「そいじゃ、俺はそろそろお暇すっかな、お勘定な!ガキどものも入れて……あとここのみんなに熱燗一杯ずつな!ガキどもにもおかわりやってくれ!」 「あいよ!」 「わーい!サンキュー!」 「きゃーん、男前!」  翔サンと女は大袈裟に歓声を上げている。  それを横目に、俺はゴクゴクと酒を飲み干した。  ……酒って全然酔えないものなのか。本当にこれ酒かぁ?  トンッと店主のおじさんが熱燗のコップをもう一杯出してくれた。 「……あんまり無理して飲むなよ」  気遣いはありがたいけど、これ全っ然酔わないから。心配無用だ。  ……それにしても、翔サンと女のベタベタっぷりはホントムカつく。  すごい盛り上がってて何話してるのかもサッパリだし。  この人、やっぱり俺の父親じゃないんじゃ……?  チャリ……と、腕のブレスレットが鳴った。1、2、3、4……水晶の数を数える。  ……24。  24個中、4個が赤くなってる、ということは……? 「2日で4個ってことは、全部赤くなるのはあと何日待てばいい?」  コソッと店主のおじさんに聞いてみた。 「あ?なんだって?」 「だから、2日……あれ?ここに来て3日だっけ?」  酒……じゃなくて、酒の匂いと味がするお湯っぽいものをゴクゴク飲む。  まぁとにかくあと数日で帰れるから、この隣でヘラヘラしてる男の髪の毛の一本でも持って帰ってDNA鑑定してもらおうかな?  とゆーか、ここで出来ればいいんだけど。  俺はおじさんにまたコソッと聞いた。 「おじさんおじさん、DNA鑑定出来るとこ知ってる?」 「いーえぬ?なんだそりゃ」 「でぃーえぬえー、だよ……あふぁ」  すごく眠くなってきた。  ……そこで記憶が一旦途切れて。  次に気が付いた時、俺はフワフワと揺れる暖かい乗り物の上にいた。  運転手にブレスレットについて力説してる。 「だからぁ!これがぜーんぶ赤くなったら帰れるの!」 「へぇ、すげーじゃん。どうやって帰るんだ?」 「お迎えが来るんだよ。あかいのとあおいのが!」  鬼、なんて言ったら運転手が小便ちびっちゃうかもしれないからそれは内緒。 「赤と青か、へぇ」  気のない空返事。 「ちゃんと聞けって!」  運転手がちゃんと聞こえるように体を斜めにした。  途端に乗り物がグラッと揺れた。 「おいおい、ちゃんと掴まれ。……っしょっと」 「んんんー?」  よくよく見ると、俺が乗ってるのは翔サンの背中。負ぶわれているみたいだった。 「なんだ、かけるんかよぉ……」 「何だよその呼び方」  プッと吹き出す翔サン。  ゆらゆら揺れる暖かくて広い背中。心地よくてまた眠くなった。  ……次に気づいたのは、アパートに着いてからだった。  部屋に入って「うぉいしょっと!」という翔サンの掛け声と共に布団に寝かされた。  やっぱり布団で寝るのが一番だ。  のびのびと全身を伸ばし、安らいだ気分で寝ようとしたところで、口の中に違和感を感じた。 「やけど……ラーメン……」  そうだ、息は吹きかけたけど、結構熱かったから口の中がヒリヒリする。 「ん?どうした?」  近くから翔サンの声がした。 「うーん、口の中、ちょっと痛い。ラーメンでやけどしたっぽい……」 「どれ?見して」  俺は、あーんと大きく口を開けた。  眠くて半分うとうとしている俺の頬と顎に手を当て、翔サンが覗き込んだ。 「ん?どこ?」 「上あご……」  首を反らして見えるようにする。 「……舌、出して」 「あ?あー」  言われたとおりにベロッと舌を出した。  すると、舌の上にヌルッとした感触。ヌルヌルと撫でられる。 「……っ」  俺は息を飲み、口を閉じようとするが、そのままヌルヌルも入ってくる。  口元で揺れる暖かい空気の中に、酒が香る。 頬に触れる風。 「んっ……」  思いっきり唇を吸われ、舌が口の中を這い回ってる。……キスされてる。翔サンに。 「ん……?んぅ……っ」  火傷が痛いって言ってるのに、これは何だ?こんなんで治るわけないだろうが!  俺は両手でこぶしを握り、翔サンの頭をグリグリした。 「いって!!いってー!」  効果てきめんで、すぐに飛び退いてくれた。  俺は「きったねー!」とわざと大きめな声で言って、手の甲で口をゴシゴシ擦った。  舌も袖で拭く。ペッペッと、ホントに吐くわけじゃないけど唾を出す真似もする。 「きもい、きもーい……」  うわごとのように呟きながら、またキスされないように俯せになった。  また、眠気が。寝ちゃいけない、また口の中になんかされるかも。ダメだ、ダメ……── ──続く──

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