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第19話

「そうですね。プロ並みに上手でした」 「だよなー。ああいう店の人たちって、喉が酒と煙草で妬けてんのに、意外と歌上手い人多いんだよ」 「ハル君、煙草は吸いませんでした」 「一般的な話だよ」  かつて行ったことのあるゲイバーのママたちを思い出しながら、「常に発声練習してるみたいに声でかいからかな」と独り言を呟く。 「詳しいですね」 「俺もソッチの人間だからな。店で働いたことはないけど」  え、と琉星が意外そうな顔をする。要らない情報だったか。目を点にさせる男に、しまったと思った。  自分の情報を教えることにためらいがなかったわけではない。知られたくない過去だってある。だがこの程度の情報なら、琉星には言っても――知られてもいいと思った。  希声が最後に誰かと付き合ったのは八年前。十五歳年上の、俳優養成所の男性講師だった。最初は希声が好きで好きで付き合った相手だったが、最後は酷い思いをして別れた。 「琉星君にとってのハルさんみたいな相手は、今も昔もいないけどな」  自嘲気味に笑うと、琉星は眉根を寄せて難しい顔をした。どう声をかけていいかわからないみたいで、うーんと呻っている。熟考した末に浮かんできた言葉は、 「これから現れますよ。これから」  だったらしい。希声はプッと吹いた。 「二回言った」 「大事なことですから!」  根拠なんてない言葉だ。だが、琉星に言われると不思議と現実になるような気がした。「期待しとくわ」と言い、希声は本題に戻る。 「今日も普通に会話するのでもいいけどさ。せっかくカラオケに場所変えたし、今日はハルさんの声で歌おうかと思って。あ、でも思い出の曲はナシな」 「どうしてですか?」 「だって――」  また泣くじゃん、と声に出そうになったが、希声はハッとして口を閉じた。 琉星が泣くか泣かないかは、本来なら自分には関係ないことだ。琉星から依頼されたサービス内容は、『亡き恋人の声で琉星と喋る』というもの。サービスを提供したあとに琉星がどう感じ、どんな表情をするかなんて自分には関係ないのだ。  このとき初めて、希声は自分が琉星に泣いてほしくないと思っていることの異常さに気づいた。琉星が泣くことを恐れて、琉星が指定したハルとの思い出が詰まった喫茶店から、縁もゆかりもないカラオケに変えようと提案した自分の行動を恥じた。 「――嘘。曲はなんでもいいよ。俺が知ってる曲に限るけど」  好きな曲入れて、とデンモクを琉星に渡す。琉星はデンモクに目を落とし、しばらくしてからピッピッと指でタッチパネルに入力した。 「おい、急に入れても俺が知らなかったらどうすんだよ」  そう言いながら希声はちゃっかりマイクを持つ。照明が落とされていく室内の中、モニターを見上げる。  曲のタイトルがモニターに浮かぶタイミングと同じくして、部屋にドラえもんのイントロが大音量で流れ始めた。 「え、ちょっ」  ハルの声で歌えばいいのか? いやでもそれはさすがに急には難しい。曲を止めようと琉星からデンモクを奪おうとしたが、サッとかわされてしまう。 「……――から」  琉星がこちらに向かって、何か伝えようと口を開けている。大音量で流れるイントロに遮られて声が聞こえない。「え?」と顔ごと耳を相手に近づけると、琉星はもう一度大きな声で言う。 「ハル君の声だと泣いちゃうから、今日は希声さんの声で歌ってください」  さっきとは違い、今度は希声の耳に琉星の声がダイレクトに響く、耳殻と耳朶に相手の息がかかる。頭を揺さぶられているみたいな感覚のあと、なぜか頬が熱くなった。解れたはずの緊張が帰ってくる。 「任せとけ」  震えそうになる声をみぞおちに力を込めることで立て直す。希声はマイクをぎゅっと握り直した。  それから希声はドラえもんの曲を歌い、続けて誰もが知っているような国民的アニメの曲をメドレーで歌った。  ハルの声ではない。自分の素の声はもちろんのこと、歌手のモノマネをして昔の曲から流行りの曲まで歌って琉星との時間を過ごした。  結局その日は一度もハルの声で琉星と喋らなかった。意外と楽しんでしまった自分に気づいたのは、カラオケの退室時間が五分後に迫っていたときだ。  壁に掛けていたダウンジャケットを羽織り、退室準備をしていると琉星がぽつりと言った。 「俺はゲイ……っていうのかな。ハル君しか好きになったことがないからわからないけど、希声さんもそうだって知ってすごく親近感が湧きました」 「それはゲイって言わないんじゃないか?」  希声はグラスに少し残ったコーラをストローでズズッと吸い上げる。 「そうなんですか?」 「最初から男が好きだったわけじゃないんだろ。まあ俺もよく知らないけどさ」  琉星はブツブツと「違うのか……」と考え込む。 「希声さんもゲイだから、今日は俺に優しくしてくれたんだと思ってました」 「は?」 「同じ仲間として励ましてくれたのかなと」  希声は空いたグラスから抜き取ったストローの先端を男に向けた。 「あのな。それ俺以外のゲイに言ったら死ぬほどキレられるからな。そういうこと言うなよ。絶対」 「え……」 「俺がゲイだからじゃねえ。俺はあくまで仕事として琉星君と接してんの。そこんところ勘違いすんなよ」  琉星はポカンとしたあと、すぐに「す、すみません」と猫背気味になる。 「まあ俺も琉星君に同情してないわけじゃないし? 俺に依頼したことを少しでも後悔してほしくないから、こうやって君の依頼に応えてるわけで……」  そこまで言いかけて、希声はあれと思った。これは自分の本心だろうかと、ふと違和感の鐘が頭の奥で鳴った。  それらしいことを言っている自分が酷く引っかかる。   あくまでも仕事だと思って、琉星のコロコロ変わる依頼に付き合っているつもりだった。  だが琉星に会う前に髪を整え、服を新調している自分は一体どこから来たのだろう。本当にただの仕事だと思っていたのだろうか。  事実、琉星と過ごしたカラオケの時間は純粋に楽しかった。ニコニコしながら、時にはモノマネする自分の歌をお腹を抱えて笑いながら聴いてくれる琉星との時間はあっという間に過ぎていった。  なんだか開けてはいけない扉が、今自分の目の前にある気がする。希声は「と、とりあえず出るか」と席を立った。開けなければ、目の前に無いのと一緒だ。
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