45 / 53

第45話

 食料や飲み物の入ったコンビニの袋を手に提げ、アパートに戻る道の途中だった。家のトイレットペーパーが無くなりそうだったことを思い出し、希声はあっとその場で立ち止まった。そのときだった。さっきから自身の後ろで誰かが歩いていることには足音で気づいていたが、希声が足を止めた瞬間に後ろの足音もピタッと止んだのだ。  え、と希声は途端に背中が心許なくなり、首は正面を向いたまま目を最大限後ろへと移動させた。見えない背後を警戒する。トイレットペーパーのことなど一瞬で頭から消え去る。  誰か後をつけてる……?   いや、勘違いかもしれない。希声は恐る恐る右足を一歩前に出し、助走をつけて歩き出す。希声が徐々に早歩きになると、後ろの足音もコツコツコツ、と希声と同じ速さのリズムで歩き出した。  まずい。絶対につけられている。後ろの足音が自分の足音と重なるにつれ、希声は確信した。  早く家に帰りたかった。でもこのまま帰ったら家の住所と場所がバレてしまう。どうしよう、どうしよう、どうしよう……っ。  どの行動をとるのが一番の正解だ? 焦りで頭がぐちゃぐちゃだった。  スマホの着信音が鳴ったのは、とりあえずこのまま駅に向かおうとしたときだ。藁にも縋る思いでスマホの画面を見ると、電話を掛けてきた相手は琉星だった。  琉星の名前が目に入った瞬間、希声は間髪入れずに通話ボタンを押して耳に当てた。 『希声さんですか? すみません、突然電話してしまって――』 「琉星君いまどこにいるっ?」  切羽詰まった勢いで琉星の声を遮る。思ったよりも自分は追い詰められていたようだ。 『え、今ですか? 東京駅です。今ホームでもうすぐ新幹線に乗るところですけど……』  鬼気迫る希声の声に戸惑いながらも、琉星は答えた。確かに琉星の電話越しから、プラットホームで鳴り響く駅員のアナウンスが聞こえてくる。雑踏のガヤガヤ音や、友人と思われる人たちの話し声も聞こえた。 『どうかしたんですか?』  琉星はこれから静岡に行き、ハルの墓参りに行くのだ。そういえば今日から行くと連絡をもらっていたが、ここ数日は例のメールに心砕かれ琉星に返信する余裕もなかった。  琉星の邪魔はしたくない。そう思っていたはずなのに、今すぐ助けてと、傍に来てほしいと叫びたかった。 「い、いや……なんでも、ない。そっちこそどうしたんだよ。旅の直前に電話してくるなんて」  震えそうになる声を咳払いで誤魔化しつつ、希声はなるべくいつもの口調で尋ねた。 『えっと、ですね……希声さんはお土産なんていらないって言ってましたけど、俺買ってきますから』  たったそれだけのために電話してきたのだろうか。他にも何か言いたいことがあるのかと思ったが、琉星はそれだけ言うと『だから待っていてください』と続けた。  拍子抜けして、思わず「え、それだけ?」と心の声が口に出る。 『それだけですよ!』  ムキになる男に、恐怖心と警戒心で凝り固まっていた顔がわずかに綻んだ。 『希声さんは今何してるんですか?』 「俺は……メシ買いに外出てる」  まさか今まさにストーキングされているかもしれないなんて伝えたら、余計な心配を掛けてしまう。 『またコンビニですか? たまにはちゃんとしたものも食べてくださいよ。今度俺が作りに行きますから』  そのときだった。自身の背後にピッタリとくっつく人の気配を感じた。琉星のおかげで解れかけていた全身に、棘が刺さったかのような緊張感が走る。  スマホを耳に当てたまま、希声は怖々と後ろを振り返る。そこには蠟人形のように血の通っていない眼鏡をかけた無表情の男が、じっと希声を見下ろしていた。三橋だった。 『希声さん、聞いてますか?』  希声が応えないのを不自然に思ったのか、琉星が何度も希声を呼んでくる。その声が徐々に遠くなっていくのを感じながら、希声は無意識のうちに口走っていた。  たすけて。

ともだちにシェアしよう!