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第23話

 居ても立っても居られなかった。希声はスマホの画面をタップし、アラームを一時停止した。 「琉星君ごめん。一回休憩してもいいかな」  自分の声に戻し、目を閉じたままの琉星に声を掛ける。琉星は戸惑い気味に目を開け、「あ、はい。もちろんです」と言った。 「もしかして体調悪かったですか? それなら今日じゃなくても俺は……」 「いや、少し休めば大丈夫だから。ちょっと待ってて」  希声はそそくさと部屋を出てトイレへと向かった。便座に腰を落とし、はあ、とため息をつく。  正直しんどかった。心が平静でいられない。琉星の顔をちゃんと見ることができない。  この気持ちの正体がまったくわからないほど、希声は子どもじゃなかった。 おそらく自分は琉星のことが気になっている。一人の依頼主としてではなく、 一人の人間……いや男として。久しぶりに生まれた感情に戸惑う。  琉星は今までに惹かれてきた、付き合ってきたタイプとはあまりにもかけ離れている。もっと信じられないのは、自分は依頼主に対してそういう目で見たことも、ましてや特別な感情を抱いたことなんてないのだ。琉星に対して自分がこんな気持ちを抱くことは青天の霹靂だった。完全に油断していた。  だからこそ希声は予感した。このまま琉星への気持ちを認めてしまったら、自分の日常が壊れてしまう気がする……と。穏やかな毎日を手放すことになり、また人や感情に振り回される日々が待っているだろうと。 「……しっかりしろよ」  希声は顔を両手で覆う。自分を叱責するように、頬をバチバチと叩いた。  どうせこの契約は年内で終わる。琉星のことだから、また延長を申し出られるかもしれないが、そのときはちゃんと断ろう。次の依頼があるとか、副業の一つが忙しくなったとか、断る理由を添えればすぐに辞めることができる。  思い出せ。自分の目的はなんだ?   琉星から受けた依頼を、最後まで遂行することだろう。  今後琉星に対してのサービスは、すべて低評価をつけられたりマイナスな口コミを書かれたりしないようにするため。琉星に優しくするのは、あくまでサービスに満足してもらうためなのだ。  頭を整理すると、少し落ち着いた気がした。叩いた頬が赤くなってないか鏡で確認してから部屋に戻る。  深呼吸をしてからドアを開けると、すぐに琉星の様子がおかしいことに気がついた。琉星は真っ暗なスマホの画面を見つめながら、右手で口元を隠すように覆っていた。その目には涙の粒が溜まり、今にも零れ落ちそうに見えた。 「琉星君……?」  呼びかけると、琉星はそこで希声が戻ったことを知ったらしい。焦点の合わない涙目を揺らしながら、希声を見た。 「……っ」  ただ事ではないと悟る。希声は急いでドアを閉め、後先考えず男の隣に腰を下ろす。 「何かあったのか?」  琉星は背中を丸めて、息を途切れ途切れにさせながら話し始めた。 「いま、電話があって……っ」  琉星が息を吐くのに合わせて、希声はなだめるように琉星の大きな背中を擦る。 「どこから?」 「結婚式の、し、式場……っから、です」  式場……希声は無意識に繰り返した。そんな場所から、どうして琉星に電話がくるのだろう。  琉星は呼吸を整えながらゆっくり言葉を吐き出した。 「去年の冬に、本当はハル君と結婚式を挙げる予定だったんです……。でも、その前にハル君死んじゃって……っキャンセルして……」  衝撃の事実に、ドクンッと衝撃が心臓を打った。結婚式――それは本来、婚姻関係を結んだ男女が執り行う儀式だ。今の日本では同性同士の結婚は認められていない。でも結婚式だけは同性でも挙げることのできる式場が多くなったと聞く。  ハルとの関係は、結婚式を挙げたいと思うほどのものだったのか。  ハルへの想いは散々聞かされてきた。どれほどのものだったかは知っているつもりだった。結婚式を挙げるということは、互いの親や友人に認めてもらっていた関係だったということだろうか。  いろんな感情が胸の中に渦巻いた。ショックだった。琉星の背中で慰めていた手は、いつの間にか止まっていた。 「もし結婚式を挙げていたら、もうすぐ一年目を迎えていました。結婚式の一年記念で開催している食事会があるんですけど、その招待ハガキを新人のプランナーが間違って俺とハル君宛に送ってしまったらしくて……。今のは謝罪の電話でした」 「なんだよそれっ」  希声は自分のことのように腹の底から怒りがこみ上げてきた。 「電話一本の謝罪で済む話じゃねえだろ」  希声が物凄い剣幕で怒るとは思っていなかったのか、琉星はタジタジになっていた。 「いいんです。ミスは誰にでもあることだし、ましてや新人ならなおさらしょうがないです。後日正式にお詫びしたいと言ってくれたから、俺はべつに責めるつもりはなくて」 「だったらなんで泣いてんだよ。傷ついたからじゃねえのかよ!」  声を荒げる。自分はやっぱり琉星の涙に弱い。その粒を一滴でも見ると、動揺して自分が自分でいられなくなる。  なんで当事者になだめられているんだと情けなくなる。リアルタイムで自身の言動を顧みると吐きそうだった。イライラする。前髪をくしゃっと手で掻き上げ、希声は怒りを抑えながら深く座り直した。 「……怒鳴ってごめん」  琉星は戸惑いながら「いえ」と苦笑する。 「希声さんが怒ってくれたから、モヤモヤした気持ちも今ちょっと晴れた気がします」  続けて、「俺の話を聞いてもらってもいいですか」と琉星は視線をこちらに向けてきた。  断る理由なんてない。契約が切れるその日まで、琉星にサービスを提供すると決めたのだ。話を聞くこともサービスの一つだ。 「いいよ」  希声は一時停止していたタイマー機能を完全に停止し、琉星の声に耳を傾けた。
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