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第34話

***  布団を頭から被って寝ていると、スマホから通知音が鳴った。カーテンの閉め切った部屋で、希声は顔半分だけ出しつつ掴んだスマホを引き寄せた。  現在の時刻は夜の八時。暗い部屋にスマホの明るい画面が浮かぶ、煌々と眩しい。目を細めながら新着通知を開けると、養成所時代の同期である和気からだった。 【退院から一ヶ月!】  メッセージの下にはふっくらとした赤ちゃんの写真が添えられている。先月の初めに生まれた和気の娘だ。生まれた直後の写真では猿のようにシワシワしていたが、生後一ヶ月でだいぶ張りのある見た目に成長したらしい。  希声は適当なスタンプを送ったあと、スマホを投げるようにして枕元に置いた。  スキルシェアサービスのサイトから琉星に契約解除のメールを送ったのは、先月末のこと。  最後に会った日、琉星が希望するなら今月分の報酬を支払わなくていいとこちらから提案した。が、日を開けて考えた結果、琉星に判断を任せるのではなくやはりもらわない方がいいだろうと希声は考えた。  依頼を受けた側が一方的に解約してほしいと切ったのだ。それに自分は琉星に対して、満足にサービスを届けることができなかった。報酬をもらうなんて、以ての外だと思った。  琉星から返信が返ってくることはなかった。中途半端な状態での解約に納得していないのだろう。が、サイトの運営から【サービス完了】の通知メールが来たことで、希声が提示した契約終了の意向を琉星が受け入れたことを知った。  サービスの取引が完了したら、依頼主側は任意で評価をつけることになっている。酷評をつけられても構わないと思っていたが、評価についても琉星からのアクションは届かなかった。  亡くなった相手との幸せを願う言葉を口にするなんて、自分でも酷いことを言った自覚はある。あの一言で完璧に嫌われた。顔を見せられないほど傷つけた。もう二度と会わなくて済むのだ。  年末年始はずっと自宅にこもっていたせいか、曜日の感覚がない。今日は一体何日で、何曜日なんだろう。  はあ、とため息を吐きながら希声はベッドから足を下ろした。寝すぎたせいで頭が痛い。こめかみを手で押さえてカーテンを開ける。  三が日も過ぎ、アパートの前に住む一軒家の隣人が自宅の玄関ドアに取り付けた正月飾りを外している姿が見えた。希声は季節のイベント事に部屋や玄関を装飾するようなマメな趣味はない。だがここ数年は、ハロウィンやクリスマス、正月といったイベントには結樹アイオの姿で特別生配信をしていた。  後ろを振り返り、デスク周りに目をやる。暗いモニターやキーボード、マウスは埃を被り眠っている。  結樹アイオの活動休止からどれぐらいの時間が経っただろうか。クリスマスも正月も特別生配信をしていないということは、休止から約二週間ぐらいだろうか。あっという間だった。  琉星に対する気持ちは、自分が思っていた以上に体の奥まで巣食っていた。琉星に自分の本当の姿を晒してしまったこと。酷いことを言って傷つけたこと。もう二度と会えないこと……。すべて自分で蒔いた種だ。百も承知だが、生きがいとさえ思っていた動画配信ができなくなるぐらい、希声はメンタルがやられていた。  スキルシェアサービスのサイトでの活動も新規での依頼を一時停止し、今は休止している。年末年始ということもあって舞台関連の依頼はないものの、この二週間、何も手につかない状況だ。いつもなら少しずつ確定申告の準備を始める時期だが、それにもまだ手をつけていない。  年が明けた直後に、一度だけ結樹アイオの最新動画のコメント欄を開いた。一部アンチコメントもちらほらとあったが、ほぼチャンネル登録者の労いコメントで溢れ、逆にいたたまれなくなった。琉星に感情を爆発させたときは本当の自分を見てくれる人なんて誰もいない、とネガティブな気持ちになった。  しかし実際、結樹アイオで活動することは決して自分を偽っているわけじゃないと前からわかっているのだ。中身はほぼ自分そのもので、結樹アイオに頼っているのはむしろ外見なのだと。  それで満足していたはずなのに、自分はどうしたんだろう。大嫌いだった外見も、琉星には認められたいと思っていたのだろうか。  ――こんな顔? すごく綺麗じゃないですか。  以前琉星と食事したときに言われた言葉をふと思い出す。見た目を褒められてあんな気持ちになったのは初めてだった。恥ずかしくて自分の気持ちに気づかない振りをしていたが、あのときの自分は確かに嬉しかったのだ。 「クソ……めちゃくちゃ引きずってるじゃねえかよ」  琉星のことを思い出していると、顔が火照るように熱くなる。誰に見られるわけでもないのに、希声は手で顔を覆った。喉の奥が締め付けられるみたいに苦しい。琉星のことを考えると涙が出そうになる。  泣き虫で我儘で、今も亡き恋人一筋の男のどこに惹かれたのか、いくら考えたってわからない。でも好きになってしまった。気づいたときには手遅れだった。  はあ~……とため息を吐きながら、顔面からベッドに倒れる。こんな風に誰かのことを好きになるのは初めてだった。まるでぬるま湯にずっと浸かっているみたいに心地よくて、どこか息苦しい。  この想いはいつになったら消えるんだろう。静かに絶望していると、空腹で腹がぐぅと鳴った。恋に煩っていても悩んでいても、体は正直なものだ。
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