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第7話
依頼主の演じてほしい対象者の人と成りはわかったことだし、再現するにあたって演技方針が迷子になった際は今度こそ動画や音声データを送ってもらえばいい。依頼の内容は教えてもらえなかったが、今回の依頼の第一関門は無事に突破できたと思った。
その後、希声は琉星と何回かサイト内のダイレクトメール上でやり取りし、電話について契約を交わした。その内容がこうだ。
まず、契約期間は一ヶ月間。週に二回、月曜日と木曜日の夜の十時半に、琉星から希声にメッセージアプリの電話機能を利用して電話を掛けるというものだ。
琉星はシフト制らしい。電話を掛ける日はシフトが出たら連絡しますと言われたが、希声は日曜日と火曜日、それから金曜日の夜に結樹アイオとして生配信をしている。その時間だけはどうしても譲れなかったため、適当な理由をつけて琉星には月曜日と木曜日にしてもらった。
もちろん就業日がバラバラな琉星にとっては、月曜日と木曜日が休みとは限らない。時間帯について懸念の内容をメールで送ると、琉星は夜の十時半以降だったら仕事も終わっているはずだから、とのことだった。そういうわけで電話の時間も決まった。
初めて電話をしたのは、先週の月曜日だ。事前にIDを教え合っていたメッセージアプリから掛けてきた琉星は、初め電話越しでもひしひしと伝わるくらい緊張していた。
電話で話すときは希声が相手ではなく、亡くなった恋人のハルにそうするように接してほしいと予め約束していた。それなのに『こんばんは。古波倉です』と堅苦しい一声が聞こえてきたときは、ちゃんとやってくれと嘆きたくなった。
ここで本来の自分の声を出してしまえば、シェアサービス契約の意味がない。希声は喉まで出かかった小言をぐっと堪え、ハルの柔らかい声で「今日は仕事忙しかった?」と訊いた。
先日カフェで見せてもらった動画の他に、メールでハルの生い立ちから性格、趣味や特技の他に、されたら嫌なことなどの情報を詳しく教えてもらった。そこから掘り下げる人物像や雰囲気を、動画から再現したハルの声に乗せればこちらは簡単だった。
希声が発するハルの声は、電話を通すとより本人に近づくようだ。希声の問いかけのあと、本当にハル君だ……と相手は呟いた。
こちらは面識のない他人の声で話すことに対して慣れていても、琉星は他人が発する最愛の人との会話にまだ慣れないのか、どこかぎこちなかった。
会話を楽しむというより、最初は慣れてもらった方がいいかもしれない。希声はそう考え、初回の通話では主に質問形式の会話を繰り広げた。
今日の昼は何を食べたのか、職場で困ったことはないか、明日は何時から出勤なのか、次の休みはいつなのか――など。
質問ばかりでは面接みたいで味気ないので、琉星の返答の中から広げられそうなものは広げたり、返答の内容と関連ある話をしたりして、初日の電話を終えた。
初回はグダグダだったものの、電話は回を重ねるごとに琉星も徐々に慣れてきたようだった。二回目、三回目では琉星の方から、
『ハル君は今日の夜ご飯はなに食べた?』
『俺は牛丼とラーメンどっちにしようか迷ってるんだけど、ハル君はどっちがいいと思う?』
など当たり障りのないことを、亡き恋人に見立てた希声に質問してくるようになった。
四回目には、同僚からスーパー銭湯の割引チケットをもらったと嬉しそうに話してきた。
『都内の西の方にあるらしいんだけど、漫画がたくさん置いてあるんだって。今度一緒に行きたいなと思ってさ』
一緒に行きたい、という言葉に希声はドキッとした。一瞬自分が誘われたのかと困惑した。だがすぐに『そういえばハル君は少女漫画も好きだよね』と笑い声が届き、希声は自身が勘違いしかけていたことを知る。
琉星が話している相手は自分ではなく、亡き恋人だ。危ないところだった。反射的に素の自分で返してしまいそうだった。勘違いしたまま返した場合のときのことを考えると一気に恥ずかしくなった。
希声は前もって仕入れたハルの好きな漫画作品の情報をパソコン画面に映しながら、自身の動揺を悟られないようにして答えた。
「うん、僕は【恋のスィートバニラ】が一番好きかなぁ。琉星も読んでみたらハマると思うよ」
『噓だー。俺が好きなのは学生が恋愛してる漫画じゃなくて、必殺技とか絶望的に強い敵が出てくるようなバトル漫画なの』
「食わず嫌いは良くないよ」
『たしかにそうだけど……じゃあその漫画のおもしろいところを教えてよ』
今度は要求だ。叶わないとわかって言っているのだろうか。
言われた方は無条件にどきりとする。誘いや要求を口にされると、ハルとしての自分と素の自分、どちらで返答すべきか一瞬わからなくなる。自分とハルとの境目がぐらりと揺らぐ。
希声は少し後悔した。こちらが困惑するような内容について、契約前にちゃんと琉星と確認しておくんだった……と。
しかし所詮交わした契約内容は電話だけ。一緒に出かける約束をしたり会って何かすることを提案されたりしたところで、具体的な日時と場所を決めなければいいだけの話だ。それは向こうだってわかっているからこそ、日程調整と場所の話題を振ってこないのだろう。
自分は他人の真似をしてお金をもらっているプロだ。あまり相手の言葉に振り回されないようにしよう。
「わかったよ。今度教えるから、琉星もあらすじの予習ぐらいしておいてね」
亡き恋人が言いそうなことを返すと、琉星は電話越しに『やったー! 俺もおすすめの漫画教えるね』と嬉しそうに言った。
裏表がない男だ。琉星の素直な声の明るさに、思わずこちらも笑みで口元が緩む。
恋人からこんな風に甘えられたら、誰だって嬉しい。琉星と付き合ってきたかつての恋人たちは、ハルも含めてみな幸せだったんだろうなと思った。
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