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第4話 雪花の舞う夜に 2

外よりは断然に暖かいとはいえ、リビングに比べたら脱衣所は寒い。  服を脱ぎ、ネットに入れてから洗濯機に放り入れるとすぐに浴室に足を踏み入れる。  お風呂の栓をして給湯器のボタンを押すと、チロリンと可愛らしい音がしてお湯が溜まっていく。  敢えて蓋はしない。  その方が浴室全体が温まるからだ。  絶えず波紋を広げる小さな海を眺めつつ、水圧の弱まったシャワーを頭から被る。  それから丁寧に頭と体を洗った。  もちろん、後ろも。  今日は俺たちが付き合い始めた記念パーティだ。  当然、そういった行為もする、はずだ。  陸が伸ばしてもらった締切に追われていたため、俺たちはまだ体の関係には至っていない。  戯れにキスをして、抱き締め合い、手を繋いてベッドに並んで寝る。  それくらいしかしていない。    元はといえば、俺が飛び出して車に轢かれ、記憶喪失になったのが原因だ。  セックスのひとつやふたつ、我慢するのは当然だし、執筆に邁進する陸を支えるのは至上の喜びだ。  だけど、長年燻っていた火種は弾けるのを今か今かと待っている。  その熱が体中で暴れ回っていた。  ネットで調べたとおりに自分で後ろを準備する。  ここは陸を欲しがっている。  そして、ぐちゃぐちゃに掻き回され、穿たれるのを期待して入口がキュッと俺の指を締め付けた。  自分で自分を料理するのは変な気分だ。    羞恥に耐えながらなんとか準備を終えると、俺は並々とお湯が張った湯船に飛び込んだ。  後ろの準備をしただけで今日の羞恥心の許容量を越えた気がする。  これで陸と最後までやれるのだろうか。  とても心配だ。 「どうにでもなれ……」  あとは流れに身を任せるしかない。  元はノンケの陸だから、もしかしたら男同士でセックスできるなんて知らない可能性が高い。  最悪、俺が耐えられるかどうかは別にして、このままプラトニックな関係が続くことだって十分にあり得る。  今日は何もしないかもしれない。  そう思うと、期待と落胆が胸に広がった。    給湯器のパネルを見ると、いつの間にかお湯に浸かってから五分が経過していた。  呼び出しボタンを押すと、玄関のインターホンの様な音が反響する。  すると、磨りガラスのように加工されたアクリル板の扉を挟んで衣擦れの応えがあった。 「さっむ……」 「早く体洗ってこっち来いよ」 「言われなくても」  脱衣所から現れた陸は小刻みに体を震わせながらシャワーを手にすると、設定温度を四十度にして熱いお湯を頭から浴び始めた。    俺はその裸体を凝視する。  作家は体力勝負だからと、執筆進行に余裕がある時は筋トレやランニングに励んでいる彼の体は程よく引き締まっている。  体を洗うために腕が動くたび、背中の筋肉が浮き出るその様に胸がときめく。  美しくしなやかな背中を眺めていたかったが、俺の前が反応しつつあったため、泣く泣く視線を逸らして心の中で円周率を唱えた。  ここがベッドであったなら、こんな虚しいことはしなくてもいいのだろうか。  陸は体を洗い終わると、俺の背中に体を滑り込ませた。  2LDKの家に見合う浴槽は男二人が入るとギチギチだ。  足は伸ばせたもんじゃない。    後ろから腹に腕を巻かれ抱き締められる。  陸の顎が肩に乗り、少しぞわっとしてくすぐったい。  腰を浮かせて位置を調整すると、体勢が少しばかり楽になった。   「そういや小松さんにお礼しなきゃな」  背中で彼の鼓動を聞いていると、ふと思い出した。  小松さんには言伝を託したり、俺たちのトラブルが原因で心身不調になった陸のために締切を伸ばしてくれたりと迷惑をかけてしまった。  陸の締切が重要だったためにすっかり忘れていたが、何かしなければ気が済まない。   「それな。何あげたら喜ぶかな」 「わからん。無難にギフト券とか?」 「俺は一応取引先? だからな。金券は受け取ってもらえないんじゃ?」 「確かに。そうすると消え物がいいか」  消え物にしたって何がいいだろうか。  がっつり食べられる肉や魚か、甘いお菓子か。  はたまた出汁なんかの調味料がいいのか。  小松さんが飲めるなら酒でもいい。   「あ……」  思考を巡らせていると、斜め上からぽろりと音が転がってきた。   「何? なんかいいのあった?」 「いや、いい」 「なんだよ気になるじゃん」  陸は何かを具体的に思い描いているようだった。  だが言いたくないようで、その唇を一文字に引き結んでいる。  刺さりそうなほどの視線を向けると、深いため息をついて口を開いた。   「大地のご飯が羨ましいって言ってたの思い出した」 「ああ、じゃあ作るか」 「嫌だ」 「なんでだよ」 「大地の飯、誰にも食わせたくない」 「仕事で作ってるんだけど」 「違う、プライベートって意味」 「心が狭いな」 「狭くて結構」 「じゃあどうすんのさ」  すると、陸はまた口を引き結んだ。  お礼をするなら小松さんの望むものにしたい。  その気持ちは陸も同じなはず。  あとは気持ちとどう折り合いをつけるかだが……。   「三人で食事会ならどうだ?」 「それなら、まあ」 「陸の好きなやつ作るからさ」 「わかった、頼む。俺は美味い酒でも買ってくる」 「了解」  陸は妥協案を出せば納得してくれた。  渋い顔をした彼に擦り寄って顔を寄せ、僅かに窄められた唇を食んで宥める。  すると、貝のように固くなっていたそこは次第に綻んでいく。    防戦一方だった陸のスイッチが切り替わった。  唇を執拗に舐めていた舌を口内に迎え入れるとすかさず上顎を嬲られ、全身にカッと火が回る。  夢中で口付けを交わしていると、熱に浮かされてクラクラしてきた。 「上がろう」  俺の様子を見た陸が腰を支えてお湯から引き上げる。  その判断は正解だ。  俺はキスに酔っていたと思っていたが、本当はのぼせていただけだった。    危ないからとバスタオルを敷いた床に座らされ、キッチンから持ってきた冷たいお茶のペットボトルと、コップに入った常温のミネラルウォーターを手渡される。  ペットボトルは首に当て、ミネラルウォーターを飲んでいる間に全身を優しく拭いてもらい、服も着せてもらい、ドライヤーもかけてもらった。  至れり尽せりだ。

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