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第49話

「希声さんに依頼しておきながら、実際はハル君を忘れることが怖かったんです。だから希声さんから無理して忘れる必要ないって言ってもらったときは、肩の荷が下りました」  でも、と琉星は続けた。 「いざ希声さんにハル君の声で別れの言葉を言ってもらったあと、どうなるんだろうなって。俺がその言葉を頼んだら、もう希声さんには会えなくなるんだよなって……」  同時に『さようなら』の言葉をハルの声でもらったら、自分はハルへの未練を断ち切らなければいけなくなる。ハルと出会ってから亡くなったあとも、ずっとハルのことだけを想っていた。希声に惹かれる気持ちがありつつ、ハルを忘れることも怖かったと琉星は正直に言った。 「だから依頼でなんて言ってほしいのか、なかなか教えてくれなかったのか」  希声はふうと納得の息を吐く。琉星が何を考えていたのか、ようやくしっくりきた瞬間だった。琉星は「すみません」と小さくなる。  琉星も自分も人間だ。相反する気持ちが同時に湧き、揺れることだってある。琉星の気持ちはごく自然なものだと思った。  だからこそ、希声は思う。この依頼は引き受けてはいけないと。 「俺も言ってあげたいけどさ、それって違うんじゃねえかな」 「え?」 「ここで俺がハルさんの声で別れの言葉を言ったら、琉星君は一生ハルさんのことを忘れられなくなると思う。ハルさんを思い出にするなら、ここで区切りをつけるんじゃなくて、自然の流れに任せた方がいいんじゃないか?」  ふと見ると、琉星はキョトンとした顔で「希声さん、何言ってるんですか」と言った。 「俺はハル君を忘れるために希声さんにさようならを言ってもらいたいわけじゃないです」  琉星はずっと握っていた琉星の手を持ち直し、自身の指に絡ませて恋人繋ぎをした。琉星の大きな手のひらに包まれる。男らしい手にドキドキした。 「俺が今好きなのは希声さんです。俺は死ぬその日まで、希声さんだけを愛していきたいんです。だから俺は……ハル君とここで、さようならをしなくちゃいけないんです」  琉星の真剣な眼差しに捕らわれる。この目は本気だ。ずっと近くで琉星が他の人を想う姿を、眼差しを見てきたのだ。間違えるはずがなかった。 「愛しています。これからも俺にあなただけを愛させてください」  琉星は指に絡ませた希声の手に優しくキスを落とした。他人のものだと思っていた言葉が今、自分に向けられている。自分のものになり始めている。それがこんなにも…… 「……っわかった」  希声はもう片方の手で、涙の沁みた目尻を拭った。ズズッと洟を啜る。いろんな感情が溢れだしてきそうだった。  今は泣いている場合じゃない。希声は軽く首周りのストレッチをしてから「あー、あー」と発声して喉の調子を整える。首や喉周りの筋肉がほぐれたところで、気を取り直して琉星と向き合った。  琉星の瞳の中に希声が映る。琉星は「よろしくお願いします」と言いながら瞼をゆっくりと綴じた。瞼の裏に浮かべているのは、どんな表情で琉星を見つめる亡き恋人の姿だろうか。  希声には見えない。知る権利もない。この時間は、ハルと琉星だけのものだから。  希声も目を閉じる。浅く息を吸い込む。薄く開けた唇の隙間からその言葉を紡ぐ。自分の声の上に、自分ではない誰かの声が重なったような気がした。  希声がハルの声を届けて少し経った頃だ。静かな病室には、琉星のむせび泣く声が響いた。

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