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第38話
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話し終わる頃には、最初に流し始めた結樹アイオの動画は終わっていた。別の動画に変わり、希声はプロジェクターの電源を消した。
「っていうのが、俺が三橋を見てパニックになった理由だよ。どう? 聞くんじゃなかったって思っただろ」
知らず知らずのうちに男たちに体を売っていたこと、三橋の策略に乗せられ複数の男たちに輪姦されたことを話しているとき、琉星はあからさまに信じられないというような表情をしていた。眉間に汗が溜まるほど顔をしかめていた。
「笑っちゃうよな。いいように利用されてることにも気づかないでさ」
希声の笑い声が、音の消えた部屋に虚しく響く。
「一途な琉星君には理解できないかもしれないけど、こういう人間もいるんだよ」
「……そんなこと言わないでください」
静かな抵抗が、琉星の口から漏れ出る。
「希声さんだって一途だったわけじゃないですか。なんて言うか、ただ……」
「男を見る目がなかった」
代わりに言うと、琉星は訂正するように「希声さんじゃありません、相手が悪かったんです」と言った。気を遣われているのだろう。
「つらいことなのに話してくれてありがとうございました」
と言われても、どういたしましてと言う気にはなれない。
「気にしなくていいよ。琉星君に言われたときはそんなわけあるかって思ってたけど、話したら意外とスッキリしたし」
バツが悪そうに、琉星は「すみません」と謝罪の言葉を吐いた。無理やり過去を聞き出したことに対して謝っているのだろうか。そう思った次の瞬間、琉星は言った。
「知らなかったとはいえ、俺、希声さんに過度なスキンシップをとってましたよね」
ドキッとした。過度なスキンシップ――思い出されるのはカラオケでの一件だ。ハルの生前に予約していた結婚式場の手違いで、琉星宛にあたかもハルがまだ生きているかのようなハガキが届いたのだ。そのときに感じた心の内を、あの日カラオケの一室で琉星は涙ながらに吐露していた。
自分の手をハルの手だと思っていいかと訊かれた。希声は了承し、琉星に散々愛の言葉とともに手の甲へとキスを落とされた。
苦しくて堪らなかった。だけど琉星に手を好きにさせたのは、琉星のことが好きだったからだ。何とかしてやりたいと思った。自分のことを見ていないことは分かりきっていたが、愛していると言われて錯覚した。自分が言われているような気になって、夢を見ているみたいだった。
自分がどう思っていたかなんて言えない。琉星の中にハルがいる以上、自分は気にしていない振りをしなければいけない。希声は強がって言った。
「手を繋いだり手にチューするぐらい、過度なスキンシップにはならないんじゃない?」
「そうでしょうか。俺はそういうスキンシップは恋人としかしたことがなかったので……」
「それは琉星君の基準だよね」
笑うと、琉星はムッとした目で希声の方を見た。
本来の琉星は手を繋ぐことや肌を重ねることは、恋人以外の人間とはするべきではないと考えているタイプの人間なのだ。だとしたら、希声の手にすがってきたときの琉星はよっぽど参っていたんだなと改めて思う。
「俺は琉星君とは正反対の恋愛してきたからさ、手にチューされるなんておままごとみたいなもんなのよ」
「希声さんのは恋愛じゃないです」
きっぱりと否定される。確かにそうだ。あれは恋愛じゃなかった。自分は大人にいいように利用され、犯罪に巻き込まれたのだ。
わかっていたが、認めたくなかった。亡くなった恋人のことを今もなお真摯に想い続ける琉星を見ていると、あまりにも自分が汚れた存在のように思えてくるからだ。
だけど、琉星のそういうところに惹かれたのも事実だった。琉星を見ていると、こんな風に誰かを想いたい、想われたい、そういった欲が出てきてしまう。とっくに諦めたはずの未来に憧れてしまう。
琉星と出会ってまだ数ヶ月しか経っていない。それでもわかったことがある。この人はこれからも死んだ婚約者のことを愛し続けるだろう……と。
