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第47話

***  警察と救急車が到着したあと、希声は救急隊員によって救急車に乗せられた。三橋はその場で逮捕されたようで、希声が担架で救急車に運ばれる際にチラッと見たときには、その手にはすでに手錠を掛けられていた。  琉星はそのまま事情聴取と現場検証に立ち合うことになるらしく、ろくに話すこともできず現場となった希声のアパートで別れる羽目になった。  その後、希声は運ばれた病院で全治一ヶ月と診断された。骨折は免れたものの全身の打撲や頬の腫れが酷いこと、自宅が事件現場となり、現場検証でしばらく帰れないことを理由に、少なくても十日間は入院することを余儀なくされた。  三橋は八年前の売春斡旋で一度逮捕起訴されており、その際に懲役三年執行猶予四年の刑罰を言い渡されていたらしい。今回はギリギリ執行猶予期間中に起こした事件だそうで、再び収監されることは明白だと警察から聞かされた。  入院中、連日の事情聴取で希声は休まることがなかった。今回の事件は、前回逮捕された原因が希声にあると思い込んでいた三橋の勘違いが引き起こしたという。  前回の逮捕について、実際は別の被害者からの通報だったそうだ。が、希声が三橋の前から消えた時期と通報の時期が重なったことで、三橋は希声と希声が相手するはずだった演出家の二人が協力して自分を陥れたのだと逆恨みしたらしい。  自分が逮捕されたのも、職や世の中の信用を失ったのも希声たちのせい。この恨みは必ず晴らしたいと復讐を切望していたが、大物すぎて演出家には手を出すことができない。  一方的に恨みを募らせていたそんなときだった。たまたま動画共有サービス上で見つけたのが、希声の声で喋る結樹アイオだったと自供したそうだ。結樹アイオが動画内で喋る雑談から生活圏内をあぶり出したあと、実行に移したという。  警察からは、 「今からでも被害届を出した方がいいですよ」  八年前の件について説得されたが、希声は断った。被害届を出せば、裁判に巻き込まれる可能性がある。裁判となると、またあの日々のことを思い出さなければいけなくなる。  三橋の刑を公平に裁くためには、そうした方がいいのかもしれない。しかし裁判とはいえ、これ以上三橋に支配される日常を送りたくなかった。当然三橋に同情なんてしていない。それこそ収監先で死んでも、誰かに殺されてもああそうですかとしか思わない。  それだけ関わりたくないのだ。自分の人生のわずかな時間さえ、三橋に心を砕きたくない。自分の望んだ刑罰より軽かったとか重かったとか、そんなことに一喜一憂したくない。  ただ今回の件については、琉星や自宅アパートの管理会社と隣人も巻き込んでいる。ストーカー行為と監禁行為については、被害届を出すことにした。  傷も完全には治っていないし、今後のことを考えたり管理会社と部屋の損害について話したり、証拠の提出や保険の手続きといった、やらなければいけないことはまだまだ残っている。とはいえ警察の事情聴取を終えて被害届を出した夜、希声は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。  三橋の恐怖に怯えながら眠りについていた夜は、ベッドに入ってもほとんど眠ることができなかった。連日の睡眠不足も、判断を鈍らせる材料になっていたのだと反省した。  入院してから一週間が経つ頃には、顔の腫れはだいぶ引いた。口内の傷も舌で触らなければ存在に気づかないほどに塞がり、耳も空気が入っているような感覚はまだ残るものの、以前と変わらず周囲の音が聞こえるようになった。  このまま順調にいけば、あと三日ほどで退院できるらしい。担当医から言われると、嬉しさと同時にあのアパートで暮らせるのだろうかという不安が頭をよぎった。窓ガラスの破損という物理的な理由もあるが、一番は精神的な理由だ。  しばらくはネットカフェかホテルに滞在することになりそうだな。医師と退院日を決めながら、希声はそう思った。  診察が終わり病室に戻ると、部屋の前に誰かがいた。警察の出入りがあるということで、希声の病室は個室だ。大人数部屋とは違い、部屋の前にいるということは自然と希声に用事のある人間だけになる。  見舞い客が琉星だと気づくのに、時間はかからなかった。約一週間ぶりの再会だ。最後に顔を合わせたときの自分はボロボロで、しかも琉星の胸の中で子どものように号泣した。どんな顔をして会えばいいかわからなかった。  自然と足取りが重くなる。院内スリッパが床を擦る音を拾ったのか、琉星がこちらを見た。目が合った瞬間、 「希声さん……」  琉星の目が震える。 「ひ、久しぶり。来てくれたんだな」  緊張の中、希声は作り笑いをした。琉星はそれに笑い返すことなく、複雑そうな暗い顔を隠すように、希声に向かって深々と頭を下げた。

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