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第22話

***  忘年会シーズンなのか、その日は受付時からいつもより混んでいた。希声たちが三十分待って案内されたのは、大の大人二、三人が入ると圧迫感を覚えるほどの狭い部屋だ。 「今日はカフェの方が入りやすかったかな」  希声は部屋に入ってから言った。隣の部屋からは団体客の歌声が聞こえてくる。 「こうやって無事に入れたからよかったじゃないですか。希声さんもカラオケの方が落ち着くって言ってましたし」  ダウンを脱ぎながら「まあな」と返す。 「そういや忘れないうちに先に渡しておくわ。はい、これ」  希声は先週の土曜日に水族館で買ったクッキー缶を袋のまま琉星に渡した。琉星は袋を受け取り「わあ」と目を開けた。 「本当に買ってきてくれたんですか。ありがとうございます!」 「たいしたもんじゃないけどな」 「そんなことないですよ。嬉しいです」  そう言いながら、琉星は小分けの袋からクッキー缶を取り出した。缶のパッケージに目を落とす。次の瞬間、琉星の顔からわずかに笑みが消える。想像していた通りの反応だ。 「それ見た瞬間さ、前に琉星君から見せてもらったハルさんの写真を思い出した」  複雑そうな表情の琉星が、クッキー缶にプリントされたシロクマを指でなぞる。 「その感じだと、琉星君もやっぱりそれ見て思い出した? ハルさんのこと」 「……」  図星なのだろう。琉星は困ったように「はい」と笑った。元々ハルがシロクマに似ていたという情報は琉星から聞いたものだ。このシロクマのクッキー缶を見た琉星が、ハルのことを思い出すのも無理はない。 「本当はシロクマじゃなくてイルカのクッキーにした方がいいのかなとも思ったんだけど」 「どうしてこっちにしたんですか……?」 「どうしてもこうしてもないよ。だって俺はシロクマのクッキーを見て琉星君にお土産買うことを思い出したわけだし、そこでわざわざイルカにするのも違うんじゃねえかなって」  ハルを思い出して泣くのも泣かないのも、琉星の自由だ。それと同じで、こちらが何をどういう意図であげるかも自由なのだ。  自分は琉星に配慮したかった。思いやりたかった。自分の【泣いてほしくない】という個人的な気持ちを優先させた上で何かをあげるより、それまでの琉星の思い出に寄り添うものをあげたかった。たとえ琉星に気づいてもらえなくてもそうしたい、そうするのが自分にとって正しいことだと思ったのだ。  琉星は再びクッキー缶に目を落とす。その顔は少し照れているように見えた。亡き恋人の面影を感じているのか、クッキー缶を見つめる目が揺らいでいる。 「ありがとうございます……大切に食べます」  おうよ、と言い、希声はドリンクバーを取りに行くため立ち上がった。  ドリンクバーで飲み物を持ってきてからが契約時間のスタートだ。それぞれ自分の飲み物をグラスに注いできたあと、希声はスマホのタイマー機能を一時間にセットする。 「じゃあ今から始めます。個人的にはなるべく目を閉じてもらった方がいいけど、そこは琉星君の自由だから。いつも通り任せるよ」 「はい。よろしくお願いします」  希声は深呼吸をしてから、タイマー機能のスタートボタンを押した。  今から一時間、自分はハルだ。希声は喉を開いて言葉を発した。  ――今は忘年会の時期だけど、琉星は職場で忘年会とかないの? 「最終日の前日にあるよ。俺は大晦日まで仕事だからちょっと顔出してすぐに帰るけど」  ――大晦日まで仕事なんだ。大変だね。 「大変だけどしょうがないよ。結局誰かがやらなくちゃいけないし。ハル君は職場の人たちと忘年会やらないの?」  ――僕は毎日が忘年会みたいなものだもん。でも一応年末は独り身のゲイ限定で年越しするよ。琉星も前来たでしょ? 「うん。賑やかで楽しかった。でも……」  ――でも? 「今年は二人で過ごしたいかな。ハル君と」  琉星がそう言った瞬間、希声の喉がヒュッと縮こまった。【二人で過ごしたい】にドキッとして、【ハル君と】に別の温度でドキッとした。気持ちが一気に揺さぶられ、思わず返答に困った。  ――……僕もだよ。琉星と一緒に新しい年を迎えられたら、僕も幸せだな。 「よかった。ハル君と同じ気持ちで嬉しい」  チラッと琉星に目をやると、目を閉じたまま穏やかな表情をしていた。心地いい温度の湯に浸かっているみたいだった。  気分が悪くなる。あんなに泣いている姿を見たくない、笑ってほしいと思っていたのに、自分は一体どうしてしまったんだろう。以前は心地いいと感じていたはずの琉星との空間が、今日は酷く居心地の悪いものに感じられた。所在ない気持ちが、自分を異物のように思わせてくる。
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