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第2話 贄の役目
その日、渉は朝から腹を下していた。
加えて腹がチクチクと痛む。
体が怠く、体を起こすのも辛い。
朝餉を下げにきた下女に体調が悪いことを伝え、今日は勉学を免除してもらった。
布団の中で唸っていると、不意に下肢が濡れる感覚がした。
粗相をしたかと思って飛び起きると、そこに赤い染みが広がっていた。
「ひっ」
何が起きている。
何もわからない。
下女を呼べばいいのか、それとも爺か?
驚愕して考えが纏まらないまま、膝立ちして呆然と染みを見ていると、股から太ももに赤い雫が伝い落ちた。
そして、ぱたぱたと布団に小さな染みを広げていく。
(もしかして、これが初潮?)
だとすれば隠さなければ。
渉は腹痛と体の怠さに見舞われながらも体を動かした。
股の割れ目から落ちる赤い雫は書き取り用の紙を股に挟み、手拭いを褌のようにして腰に固定した。
敷布団は掛け布団で隠し、ひとまず着物を洗い始める。
汚れた部分を水に浸すとじわじわと水が赤くなり鉄の臭いが広がった。
震える手で必死に洗っていた渉は気付けなかった。
「お前、それ……」
昼餉を持ってきた下女が渉の手元を凝視していた。
下女の声に渉は洗いかけの着物を背後に隠した。
だが、それは無意味な行動だった。
「違っ……これは」
「村長を呼んで! 半端者がとうとう月のものを迎えたわよ!」
渉の声は下女の歓喜の声にかき消された。
この下女はさぼっている時に言っていた。
自分は、本当は村長の息子に仕えるはずだったと。
なのに、半端者が逃げたせいでその役割を他の者に取られ、望まぬ相手と婚姻を交わした。
それはすべて渉のせいだと。
渉がいなければこの辛気臭い牢に食事を運ぶ仕事も終わる。
下女は、渉が贄となり死ぬことを喜んでいた。
下女の叫びを聞いた他の下女や下男、そして村長がやってきた。
渉が体重をかけて揺すってもびくともしなかった鉄の格子を鍵一本で開放し、牢の中に男たちが入ってきた。
「嫌だっ来るな……、っ離せ!」
彼らは牢の壁際に逃げていた渉の腕を乱暴に掴むと、牢の中央に引きずり出した。
男たちが渉の四肢を強く掴んで拘束し、手拭いの結び目を解くと、血に濡れた紙がべちゃっと床に落ちた。
男達はおおっとどよめき、女達は男なのに気持ち悪いだのおぞましいだのと口元を押さえている。
衆人環視の中、裸で拘束され股から血を流している辱めに耐えきれず、渉は唇を噛んで静かに涙を流した。
この体は父と母から貰った大切なものだ。
他人とは違うつくりだとしても渉は人間だ。
それをなぜ、こんなにも笑われなければならない。
恥ずかしさと悔しさと、形容できないぐちゃぐちゃした感情が渦巻いた。
「これで神に捧げることができる」
「やっとだ。これでこの村も栄える」
「ああ、このおぞましい存在と顔を合わせなくてすむのね」
彼らは口々にそう言うと、泣いている渉を引き摺って牢から出た。
男たちは普通に歩いているつもりだろうが、脚の腱を切られている渉にはその速さについていけない。
そんな渉を男たちは小突いて嘲笑した。
階段を上がり地上に出ると、股に古布を当てて汚れないように処置され、誰のものとも知れないほつれてぼろぼろになった麻の着物を着せられた。
そして、そのまま大勢の男たちに連れられて山道を歩かされた。
途中で逃げようと試みたが、体調の悪さと男たちの包囲網のためにすぐに捕まり、その度に渉の腕や服を掴む手が増えるだけだった。
踏み固められた山道を半刻歩くと、急に開けた場所に出た。
そこには小さな祠があった。
きちんと管理されているのか、全体的に古いものの綺麗だった。
村長は代表してその正面に立つと柏手を打った。
「お約束の贄を捧げる。盟約に従い、我が村に恵みをお与えください」
村長は一礼すると、振り返って顎をしゃくり男たちに指示を出した。
それに従い、渉を掴んでいた男たちは祠の柱に渉を荒縄で縛りつけた。
「外せよ! おい、ふざけるな!」
「ふざけてなどいない。これは古くからある、守神と村との盟約だ。半端者は神の贄になる。お前はまさしく半端者。神の糧になることを光栄に思うのだ」
「うるせえ糞爺! ぶっ殺してやる!」
「皆の衆、これで盟約は果たされた。まもなく訪れる恵みに感謝し、今日は祝いの席を設けよう」
泣き叫ぶ渉の声が聞こえていないかのように村長は男たちに宣言すると、彼らを下山するよう促した。
男たちは歓声を上げ、そして誰も振り返ることなく渉の元から去っていった。
「くそっ……くそったれ……っ!」
渉は泣きながら縄を外そうと踠いた。
早く逃げなければ、神とやらに食われる。
その前にどうにかしてここから抜け出さなければならない。
だが、荒縄は暴れれば暴れるほど肌に食い込むばかりだった。
やがて、雨が降ってきた。
打ち付ける春の雨は渉の体温を奪っていく。
体力も尽き果て、腹の痛みは増すばかり。
そのうち意識が朦朧とし始め、父と母の幻覚を見た。
小さな渉を抱っこして頭を撫でる父と、それを見て微笑む母の幻影を見ながら、渉は意識を飛ばした。
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