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第2話
「ここは足並み揃えた方がいいか。で、どうやって渡せばいい? 和気の都合いい方法を教えてくれれば合わせるけど」
来月の結婚祝いの飲み会に来てくれたときに直接自分に渡してくれたら、と和気は言う。
「はあ? 夏海ちゃん臨月だろーが。なに飲み歩こうとしてんだよ」
『里帰り出産でしばらくいないんだよ。あいつもお祝い事ならって言ってくれてるしさ』
本人たちが納得しているなら、外部がとやかく言う必要はないか。希声は「羽目外しすぎるなよ」と忠告するだけに留めた。
『それにしても綾戸ってさー、電話で聞いても本当にいい声してるよな』
本題を終えた和気が唐突に褒めてくる。
「急になんだよ。気持ち悪い」
『まあまあ。配信だっけ? そっちの方は順調なのか?』
「……まあ」
フンと鼻を鳴らす。無意識に声が高くなってしまう。
『自慢したいのが声に出てるぞー声に』
希声は個人での投資、舞台の手伝いの他にバーチャル配信者としても活動している。3Ⅾソフトで動かした【結樹アイオ】というキャラクターを自分に見立てて配信するのだ。顔出しはしていない。希声の声と人格はすべて結樹アイオという、青い目と青い髪色をした二次元キャラクターとしてネットに発信される。
配信は趣味で三年前に始めたが、一、二週間に一回だった生配信を三日に一回の頻度にしたら、最近はチャンネルを登録してくれる視聴者が少しずつ増えてきた。
「今月チャンネル登録者数が八千人いった」
『まじかよ。そっちの方でも稼いでんのか』
「まあ収益あっても、出ていく方が多くて普通に赤字の月が多いけどな」
配信内容があれもこれもととっ散らかっていたときより、ゲーム実況をチャンネルの主軸としたことが功を奏したのかもしれない。
『ちくしょー、独身貴族め』
羨ましそうに言った和気と適当に話をして、希声は電話を切った。
投資、舞台やワークショップの手伝い、バーチャル配信者、我ながらいろんなものに手を出していると思う。そこそこ器用だし、和気に言われるように、声も他人から褒められるぐらいには良いと自負している。
古参のファンからもらったコメントによると、男性にしては少し高めの声は、第一印象は優しくて可愛いらしいが、たまに掠れると色気があって耳ざわりがいいのだという。結樹アイオで配信を始めた当初、上げる動画は男性をターゲットにした内容だったはずなのに、チャンネル登録をしてくれるのは希声の声に惹かれたという女性ばかりだった。
俳優養成所時代は周囲が声優の道も勧めてくれた。実際に企画段階のアニメのオーディションも受けたことがある。だが、いろいろあって自分には無理だと諦めた。
あのときはしんどかった。演技は下手じゃないけど光るものがない、自分がない、と審査員や講師から自身を否定された。自信があっただけに、どうやったら自分の中に光るものを見つけることができるのかわからなかった。不安と悩みに頭を支配され続ける日々に、いっそ東京から離れて実家のある秋田に帰ってしまおうかと何度も考えた。
――希声はそのままで輝いているよ。僕の言うことを聞いていればそれでいいんだ。
昔耳元で養成所の講師に囁かれた声が蘇る。クソみたいな記憶だ。希声は記憶の中の声と自身の思考を遮断するように、スマホを強くデスクの上に置いた。
再びモニター画面に目をやる。デスクトップの上にあるメールをクリックすると、スキルシェアサービスから通知がきていた。
なんとなく和気に言うタイミングを逃したが、希声はスキルシェアサービスのサイトで声と演技という自分のスキルを売っている。
養成所を退所した当時、希声は今よりずっと金がなかった。そんな頃に藁にも縋る思いで始めたのだ。初めはこんなスキルが売れるのかと半信半疑でサイトに登録した。だが同業他サービスが少なかったことと、最初にきた会社員女性からの依頼が運よく当たってくれた。
その依頼は『生のイケボに励まされたい』というものだった。慣れないメールでのやり取りから相手の要望を聞き、緊張しながらも希声はサイト内の通話アプリを通してイケメンボイスを届けた。今となっては何を言ったか覚えていないが、希声はとにかく依頼女性を励まし続けた。最初は聞くからに疲れていた女性の声に、花火が上がったような明るさが芽吹いていくのを感じながら。
希声の声に女性は『まじでヤバい、まじでヤバい』と興奮している様子だった。最後は『本物の声優に言われてるみたい』と満足の声も聞くことができた。法に触れてはまずいので、実際にいる声優の真似をしたわけではない。だが女性がとても喜んでくれたことだけは伝わった。その後その女性が高評価をつけ、絶賛する口コミも添えてくれたことがきっかけで、少しずつ依頼が増えていった。
イケメンボイスで囁いてほしいとか、娘に亡くなってしまった大好きなおじいちゃんの真似をして勉強するように言ってくれとか、仮病で休みたいから風邪を引いた声で代わりに会社へと電話をしてほしいとか。
幸い、声が良いだけでなく演技に関してのスキルは一般人よりある。耳が良い方なのか対象者のイントネーションや話し方の癖、声の高低を真似することも苦ではなかった。
『自分がない』と言われた自分にも、誰かに喜んでもらう術がある。
希声にとって、それは干からびていた自尊心に水を注がれていくようだった。金のためと思って遊び半分で始めたことだが、感謝の言葉をもらえるのは純粋に気持ちがよかった。
今では数名の固定客もつき、スキルシェアサービスは希声の安定した収入源となっている。安定した収入源があるから将来のために投資を始めることができたし、和気の手伝いもできる。配信活動もできるのだ。
俳優や声優を目指してもがいていた頃に比べたら、今の自分はよっぽど恵まれた環境にいる。
どうせ自分は結婚どころか恋愛とも無縁の人生。このまま一人で生きていくつもりなのだ。現状維持が一番だ。自分一人が満足に生きていくために老後の資金を貯めつつ、好きなことや得意なことを活かして稼いでいきたい。毎日が今のままでいい。これ以上何も起きなくていい。心を掻き乱されるのも、自分を否定されるのも、そういうのはもう……。
希声は新着メールに載っていたサイトのURLから、自身のアカウント画面へと飛んだ。最新の依頼メッセージをチェックする。
依頼してきた相手は、初めて見るユーザーだった。そのメッセージは、これまで目を通してきた依頼文の中で最も簡潔な文面だった。
【はじめまして。一昨年恋人が事故で亡くなりました。恋人の声で、ある言葉を言ってくれませんか。】
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