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タイムスリップ(6)

 コトンッという音で目が覚めた。  (カケル)サンが学ラン姿で慌ただしく歩き回ってる。  窓の外ではチュンチュンという雀の鳴き声がする。 「朝……?」 「ん?起きたか。はよっ」 「おはよ……いたっ、いたたた……」  起き上がった途端、頭がガンガンと痛む。  ハハッと翔サンの笑い声がした。 「二日酔いかぁ?ちょい待ち」  と言って、薬と水を用意してくれた。 「これ飲め」 「ありがと……」  ズキズキ痛む頭を押さえる。  そしてハッとした。朝飯!朝飯作ってない!! 「ごめん、朝飯!」  作るって約束したのに。食材もあんなに買ってもらったのに。 「いいって。寝てろ。もう行かなきゃなんねーし。それより昨日相当酔っ払ってたなーお前。どうやって帰ったか覚えてるか?」 「うーん……どうだっけ……」  頭が痛くて思考が回らない。  ──ゆらゆら揺れてて、暖かくて。  ホッと息を吐いて「そっか」と翔サンが言った。 「ま、思い出す必要ねえよ。次からは酒飲みすぎんなよ」 「うん……」  頷きつつも、ゆらゆらの記憶を思い起こしてした。  ……あ、そうだ、翔サンが負ぶって帰ってくれたんだ。 「あ、あのさ……」 「うおっ、マジ時間ねえ!行ってくる!」 「あ、うん。いってらっしゃい」  慌ただしく翔サンは出掛けていった。  礼、言おうと思ったのに。ま、帰ってきたら言おう。  頭痛が治まる気配がないため、薬を飲んだ。  部屋の片付けくらいしかやることなくて、すごく暇だ。  昼過ぎくらいから、夕飯作りを開始してしまった。今朝作れなかったし、おかずを色々作って翔サンをビックリさせてやろう。  鍋の数が少ないから、極力、下ごしらえを先にしておき、まずは冷めても大丈夫なものから作り始めた。  作って、鍋洗って、作って、鍋洗って。  ご飯と味噌汁はやっぱり熱々なのを食べてもらいたいから最後かな。  電子レンジがあればホント楽なのに。  夕方が過ぎ、夜になり。おかずはとっくに出来上がってるけど、ご飯はいつ炊き始めるか迷う。  炊飯器が無いから、鍋で炊くんだが……まあ、しっかり水に浸けてあるから20分くらいで炊き上げられると思うけど、帰ってきてから炊き始めて、炊き立て食べてもらいたいな。  でも待たせると腹減りすぎて怒るかな。  ……時計は夜9時を回った。  遅い。今日のバイトは遅くまでかかるやつだったのかな。今朝聞いとけば良かった。  起きるの遅かったし、翔サンバタバタしてたから。  こういう時スマホが無いと本当に不便だ。 「ん?この人、あの人?すげー若い!」  俺の時代には総白髪の俳優が、今見てるドラマでは黒々とした髪に若々しい姿で生き生きと演技してる。 「あ、こっちの女優はこの前亡くなったってニュースになってた人じゃ……わっかーい!」  と、まあ一人で盛り上がってみる。……虚しい。  気付けばもう10時。  グゥゥ……と腹は鳴るけど、食欲はわかない。一緒に食べたいし。  でも、食べちゃおうかなと思い始めた11時。  無意識に舌で口の中をなぞって、上あごに薄皮が浮いているのに気付いた。  あ、昨日ラーメン食べて火傷したんだった。意外と治りが早いかも。  ……火傷……。  フッと、舌で受けた感触を思い出した。ヌルヌルしてて柔らかくて……。 「あっ……!」  ゆうべ、翔サンに舌入れられた!?  舌と舌が合わさって、それから唇が重なり口の中を舌で……!  おぼろげではあるけど、生々しかった。絶対に夢じゃない。  カッと顔が熱くなる。  なんで……!?  その思考を遮るように、カチャ、と玄関の鍵を開ける音がした。ビクッとして凝視する。  妙にゆっくりと開くドア。翔サンらしからぬドアの動きに、誰か違う人が入ってくるのかとドキドキしてしまう。  でもやっぱりそれは翔サンで。ソーッと入ってきて、俺と目が合うとギクッとした顔をした。 