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第2話 36の言葉で紡ぐ物語 2

19 騙し絵 幼馴染が雑誌の中で高そうなスーツを着こなし、凛々しい表情で万人の前にその姿を曝け出している。執筆中は髭も伸び放題で汚らしい格好をしているというのに、だ。まるで騙し絵を見ているような気分だ。そして、彼の本当の姿を知っているのが俺だけだと思うと、腹の奥底から優越感が湧いてくる。 20 集中 執筆に過集中する悪癖を改めることにした。今まで幼馴染に寄りかかり過ぎていたのだ。記憶喪失になっている彼に負担をかけたくない。2時間毎に複数のアラームを鳴らして強制的に休息を取ると、視界が広くなった。スープを差し入れる彼にお礼を言えば、雪解けから覗く福寿草のような笑顔が戻ってきた。 21 放心 コーンスープを差し入れる。今まで、それに気付いてもらったことは一度としてない。「ありがとう」今日、初めて目を合わせ、そう返された。「どういたしまして」何とか仕事部屋から脱出した俺は、その扉の前でへたり込んだ。この胸の高鳴りはなんだ。その日、放心状態で作った料理は少し焦げていた。 22 パーツ もう一文字も書けない。息抜きに付き合ってくれと頼むと、幼馴染はドライブに連れ出してくれた。ハンドルを握る彼は新鮮で、そのパーツを凝視する。視線に気付いた彼が行きたい所があるのかと聞いてくる。それに首を振ると彼は胸を撫で下ろした。どこに連れて行ってくれるのだろうか。期待が膨らんだ。 23 靴 行き詰まった彼に見せたかった景色。それは、丘の上の展望台から見渡せる、俺たちが住んでいる街と海だった。俺はここが好きだった。ここにいると嫌なことや苦しいことから解放される気がした。それは彼も同じだったようで、その靴音は軽く弾んでいた。俺が彼のためにできること。今はこれが精一杯だ。 24 最高潮 見慣れている景色のはずだった。だというのに、彼の隣で見るそれは煌めいていた。愛しさが溢れ出し、最高潮に達する。記憶喪失を失う前の彼も同じだったのだろうか。俺は衝動に身を任せ、無邪気に笑う彼の腰を引き寄せると、半開きの唇に口付けた。間違った選択をしたのだと絶望するまで、あと3秒。 25 言伝 偶に顔を合わせる幼馴染の担当編集から電話がきた。「連絡に応えて」彼からの言伝だった。あの日から俺は彼との関わりを絶った。わからなかったのだ。自分の気持ちも、彼の行為の意味も。それがわかるまで彼と会うべきではない。繰り返す問答の果てに浮かぶのは、彼の顔と会いたいという気持ちだった。 26 歪んだ 彼のそれまでの態度から、拒絶されるとは思わなかった。その歪んだ認識が、また彼の心を切り裂いたのだ。担当編集に言伝を頼んだが、それ以降も彼からの応えはない。返事のないメールの履歴だけが降り積もっていく。彼の家にも出向いたが、その扉が開くことはなかった。彼に会いたいと心が叫んでいる。 27 期限 自分の心と膝を突き合わせ、答えを出す期限を定めた。約1ヶ月で今年が終わる。それを期限とした。そうしなければ、臆病な俺は一生ここで足踏みを続けるからだ。どの道に進んでも後悔したくない。羅針盤の針は頼りなくふらふらと揺れ動く。右へ左へと回り、行き先を示すにはまだ時間が必要だった。  28 ゆらゆら 意識がゆらゆらと覚束ない。連絡が取れなくなった俺を心配した担当編集が合鍵を使って家の中に入ると、仕事部屋で倒れている俺を発見したそうだ。「早く仲直りしたらどうですか」この進退両難の状況でどうしろというのだ。差し出されたコーンスープに口をつけても、温もりや甘さは知覚できなかった。 29 崩壊 思い悩んだ末、発熱した。思考は編んだそばから解けていく。手持ち無沙汰にアルバムを開くと、無邪気に肩を組む2人がいる。今の俺には眩しすぎた。それでも目を逸らさない。知りたい。13歳から今までの彼のことを。中学、高校、社会人とアルバムを捲るごとに胸が詰まり、呆気なく涙腺が崩壊した。 30 粒 締切を伸ばしてもらった。初めてのことだ。汚いからと担当編集に風呂場に放り込まれ、無気力なまま体を洗う。湯に体を沈めると、しばらくして爪先がむず痒くなった。それを両手で揉んでいると乳白色の水面が粒立った。違うだろう。俺に頬を濡らす資格などない。それでも、雨は蕭々と降り続けた。 31 日記 机の奥に隠された日記を見つけた。幼馴染のことと、彼を想い続ける俺の喜びと哀しみが綴られていた。『苦しくとも愛しさを止めることはできない』その一文が胸を焦がし、瞬間、記憶の奔流に呑み込まれた。ああ、俺はまた、彼を好きになったんだ。突き動かされるまま、金風が吹く夜へと駆け出した。 32 生物 空気を求めベランダに立つ。彼なしでは呼吸すらままならない生物と成り果てた。空を仰げば待宵が佇んでいる。「会いたい」「俺も、会いたかった」虚空に放った言葉に応えがある。背中に温もりが重なり、首筋を荒い息が撫でた。躊躇いはなかった。腕の輪の中で振り返ると求めてやまない彼がいた。 33 消える 孤独な背中に駆け寄って抱き締める。久方ぶりに見る幼馴染の顔は酷いものだったが、それは俺も同じだ。「好きだ」言葉足らずに遠回りをした。もう2度と道は違えない。「俺も好きだ」奇蹟の訪れに、心臓に巣食っていた苦しみが消える。互いに吸い寄せられるように唇を合わせ、熱を分かち合った。 34 終幕 俺たちの幼馴染という関係は終幕を迎えた。切望した温もりが腕の中にある。冬隣の夜に交わす口付けは熱いくらいに感じられた。胸が熱くなり言葉が紡げない。彼をよく見たいのに視界がぼやける。顔の輪郭を撫でると、温かい雫が指先を濡らした。目尻にキスをし、愛しい人と唇を重ね吐息を分け合った。 35 余白 アパートを解約し幼馴染のマンションに移り住んだ。毎日顔を合わせて会話をし、偶の週末にデートを楽しむ。穏やかで変化のない暮らしだが、心の余白があり、喧嘩すら楽しく思えた。俺には不可能だと諦めた未来が今ここにある。春のような幸せを胸に、寝起きの悪い彼のつむじに口付けをひとつ落とした。 36 言葉、本 ずっと一緒にいたはずなのに、彼と暮らし始め毎日のように彼の新しい一面を発見する。それは春の陽射しの中で微睡むような日々だ。再びすれ違うことがないよう、作家らしく言葉を尽くし愛を唄う。そして、いずれ彼と辿り着く虹の彼方に届くように、2人の人生という名の本に祝祭の言の葉を紡ぎ続ける。

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