だったら、と希声は酒をデスクの上に置いた。最後の思い出ぐらい欲しくなった。琉星の心に、どうせ自分が入る余地なんて微塵もないのだ。最後ぐらい我儘になってもいいだろうか。
「じゃあさ、琉星君の言う恋愛ってやつを俺に教えてよ」
希声は椅子の上で折っていた膝を下ろした。
「恋愛ですか?」
「そう。琉星君は今まで付き合ってきた相手とどんなことしてたの?」
琉星は目を斜め上にやる。
「そうですね、休みの日に一緒に出掛けたり、毎日連絡取り合ったり……かな」
「あとは?」
「あ、たまに旅行にも行ってました。あとは記念日を祝ってちょっと豪華なものを食べたり」
「本当にそれだけ?」
希声は椅子から立ち上がり、「他にもあったかなぁ」と首を傾げて考える男に近づいた。相手の視界に入るように目の前でしゃがむ。
「こういうことは? しなかったの?」
琉星の頬を手で挟んだタイミングで、琉星の目がギョッと希声を捉えた。
「えっ、あ、希声さん、ちょっ――」
頭の角度を変えて、希声は無理やり相手の唇に自身の唇を重ねた。少し湿った唇は怯えるように固く閉ざされていた。自身の鼻腔からビールの匂いがこみ上げてくる。舌で相手の唇を割ろうとした、次の瞬間だった。
希声は正面から肩を強く弾かれた。その衝撃で体が後ろへと吹き飛び、デスクの脚にガンッと背中を打った。
痛みに顔を歪ませながら、頭をゆっくりと上げる。つい今まで目の前にいた男と自分の間には距離ができていた。琉星はハア、ハア、と肩で息をしながら、希声を突き飛ばしたままの体勢で固まっていた。
「ご、ごめんなさい……俺……っ」
希声を突き飛ばした自身の両手を見つめる。額には汗が滲んでいる。震えながら、琉星は「ごめんなさい」と繰り返した。
「想像通りの反応だったから、べつに」
傷ついていないと言ったら嘘になる。それよりも「やっぱりな」と諦めの気持ちの方が大きかった。
「俺の方こそ悪かったよ。急にキスなんかして」
琉星はそれには応えず、口を手の甲で拭きながら希声の体を心配した。
「痛くなかったですか? 俺思いきり突き飛ばしちゃったから……」
残酷な男だ。心配の言葉を掛けられないことより、口づけた唇を目の前で拭かれることの方がよっぽど傷つくというのに。訊いてこないということは、自分がどうしていきなりキスをしたのか、この男は気にならないのだろうか。
「痛かった」
打った背中の痛みは大したことない。だが心は琉星のことを好きだと気づいてから今まで、ずっと痛かった。
「本当にごめんなさい! 怪我はしてませんか? 湿布とか買ってきましょうか? あ、病院行くなら言ってください。俺タクシー呼びます」
慌てる男の提案を「大袈裟」と言って跳ね除ける。
ふとこの状況を利用しようと思った。これまで自分だけが琉星に転がされているような気がしていた。あわあわしている男を見て、ざまあみろという気持ちが湧いた。
嫌われる覚悟で、希声は口を開けた。
「じゃあさ、一ヶ月間俺と恋人同士みたいに付き合ってよ」
へ? と間の抜けた声が男の口から漏れる。
「付き合うって、俺と希声さんが、ですか?」
「そうだよ。俺恋愛を教えてって言ったじゃん。さっきのだけじゃ、わかんないし」
「む、むりです」
琉星はふるふると首と手を横に振った。
「いいじゃん。俺は契約外のこと、結構君にしてきたつもりだよ?」
「そ、それは」
思い当たる節がたくさんあるようだ。琉星は所在なさげに目を床にやった。
「琉星君も俺も線引きが下手だったな。最初は俺も勘違いだと思ってたんだ」
「勘違い……?」
「恋愛を教えてほしいだなんて、本当は思ってない。いや、ちょっとは思ってるかな。でも本当は……本当は俺、琉星君のことが好きになっちゃったんだよ」
直後、琉星の口から「え」と声が落ちた。
「悪いけどハルさんなんて忘れちまえって思いながら、琉星君の前でハルさんの声やってた」
驚いた表情を浮かべた琉星がゴクリと息を吞む。沈黙が部屋に漂う。
「俺も大概だろ?」
泣きそうになるのを堪えながら、希声は静かな部屋の真ん中で顔をくしゃっとさせて笑った。
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