「……まだ起きてたんだ」 「起きてるよ、まだ11時だし」  ムスッとしてしまう。 「そーだよな、って……!メシ、作ってくれたのか!?」  翔サンは驚きの表情で固まってる。 「あ……でもワリィ、食ってきちゃってさ……」 「そっか、わかった」  捨てよう。  俺はおかずを大皿にひとまとめにする。 「ちょっ、待てよ、何する気だ?」 「捨てるんだ。朝まで保たないから」  皿を流しに持っていこうと持ち上げるも、翔サンに止められてしまう。 「大丈夫だって!勿体ないだろうが!」 「乾いて固くなっちゃうし、変質して痛むし。……もう美味しくないし」  って言ってるのに、皿をちゃぶ台に戻された。 「……わかった、食う」 「えっ?」 「今食う」 「腹いっぱいでしょ?」  翔サンはニッと笑った。 「平気平気。まだ余裕だし。ほれ、お前も座れ。まだお前も食ってないんだろ?一緒に食お」 「うん……でも……混ざっちゃって不味そうに……」  グチャッと重なってしまった料理。自業自得とはいえ、折角作ったのに何てことしちゃったんだろう……。 「ううん。すげー美味そうだよ。そんじゃ、いただきまーす」 「……はい」  こんなのが美味そうなんて、目がおかしいのか?……変な奴。 「うっめ!すげーうめぇ!」 「大袈裟だよ」  グチャグチャ料理を一口食べては誉めてくれる翔サン。 「この魚なに?すげーいい味付け」 「味噌煮だよ。サバの味噌煮」 「味噌煮かぁ。好きになったぜ、サバ。それに味噌汁がこれまたうめぇ!」  おかずは冷え冷えだが、唯一味噌汁は鍋で温め直せた。 「ご飯炊き上がるのにあと10分くらいかかるけど、食べれる?」 「ああ、食える食えるく……げふ」 「……無理しなくていいよ」 「食えるって!」  結局、炊き上がったご飯も食べてくれたし、おかずの大半も翔サンが平らげてくれた。 「ふぃー食った食った」  翔サンは大の字になって寝転がってる。 「さすがに食べ過ぎだよ。腹痛くなるよ、絶対」 「平気。俺、消化早いから。……つーかお前はもっと食えよ。チビチビチビチビ、小鳥か!って思ったぜ」 「大きなお世話だよ」 「ラーメン食った時もそうだったけど、お前は基本的に食い方がちいせーんだよな。だから時間かかって腹いっぱいになって小食になる。だから細っこくてちいせーんだ」 「……!いいじゃん!別に。あんたに関係ない」  俺は食器を重ね、流しに持って行った。  平均よりもチビなの気にしてるのに! 「もう片付けんの?ゆっくりすればいいのに」 「早めに食器洗わないとこびり付くから」  後ろでヨイショという声がした。 「俺も手伝う」  隣に立つ翔サン。 「いいよ。少ないからすぐ終わるし。消化に集中して……」  って言ってるのに「いいからいいから」と翔サンはスポンジに洗剤を付けた。 「二人でやったほうが早く終わるだろ?」 「じゃあ、俺がそれやるから、翔サンは洗い流してくれる?」 「りょーかい」  狭い流しだから、ちょいちょい腕がぶつかる。 「ほい、次」 「はい」  チャッチャと流して水切りカゴに置く翔サン。 「ちゃんと泡落ちてる?もっと丁寧に洗い流しなよ」 「落ちてる落ちてる」 「あっ、泡!」  鍋の取っ手に残る泡を見つけた。 「やべ。見つかったか」 「見つかったか、じゃないよもー」  呆れ顔で横を見ると、翔サンが俺の顔を見て「あっ」と言った。 「なに?」 「お前、口の横になんか付いてる。茶色いの」 「茶色?なに?あ、手が泡で」  不自由だ。腕なら何とか……。 「取ってやるよ。顔こっち向けて」 「うん……」  タオルで拭いた手で翔サンは俺の口の横に触れた。 「結構こびり付いてんな。味噌煮の味噌かな」 「えぇ……?」  俺はガキか。結構恥ずかしい。  翔サンはそれをしばらく擦ってから、その指が顎に触れた。 「お前、結構歯並びいいんだな」 「そう?」 「お前いいとこの坊ちゃんなのか?」 「普通だよ」 「虫歯はある?」 「うーん、無いと思うけど」 「見てやろうか」  ドキッとした。