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第9話
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秋葉原の電気街口に着いたのは、すっかり日も落ちた頃だった。仕事終わりのサラリーマンが改札の中に吸い込まれていく流れに逆らって、希声はビルや飲食店で煌々とした夜の街に繰り出す。
向かった先はバーチャル配信を始めるときに、パソコンやモニターといった電子機器一式を買った家電量販店だ。最新機器に強い点の他に、最初にポイントカードを作ったこと、初めて入る店で迷子になるのが面倒なこともあって、電子機器や家電の購入を検討する際には必ず足を運ぶことにしている。
エスカレーターでパソコン関連の商品を置いているフロアまで上がり、希声は真っ先にウェブカメラのコーナーを探した。
せっかくならいいカメラを買いたい。陳列什器に掛けられたカメラを一つ一つ注意深く見ていく。声をかけられたのは、気になったカメラを手に取ったそのときだった。
「ウェブカメラをお探しですか?」
電子機器売り場で販売店員から声をかけられるのは珍しくない。だが自分は一人で見て、一人で検討して一人で決めたい。
「決まったら、こっちから声掛けますんで」
そう言って接客を断った際に顔を上げると、ニコニコとこちらに営業スマイルを送る男と目が合った。どこかで見た顔だ。
「綾戸さんですよね? 俺です」
男はそう言いながら、首に掛けている名札を見せてきた。名札にはひらがなで大きく『こはくら』と書いてあり、その下には漢字で『古波倉琉星』と小さくフルネームがあった。
希声は顔や名前より先に、声で誰なのか理解した。
「あ、どうも」
なんとなく手中のカメラを什器に戻しながら、希声は頭を軽く下げた。
琉星が大手家電量販店の販売員だということは聞いていたが、まさか馴染みの店舗で働いているとは思っていなかった。
いや、先週の木曜日に、話の流れで琉星が秋葉原方面の大手家電量販店に勤めていることは聞いていた。外国人の客が多く、英語で対応するのが大変だと苦笑いで話していた。
秋葉原方面の家電量販店なんてたくさんある。その中に売り場だっていっぱいある。話を聞きながら自分もよく行く街だと思ったが、さすがに偶然会うことはないと油断していた。
「よかったー。声掛けてみて、もし綾戸さんじゃなかったらどうしようかと思いました」
琉星は名札を下ろし、ホッとした様子だ。
なんだなんだ。希声は警戒する。顔見知りのよしみで、こちらの予算をはるかに上回る高い商品でも売りつけるつもりか?
疑った目を向けていたのだろう、琉星も察したらしい。
「驚かせてすみませんでした。俺、ずっと綾戸さんに直接お礼をしたくて」
こちらの警戒を解こうとしているのか、男は両方の人差し指の先をつつきながら弁明した。
お礼というのは依頼のことだろうか。だったら琉星が報酬を支払った時点で完了している。
そのままそっくり言葉にしたけれど、せっかく伝えた感謝の気持ちを無下にされたと受け取るかもしれない。相手もいい気はしないだろう。
「そうでしたか。ご丁寧にありがとうございます」
「はい。こうして偶然お会いできて、本当によかったです!」
お互い軽く頭を下げたところで、希声は「じゃあ自分はこれで」と小さく言って踵を返そうとする。その動きを強制的に止めたのは、
「ところでどんなカメラをお探しですか?」
と一歩踏み出して近づいてきた琉星の圧だった。
突然の質問に、柄にもなく「え? あっ」と希声は戸惑う。
「フレーム数は三十と六十どちらがご希望ですか?」
「ちょ、え」
「ウェブでの会議とか打ち合わせに使うなら三十、動画配信とかで使うなら六十がおすすめですよ」
辛うじて「し、知ってます……」と答えると、また攻撃が返ってきた。
「そうでしたか。ということであれば話が早いですね! ちなみに綾戸さんのご希望は三十ですか? 六十ですか?」
「ろ、六十……」
勢いに負けて咄嗟に答えてしまったが最後。希声はあれよあれよという間に琉星のセールストークの嵐に巻き込まれ、ウェブカメラのコーナー付近で一時間半みっちり十個近くの商品の営業を受ける羽目になった。
気づいたら会計を済ませ、最終的には新しいウェブカメラを購入していた。会計カウンターで琉星から返してもらったクレジットカードを財布に戻すとき、ようやく『あれ、今日買う予定だったっけ?』と我に返った。
それだけ琉星の接客は悪くなかった。こちらの希望に合う商品を自分の事のように考えてくれ、他の商品も見てみたいと言えば急いでバックヤードに走ってくれた。現店舗にない商品についても、実物がない代わりにとメーカーのサイトを比較しやすくプリントアウトしてくれたり、近くの他店舗に電話して在庫の確認をしてくれたりした。
ウェブカメラは価格が高いものもあるが、安くて性能のいい商品でも安く手に入れられるものもたくさんある。最終的に後者を選ぶかもしれない相手に、よくここまで根気強く営業できるなと思った。
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