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第40話
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唯一空いていたのは、ダブルサイズのベッドが壁際に沿って置いてある黒を基調とした部屋だった。いかにもラブホテルといった内装で、ベッドの枕元にははめ込み型のリモコンが設置されている。壁の至る所に鏡が埋め込まれており、気が落ち着かない代わりに興奮を煽る仕組みになっているのだろう。
意を決し琉星を誘ってから、希声たちは男性同士も入ることのできるラブホテルを見つけて足を踏み入れた。駅とは反対方向の飲み屋通りを進み、風俗街の路地にひっそりと建つラブホテル。少し古い造りだが、外装や内装にこだわっている場合ではなかった。
いまだに自分がこの場所にいることが信じられない。バスローブを着ている自分や、浴室から聞こえてくるシャワーを浴びる音に、現実を感じることができなかった。
「さすがに今日はしない……よな?」
ソファの端っこで縮こまる。琉星の厚意で希声は先に風呂に入らせてもらった。その際に一応できる範囲で後ろの準備はしたが、心の準備はどう頑張ってもできなかった。
さっき琉星からするつもりはないとはっきり言われたのだ。期待するだけ無駄だ。でも密かに準備したということは期待している自分もいるわけで……。
不安に緊張、期待がせめぎ合い、どうしていいかわからなかった。ホテルに入る前にコンビニで買った酒を飲みながら、希声は琉星がシャワーに入っている時間をやり過ごした。
琉星が風呂から上がる頃には、希声の手にある缶チューハイは三本目に突入していた。酒に弱い方ではないが、強くもない希声が酔うには十分な量である。希声と同じバスローブを着た琉星は、希声の前に現れた瞬間「ペース速いですね」と苦笑いした。
「速くねえよ。普通だよ」
希声はここに座れと言わんばかりにソファを叩いて琉星に缶チューハイを渡した。
酒が回っているのか、やけに琉星に絡みたくなる。プルを開けた琉星の缶に「ウェーイ」と自身の缶を勢いよくぶつけて乾杯すると、相手の缶口から酒が少しこぼれた。
それから地上波のバラエティ番組を見ながら、一時間近く二人で酒を飲んだ。琉星は本当にするつもりはないらしく、希声との間にはずっと人一人分のスペースを開けてソファに座っていた。
期待していた分ちょっとショックだったが、自分もどうせ心の準備はできていない。酔った勢いでそういう雰囲気に持っていく方法も知らないのだ。
一度だけ酔ったノリで「このあとヤッちゃう?」と冗談っぽく言ってみたが、
「その頃には希声さんが潰れてそうですね」
と上手くかわされた。
まあいい。しょうがない。ホテルに入って酒を飲み、朝まで一緒にいられるだけでも十分だ。希声は自身にそう言い聞かせ、テレビを観ながら酒を飲んでいる琉星の横顔を盗み見た。
その後も酒を飲み続け、最終的にコンビニで買う値段の倍ほどする缶チューハイを、ホテルの冷蔵庫から取り出した。
記憶が無くなったのは、そのあたりからだ。いつの間にか寝ていたらしく、目が覚めたときは部屋が真っ暗だった。
ぐるぐると回る意識の中、うっすらと目を開ける。が、部屋の照明は落ちているので何も見えない。はだけた脚と指先でシーツの感触を感じ、自分がベッドの上で寝ていることを知る。
頭が痛かったが、体を動かすのも億劫だ。琉星はどこで寝ているんだろう……と首を横に倒すと、ベッドの端に腰掛けた琉星の後ろ姿が目に入った。
猫背気味に手元の何かを見ている。手元がぼんやりと光り、琉星の顔の下半分をわずかに照らしている。
何を見ているんだろう。気になっていると、琉星が「はあ」とため息をついて、スマホをベッドの上に置いて立ち上がった。びっくりして思わず寝たふりをしたが、ただトイレに行くだけのようだった。
琉星がトイレに行ったあと、悪いと自覚しながらも希声は上半身を起こした。画面を上にして置いてある琉星のスマホを、恐る恐る見た。
そこに映し出されていたのは、満面の笑みを浮かべたハルの写真だった。ハルの誕生日を祝ったときに撮った写真なのか、ハルは自身の名前が書かれたプレートを乗せたケーキを両手で支えながら、嬉しそうにしていた。
一気に酔いが醒める。ドクン、ドクン、と遠くから襲ってきた動悸が近くに聞こえ始める。アルコールで上がった体温が、冷や汗でどんどんと下がっていく。
そのとき、流水音とともにトイレのドアがガチャッと開いた。琉星が戻ってきたようだ。琉星の姿が視界に入る前に、希声は壁側に体を横向けて寝ているふりをした。
少しでも期待した自分が恥ずかしかった。琉星はハルのものだ。最初から……出会ったときから他人のものだった。わきまえろ、ともう一人の自分が耳元で囁き続ける。
琉星がソファに移動する足音が聞こえてくる。希声は瞼を強く綴じながら、枕をギュッと握った。
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