ブワッと、あの時の舌の感触が蘇る。 「いい!いらない!」  正面に向き直り、洗い物の続きをする。手が見えなくなるくらいいっぱい泡立てて……。  ジッと見てくる翔サン。  見るな!見るなよ! 「耳まで真っ赤だな。どうした?」  頬から耳を辿られ、耳たぶを掴まれた。 「やっ!触るな!」  バッと手を払うと、泡が翔サンに飛んだ。 「うわ、つめてっ!」  翔サンの頭から顔、服まで大量の泡が……。 「お前なぁ……」 「ご、ごめん!」  手を洗い、翔サンにベッタリ付いた泡を慌てて拭き取る。  あらかた手で取って、あとはタオルで拭く。 「口が不味ぃ。目もいてぇし」 「うがいして、うがい!目も洗って!」 「目、赤くなってねえ?」 「早く洗いなよ!」 「見て」  仕方なく翔サンの顔を見上げて瞳を覗き見る。 「うーん、別に……」  翔サンの瞳が揺れた。顔が近づく。  これは、また……!  その直後、頭にフワッと何かが置かれた。 「なに?冷たっ!」  側頭部を流れるものを触ってギョッとした。泡だ!  翔サンはニヤリと笑った。 「へへっ、仕返しだ」  こねるようにベッタリと髪に撫でつけられた。 「やめろよ!」  髪に付けられた泡を翔サンに付け返す。 「うわ、またやったなー。俺は手加減しねーからな」 「わっ、ちょっと!」  顔やら体やら。お互い泡も油物も関係無く付け合い、落ち着いた頃にはベタベタになっていた。 「……疲れた。何やってんだ俺ら」 「うん……」 「よし、銭湯行くか」 「えっ」  俺はギクッとなった。銭湯。大嫌いなワード。 「い、いや、ここで洗えば平気だし……」 「面倒だろうが。油なんかも簡単に落ちねーよ」 「でも、もう夜中だよ?閉まって……」 「明け方までやってる」 「あ、そー。でもさ」  何とか断る口実を……。 「銭湯嫌い?」  ズバリな質問に、俺はコクッと頷いた。 「何で?体に傷あるとか?刺青あるとか?それか……」  翔サンが小指を立てて見せた。 「ちんこがこの先くらいのサイズしかないとか?……プッ。ワリィ」 「バカにすんな!違うよ!」 「じゃあいいだろ。誰もお前のことなんか気にしねーよ。たとえ尻に蒙古斑があってもさ。……プッ」 「無いし!!」  いちいち失礼な奴だな、もう!  ──なんかそのまま銭湯に行くハメになり。  脱衣所でため息をつきながら服をめくったり戻したりしてる。 「おい、いつまでモジモジしてるんだ?さみーんだけど」  見ると、翔サンはとっくに素っ裸で。タオルを手に堂々としている。  堂々と……。自然と股間に目が行き、サッと逸らした。 「早く脱げって!乳首に毛でも生えてんのか?」  グイッとTシャツを引っ張り上げられた。 「ち、違っ!」  スポッと脱げた俺のTシャツをロッカーに投げ込み、翔サンは続いてズボンにも手をかけた。 「ちゃっちゃと脱ぐ!」 「自分で脱げる!だから……後ろ向いて」 「はぁ?ったくしょーがねえな」  翔サンが後ろを向いたのを確認し、俺も背を向けて脱いだ。腰にタオルを巻く。 「……終わった」 「よし、じゃあロッカーに鍵して。手首に付けろ。無くさないようにな。……つーか、その腕輪は外せば?」  赤鬼が付けてくれたブレスレット。これは多分外せないようになってる。ゴムみたいに伸びるようになってない上に、アジャスターみたいなのが付いてない。キツいわけじゃないけど手首にピッタリで、手から外すことも出来ない。 「これは外せないんだ」  見せると、翔サンは軽く引っ張ったりアジャスターを探したりした。 「マジか。……確かに無理そうだな。どうやって付けたんだ、これ?」 「これは……へぷしっ!」  くしゃみが出た。 「おお、早く入ろうぜ。俺も体冷え冷えだし」  カラカラ……と浴場に続く扉が開いた。  不安で心臓がバクバクする。どうか、『あれ』がバレませんように。 ──続く──

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