31 / 53

第31話

***  夢を見た。昔の夢だ。  当時、希声は高校を卒業すると同時に、地元である秋田の田舎町から上京した。十八歳だった。実家に経済的な余裕がなかったということもあり、大学や専門学校への進学は考えていなかった。  高校の進路相談のとき、担任教師から進路を訊かれた希声は迷わず、 「役者になります」  と宣言した。  希声が生まれ育ったのは、山を背にした小さな港町。夏は日灼けしやすい希声の肌を容赦なく注がれる日差しに、冬は大量に降る雪のせいで外に出ることができない。さらにロシア人だった曾祖母の遺伝が強く出た顔立ちと我が強い性格のおかげで、少ない同級生の中でも浮いた存在になり、一緒に遊ぶ友達はまるでいなかった。  気の強い姉と近所に住んでいた三つ上のいとこはよく遊んでくれたが、それも彼らが隣町の中学に上がる頃まで。一人の時間が増えたのは小学校の高学年のときだ。  その頃から、希声は父親のパソコンからサブスクの動画配信を利用して、いろんな映画やドラマを観始めるようになった。  黒澤明や小津安二郎といった巨匠と呼ばれる映画監督の作品から、平成初期に流行ったトレンディドラマやシリーズものの医療ドラマや刑事ドラマ、時代劇や海外の名作映画までありとあらゆる作品に触れた。  昔から地元のおばちゃんたちからは「きーちゃんは俳優さんみだいに綺麗な顔してらね」とよく言われてきた。テレビに出てくるお笑い芸人やドラマや映画の登場人物のモノマネをすると、家族がよく似てると笑ってくれた。  純粋に目立ちたがり屋だったのだ。人前に立って何かをしたり、自分が何かをして周りが喜んだり笑ったりと反応してくれることがとにかく好きだった。  役者になりたかった理由に、大仰なものはない。他にやりたいこともないし、他人より暇だった分時代やジャンルに捉われず様々な作品に触れてきた。見た目もそこそこで人前に立つことが好きなら、役者しかないと思っていた。  担任に役者になると宣言した夜には母親に連絡が行ったようで、その日の夜は早速家族会議が開かれた。だが、家族の反応は予想に反して好意的で、「金銭的な援助はできないけど、応援はするよ」というスタンスだった。  こうして希声はその翌年に高校を卒業し、上京した。しばらくはアルバイトで生活費を稼ぎながら養成所の入所試験を受ける日々を過ごし、試験の合格後、特待生として養成所に入所したのは上京から半年後のこと。大手とは言えないが舞台関係に強く、実力派の役者が所属している俳優事務所だった。  そこで非常勤講師として研修生に演技指導をしていたのが三橋だった。初めてレッスンを受講したときに感じたのは、指摘やアドバイスは的を射ているものの、棘のある言い方をする冷たい人という印象だ。 「君のリアクションはロボットが台本を読み上げているみたいだね。せめて猿の赤ちゃんになってくれない?」  初めて受けた演技レッスンの日、事前に配られていた台本の台詞を一番に読み上げた研修生に向かって、三橋は言い放った。それまで初対面の講師に対して友好的だった研修生たちとレッスンスタジオの空気が一気に淀んだ。  だが三橋は空気が読めないのか読むつもりがないのか、一人気にすることなくお通夜状態の研修生たちに次々と台本を読ませていく。  希声も例に漏れずボロカスに演技を酷評された。希声は少子化の進んだ田舎で、何をしても大体褒められてきたのだ。特待生で入所できたことも鼻を高くする理由になり、「俺の人生イージーモードじゃね?」と勘違いもしかけていた。  どんよりと沈む研修生たちの中、それまで飴だけを与えられてきた希声にとって、鞭だけの指導がどんな空気より新鮮に感じた。  三橋が研修生に与える評価は、その後も誰が相手であっても九割が酷評、一割が及第点といったところ。研修生の誰もが三橋を避けるようになり、希声の周りも一人また一人と三橋のレッスンに来なくなっていった。  受講する研修生が希声ただ一人の日が続く中、三橋とはレッスン後に演技以外のことも話をするようになった。お互いの地元の話や映画の話、気づけば恋愛の話もする仲になっていた。ともと希声は、自分が男にも恋愛感情を抱けることを周囲に隠していなかった。  あるとき当時付き合っていた浮気癖のある彼氏の話を愚痴っていたら、他人に興味のなさそうだった三橋が食いついてきた。  三橋に興味を持ってもらったことが嬉しかった。このときにはもう三橋に好意を抱いていたのだろう。 「君は僕と一緒みたいだ」  三橋の笑顔を、希声はこのとき初めて目にした。一回り以上離れた年上の男を身近に感じ、可愛く見えたのだ。  それからレッスンのあと二人で飲みに行くようになり、数ヶ月が経った頃に希声から告白した。  告白した日の夜、三橋が住んでいたアパートで希声は男と結ばれた。満たされた夜だった。三橋の胸の中は心地がよく、こんな幸せがあるんだと希声は何度も男にキスとピロートークをせがんだ。 「僕たちは講師と研修生だ。周りの人間には決して言っちゃいけないよ」  結ばれたことを嬉しく思うあまり、関係を公言しないよう約束させられても疑問を抱くこともなかった。
1
いいね
0
萌えた
0
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
コメント

ともだちにシェアしよう!