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第17話
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琉星と結び直した契約内容は、二週間に一度、木曜日に直接会ってハルの声で語らうというものだ。
場所は初めて会った日と同じ新宿の昭和レトロな喫茶店。そこを指定してきたのは、琉星の方だった。
「ここはハル君と初めてデートした店なんです」
新たな契約に変更してから数日後の初回の日。琉星は猫のミーコを撫でながら、そう教えてくれた。コーヒーの香りが漂う店内にはジャズが流れ、時間の歩みが緩やかに感じる。自然と思い出が口を衝くのも無理はない。
琉星いわく大学の先輩に無理やり連れて行かれた新宿二丁目で、ハルもとい小橋春人《こばしはると》と出会ったらしい。
「ハル君はゲイバーの店員で、先輩や他の店員に飲まされて酔っぱらった俺を介抱してくれたんです。そこから仲良くなって。俺、男と付き合うのは初めてだったけど、ハル君とは自然とそういう仲になっていったんですよ」
話を聞く限り、琉星は生粋のゲイではなさそうだった。希声と同じバイか、むしろハルと出会うまではノンケだったのかもしれない。琉星の話を聞きながらそんな風に思った。
初回はハルとの思い出話を交えつつ、琉星には目を閉じてもらいながら希声はハルの声を演じた。
綻びが生まれたのは、終盤に差し掛かったときだった。
途中ミーコが希声のグラスに顔を突っ込み、ピチャピチャと舌で水を飲み始めた。普段の希声なら水に手をつけないか、どうしても水が飲みたいときは店員に言って交換してもらうかのどちらかの対応をする。
今の自分はハルと同じ声で同じ反応をしなければいけない。希声は人慣れしたミーコの頭を撫でながらハルが言いそうなことを発した。
「ミーコに飲んでもらえるなんて僕はラッキーだなぁ」
ふと真正面を見ると、目を閉じたまま眉をひそめ、歯を食いしばらせている琉星がいた。
また泣くのだろうか。
先日の琉星がむせび泣いていた背中を思い出し、成長痛のような痛みで胸が軋む。心の片隅に追いやっていた罪悪感が顔を出す。琉星のこの顔を見るたびに、希声は罪の意識に苛まれるようになっていた。
その日の帰り、駅に向かっている途中で希声は思い切って琉星にぶつけてみた。
「俺からの提案なんだけどさ、琉星君とハルさんの思い出がある場所は辞めない? やりづらいっていうか、集中できないというか……」
具体的には言わなかったが、琉星も前回今回と思い出の場所で亡き恋人の声を聴くことに対し、思うところがあったらしい。「そうですね」とあっさり承諾した。
「希声さんはどこかちょうどいい場所、知ってますか?」
「そうだなぁ」
腕を組んで考える。レンタルスペースは恋人同士の会話を繰り広げるにはビジネス感が強いし、カフェは予約ができなかったり場所によっては混んでいて入れなかったり、落ち着かない席に案内されたりすることもある。
毎回確実に入ることができて、ほどよく落ち着けて二人きりになれるところはあるだろうか。うーん、と考えながら歩いていると、数メートル先にあった寂びれたカラオケの看板に目が留まった。
店舗は違うが、養成所時代に和気や仲間たちと飲みに行ったあと、たまに二次会で行ったカラオケ店の系列店だった。郊外に強いカラオケ店らしく、都心に店舗は少ない。その知名度の低さから金曜日の夜に行っても常に客はガラガラで、当時から穴場の店だった。
「このカラオケとかどうよ?」
希声が指差すと、琉星はくすんだ看板を見上げた。若干引き気味に片方の口角をヒクつかせる。
「ここやってるんですか?」
「やってるやってる。元々こういう古いデザインなんだよ」
「へえ、そうなんですね」
ツッコミどころがあるようだが、異論はないらしい。すぐに希声へと視線を戻し、
「次回までに予約しておきますね」
と言ってニコッと微笑んだ。
予約なんてしなくても入れる店だ。そう教えてもよかったはずだが、琉星の微笑んだ顔に引っ張られて言うのを忘れてしまった。
この笑顔の裏で、何度涙を流してきたんだろう。知り合って日は浅いが、琉星は笑っていた方が似合うと思った。
次はハルの声を使ってどんな話をしよう。どんな言葉をかけたらいいだろうか。次回まであと二週間。その日はまだ先なのに、明日の予定のことのように希声は考えた。
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