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第30話

 ここまで依頼主に対し、自分の感情をさらけ出したのだ。どちらにせよ、もう契約を続けることは厳しいだろう。希声は「じゃあもういいよ」と投げやりに言った。 「事前に払ってもらった報酬金は返す方向でまたメールするから」 「え……」 「そっちが希望するなら、今月分も振り込まなくていいです」  他人行儀に言い、希声は前から走ってきたタクシーを止めた。琉星は「ちょ、え」と困惑した様子で追いかけてくる。 「希声さん! 契約は終わってないですよねっ? また……会えますよねっ?」  今の会話でどうしてその考えに至ったか知らないが、自分はもう二度と琉星と会うつもりはなかった。  タクシーに乗り込んでから、焦った表情の琉星に言い放った。 「ハルさんとお幸せに」  その瞬間、琉星の顔が引きつるように歪んで硬直した。  タクシーのドアがバタンと閉まる。「どちらまで?」と目的地を訊いてくる運転手に「とりあえず出してください」と興奮気味の声で訴える。  希声を乗せたタクシーがゆっくりと発進する。希声と琉星の間に距離を空けていく。振り返って琉星の様子を確認する余裕はなかった。見たら、一連の自分の言動に後悔することは明らかだったからだ。  期待なんてしていなかった。琉星とどうにかなりたい気持ちもないと思っていた。  だけどハルの話題が出るたびにモヤモヤした。生きている目の前の自分ではなく、この世にはいない過去のハルの方を大事にしていると知って悲しかった。  きっと自分はハルに嫉妬していたのだ。琉星にわずかな期待をもっていた。  これ以上琉星と一緒にいたら、今以上に期待してしまいそうになる。望んでしまう。何も知らない相手に対してイライラして、ああしてほしいこうしてほしい。好きになってほしい……と。  三橋に会ってパニックになったのは事実だが、所詮きっかけに過ぎない。遅かれ早かれ、自分は限界を迎えて琉星に感情をぶつけていただろう。 「で、どちらに向かいますか? このまま大通りに出ると戻るのが難しくなりますけど」  運転手に急かされ、希声は慌てて自宅アパートのある最寄り駅を答えた。  なんとなく車窓に流れていく街並みに目をやりながら、これでよかったんだと自分に言い聞かせる。  しばらくすると、ポツポツと雨が降ってきて窓ガラスを叩き始めた。  琉星は傘を持っていなかったはずだ。ちゃんと無事に帰ることができただろうか。考えても仕方がない。あとは事務的な連絡を残すのみ。もう会わないと決めたのは自分だ。  忙しなく感情が揺れ動いたせいで疲れた。雨音を聞きながら、希声は窓に頭を預けて目を閉じた。

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