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第5話 雪花の舞う夜に 3

陸の支度が終わると手を繋いで飾り付けをしたリビングに向かった。  そこはシーリングライトは消され、間接照明とイルミネーションライトの電球色がそこを優しく包み込んでいた。  俺は陸に連れられてバルーンひしめくソファに腰を下ろした。 「大地はここで待ってて。飯の準備してくる」 「ごめん。よろしく」 「任せとけ」 「あ、俺の鞄の中にスープジャーがあるんだけどさ。その中にミネストローネがあるからそれも出してくれる?」 「おう」  サムズアップした陸は頼もしい。  だが、少し心配だ。  俺が記憶喪失になった後から料理や掃除その他諸々の家事をきちんと自分でするようになった陸。  当然、その手際や出来は満点に届かない。  陸は冷蔵庫からプラスチックパックを取り出すと、それを皿に盛ってレンジに入れて温め始める。  何かの肉らしきものはアルミホイルを敷いたオーブントースタートレーに乗せてこんがりと焼き始めた。  温めるだけとはいえ、以前に比べると格段に手際が良くなっている。  どうするのかとスマホを片手にソワソワしていたが、心配はいらなかったようだ。  美味しそうな香りが腹の虫を鳴かせる。  その頃にはのぼせていた体もすっかり元に戻っていた。  今か今かと待っていると、陸がお盆に皿を乗せて戻ってきた。  テーブルに並べられたそれを見ると、口の中に唾液がじゅわりと溢れてくる。  こんがりと焼けてガーリックの香ばしい匂いが立ち昇るバゲット。  アボカドとトマトが皿を鮮やかに彩るサラダ。  透明な肉汁が滴るビーフステーキ。  そして、俺が持って帰ってきたミネストローネ。  それに合わせるのは、祝い事でよく飲んでいる高めのシャンパンだ。 「美味そう」 「全部デパ地下で買ったやつだけどな」 「選んだのは陸だろ。そのセンスが良い」 「そりゃどうも。ほら、グラス」 「ありがとう。ボトルくれ」 「はい」  互いにグラスにシャンパンを注ぎ合う。  黄金の美酒が細かい気泡を浮かび上がらせていた。 「じゃあ」  グラスを手に取ったものの、俺も陸も口を開かない。  いつも乾杯の口上は単純だった。  成人祝い、陸の作家デビュー、俺の就職祝い、互いの誕生日。  今日はそのどれでもない。  俺たちの交際記念だ。  経験のないことだから、何を言ったらいいのかわからない。 「作家だろ。いい感じによろしく頼む」 「それはずるい」 「適材適所だよ」 「む……」  軽くジャブを打てば、陸は避けることなく受け止めた。  伏目でテーブルの方に視線を巡らせると、数秒の後に照れくさそうに顔を上げた。 「無理。恥ずかしくて考えられん」 「ベストセラー作家の名が泣くぞ」 「泣かせとけ。うんと、じゃあ、俺たち二人の新しい旅路に乾杯」 「乾杯」  チンとグラスを鳴らし、口当たりの良いシャンパンを飲む。  少し甘いそれは余計に食欲を唆った。    夕飯には早い時間だが、俺は陸と並んで滅多に食べられない豪華な食事に舌鼓を打つ。  腹が減っていたのは俺だけではなかったようで、テーブルの上に所狭しと肩を寄せ合っていた皿はあっという間にすべて空になった。 「まだいけるだろ?」 「当然」 「デザートもあるぞ」 「用意がいいな」 「だろ?」  皿を片付けた陸がキッチンから持ってきたのは、俺が記憶喪失になったあの日、途中までしか食べられなかったザッハトルテのホールケーキだ。  艶々した表面には金粉が散りばめられ、冬の澄み渡った夜空ように見えた。 「これ……」 「食い損ねただろ。今日は全部食おうぜ」  そう言ってフォークを差し出される。  胸に熱いものが込み上げ、視界が揺れた。  ありがとうと言いたいのに、喉がつっかえて言葉が出ない。  陸は壊れ物に触れるようにそっと抱き締めてくれた。  嗚咽を噛み殺し、胸の中で静かに泣く。  鼻を啜ると陸の匂いがして、喜びと安堵から涙が次から次に溢れて止まらなかった。  ひとしきり泣いて落ち着くと、陸は当然のようにティッシュで俺の顔を拭いたり、鼻を抑えて鼻水が出せるようにしてくれたりした。   「大丈夫か?」 「うん。ごめんな」 「いいよ。仕切り直しだな。笑って食おうぜ」  もう一度シャンパンで乾杯すると、美しいザッハトルテにフォークを刺して切り崩していく。  口に入れた瞬間に溶けていくそれは、喉が焼けるほど甘い。  幸せで胸一杯になり、俺はまた涙を流し、泣き笑いながらケーキを陸と二人で平らげた。

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