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第16話

 先週の月曜日の夜、琉星と成り行きで飲みに行った。あの後ハルの声を演じて話した電話は二回。本当はそれで契約は終わる予定だったのに、今も琉星から連絡がくるのには訳がある。  秋葉原の駅で別れたあと、希声のスマホにはさっきまで食事していた男からメッセージが届いた。今日の礼を言われるのだろうかと、電車に揺られながらメッセージを開いた。そこにはこう書かれていたのだった。 【さっきは恥ずかしいところを見せてすみませんでした。契約のことですが、できれば延長をお願いしたいです。】  予想していた内容とかけ離れていたこともあり、最初は目が滑って理解できなかった。  自分は琉星の気持ちに土足で踏み込んで泣かせたのだ。契約が切れることは早まっても、まさか延長を希望されるとは思ってもみなかった。  どうしてそんな風に思ったのか、純粋に疑問だった。居ても立っても居られなくなって、希声はちょうど停まった駅で電車を飛び降りた。急いで電話を掛け、相手が電話口に出た瞬間に「どうして」と素の自分のまま訊いた。  琉星は少しの間を置いて、ぽつぽつと語り出した。 『今回の契約の前に、ある言葉をハル君の声で言ってほしいって言いましたよね。でもその言葉を聞いたら、もうここの繋がりは終わるじゃないですか。そしたら俺は、またハル君を失うことになる……』  何を言ってるんだと思った。ハルはすでに死んでいる。そんな当たり前のことを言われても困る。 『希声さんがあんまりにもハル君の声で話してくれるから、もっと聴いていたくなりました。できれば今日みたいに、直接』 「直接っ? 電話じゃダメなのかよ」 『直接言ってもらえると、そこにいるみたいにハル君を感じられるんです。電話とは全然違うんです……っ』 「無理に決まってるだろ」  考えるまでもないことだ。酔いに任せて、希声は終電間際のホーム上で吠えた。だが琉星は引かなかった。 『わかってます。でも週に一回……二週間に一回でもいいんです。お願いします。あと何回かハル君の声を聴かせてください。そしたら俺はちゃんとできる気がするんです』  琉星は一体何がちゃんとできるのかまでは言わなかった。困惑とイライラで、こちらも琉星の言葉を待つ余裕がなかった。 「一回考えさせて。俺、冗談抜きでいろいろ仕事してんのよ。時間作れるかマジでわからねえ」 『はい……』  ああ、まただと思った。こんな頼みをされて、すごく迷惑なのに。すぐに断るべきだなのに。  きっと琉星じゃなかったら、とっくに断っていたはずだ。他人のペースに巻き込まれるのは死ぬほど嫌いなのだ。  けれど、どうしてこの男の頼みは断れないんだろう。もっと聴いていたくなった、と言われて、心なしか喜んでいる自分がいるんだろう。琉星が言っているのは自分の本当の声じゃない、自分が出す偽物の声なのに。  振り回されている自分に腹が立つ。希声ははあ、とため息をついて怒りを鎮める。 「調整してみるけど、できないときはできないって言う。それでもいいか?」 『はい……』  今にも消え入りそうな声で、琉星は返事した。  最初は渋っていた希声だが、こうして二週間に一回という契約で琉星の依頼を引き受けることにしたのだ。  モニターの電源をスリープ状態にして、琉星から届いたメッセージをおそるおそる開く。明日の待ち合わせ場所と時間についての確認内容だった。  あの日、なんで手を繋いでしまったのだろう。希声はあの日依頼、何度も後悔した。  琉星の明るさや言動から、恋人の死はすでに吹っ切れているのだと心のどこかで思っていた。吹っ切れてなどいないから、死んだ恋人の声を演じてほしいと自分に依頼してきたのだと今ならわかるのに。  琉星は悲しみを表に出さないように気を張っていたのかもしれない。その糸を自分はいたずらに切ってしまったのだ。  罪悪感を抱かない方が不思議なくらいだ。そう考えれば、自分が琉星の依頼を断れない理由に筋が通るような気がした。  それに面倒なことになりそうだったら、いつでも辞めればいい。次また依頼をされたら、今度こそ断ればいいのだ。

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