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第41話
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動物園デートから数日が経ったあとも、琉星は希声を誘い出してくれた。希声が以前から観たかった洋画を観に行ったり、新大久保で食べ歩きをしたり。SNSで流行っている原宿のカフェで写真映えのするスイーツを食べた帰りには、表参道の店を見て回った。
それはビル街の中心でイルミネーションに彩られた並木道を歩いているときだ。歩行者専用の道の真ん中で、若い男性演奏者が世界的に有名な恋愛映画のテーマ曲をストリートピアノで弾いていた。
琉星と手を繋ぎながら歩いているこの時間が、あと半月もしないうちに終わってしまう。そう思ったら、今こうしている時間がかけがえのないものに感じた。
「泣いてるんですか?」
思わず立ち止まって演奏に耳を傾けていると、琉星が不安そうに顔を覗いてきた。ぶっきらぼうに言い放つつもりだったが、「泣いてねえよ」と言った声は、意図せず震えてしまった。
初めてデートをした日、琉星がハルの写真を見ながらため息をついていたあの夜が、希声はどうしても忘れられなかった。良くも悪くも自分の立場を十分にわきまえているつもりだが、琉星がため息をついた理由を考えると落ち込んだ。
やはり琉星は無理して自分に付き合っているのだ。本当はデートする相手がハルであったらどれだけいいか……そう思っているんだ。自分と一緒にいても、隣に並ぶ肩や繋いだ手がハルのものだったらどれほどいいかと亡き恋人のことを想っているのだ。
ハルの代わりになれない自分が歯がゆかった。早く琉星を解放させてあげなければと理性では思うのに、琉星と一緒にいる時間が流れ星のように煌めいて眩しい。自分の手には収まらないほど日々が早く過ぎて儚い。
だからこそ時々考えてしまうのだ。この日々がずっと続いたらどんなに幸せだろうと。
オフィスビルの最上階にある和食レストランは琉星が教えてくれたように見晴らしが良く、都内の景色を一望できる。大きな窓には東京の夜景と、緊張した面持ちの自分の顔がうっすらと浮かんでいる。
「こちらの空いたグラスをお下げいたします。次のお飲み物はいかがいたしますか?」
鍋でしゃぶしゃぶした豚肉にゴマダレをつけていると、和服姿の女性従業員が丁寧な接客で尋ねてきた。
「じゃ、じゃあ水で」
希声に続き、琉星が「俺はウーロンハイでお願いします」と注文する。空いたグラスとともに店員が希声たちの掘りごたつ席から離れたところで、希声は琉星に小声で訊いた。
「ここ、結構いい値段するだろ?」
琉星は箸を止める。気まずそうに「まあ」と答えた。
「俺今日そんなに手持ちないんだけど。まあカード使えばいけるけどさ」
琉星と初めて食事した日も、疑似恋愛を開始したあとも琉星と行くのはいつも庶民的な居酒屋やレストランばかりだ。今日も何も言われなかったので、例に漏れず夜は適当にネットで探した店に行くものだと思っていた。
「今日は俺持ちです。気にしないでください」
琉星はそう言うと、「だから、はい」とドリンクメニューを渡してきた。
「希声さんは好きなものを飲んでください」
「そう言われても……」
食事の会計は、端数についてはどちらかが多く出すことがあってもなるべく割り勘にしてきた。どうして急に全額持つ気になったんだろうか。何か事情があるんじゃないかと希声は相手の表情を窺った。
こちらの不審がる視線に気づいたらしい。琉星はチラッと希声に目をやると、観念したように肩の力を抜いた。
「来週の休みが水曜日と木曜日なんですけど、その二日間は会えないので」
「会えない?」
「はい。ちょっと用事があるんですよ。丸々一週間恋人らしいことができないから、今日はせめてかっこよくキメた方がいいかなって」
「仕事が終わったあとも会えないのか?」
言ってから、琉星の仕事は終わる時間が遅いことを思い出す。「や、やっぱ今の無しで」と自分の発言をそそくさと撤回する。
まるで一週間も会えないことが寂しいみたいじゃないか。こちらの好意は琉星に知られているけれど、寂しがっている感情をぶつけるのは相手の重荷になると思った。
どこまで訊いていいんだろう。疑似恋愛とはいえ、今自分は琉星の恋人なのだ。用事が何なのか訊いても大丈夫だろうか。嫌な思いをさせないだろうか。
「あ、あのさ……用事って何?」
いかにも興味ない風に質問したつもりだが、却ってわざとらしかっただろうか。不安になりながら琉星を見ると、相手は言いにくそうに希声の目を見て言った。
「来週の水曜日……一月十八日はハル君の命日なんです」
その名前を琉星の口から聞いた瞬間、頭が真っ白になる。すぐには反応を返せなかった。
「そっ……か。そりゃ仕方ないっつーか、ちゃん……としねえとな」
「はい」
ちゃんとうまく返せた自信がない。
ハルの命日――琉星がハルに永遠に会えなくなってしまった日。そんな大事な日に自分が邪魔していいはずがない。
わかっている。わかっているのに、頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃に襲われた。こういうとき、自分はどういう反応をしたらいいか捉えられない。笑って誤魔化すことしかできなくなる。
ちょうどそのとき、「お待たせいたしました」と先ほどの店員が水とウーロンハイを持ってきてテーブルの上に置いた。希声は「すいません、もう一つウーロンハイお願いします」と作り笑顔で店員に注文する。
再び二人きりになってから、希声は笑顔を保ったまま背もたれに寄りかかった。独り言のように、「はは……俺も行きてーなー……ハルさんの墓参り」と言ってから水を飲む。
絶対に叶わないであろう願望を試しに言ってみる。グラスに口をつけながら顔色を窺うと、琉星は案の定困惑した表情になっていた。
「ごめんなさい。場所が静岡なんです。それにハル君との共通の友人と一緒に行くので、一緒には……」
目を逸らされる。ああ、やっぱりな。希声は「冗談だよ」と笑い、水の入っていたグラスを一気に空にした。
「そ、その代わり、今日は希声さんの言う事を何でも聞きますから!」
琉星は息巻いて胸を叩いた。
「あ……もちろん、聞いてからじゃないとできるかできないかわからないんですけど」
自分で言っておきながら途端に自信をなくしたのか、語尾が小さくなっていく。そんな男を見て、希声は傷ついた心の隣で可愛いなと思った。少し困らせたくなる。
「それって、俺のわがままを聞いてくれるって認識でオッケー?」
テーブルに肘をつき、希声は精一杯ニヤッと笑う。
「はい。できるだけ聞きたいと思ってます!」
「琉星君さ、俺が君のこと好きだってわかってて言ってるんだよね?」
琉星はハッと思い出したように顔を真っ赤にする。そっぽを向き、「わ、わかってますよ……」と口を尖らせる。
「じゃあさ、部屋に行きたい」
「え。部屋……ですか?」
誰の部屋か理解できずに復唱したわけではないだろう。誤魔化されるのを阻止したくて、希声はもう一度言った。
「うん。連れていってよ。琉星君が暮らしてる部屋」
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