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第2話 双子の兄のために
セレド国の南東に位置する、交易で栄える海辺の街カルメル。
その住宅街の一角に、こじんまりとした診療所がある。
そこの医者が俺の父ヨシュアで、俺はその手伝いをしながら、父さんの後継となるべく経験を積んでいた。
父さんは腕がいい医者で、街中の人たちがこの診療所にかかっていると言っても過言ではない。
父さんの治癒魔術は凄い。
俺も水の魔力を持ち、幼いころから治癒魔術を教え込まれているけれど、その足元には遠く及ばない。
早く一人前の医者になりたい。父さんのように、誰からも信頼されるようになりたい。
そのために、俺は父さんが行う治療をつぶさに観察しながら勉強している。
「ノア。サラから痛み止めの薬草をもらってきてくれる?」
その日の昼休み。
食事が終わって一息したところ、父さんから薬草の調達を頼まれた。
魔術は万能というわけではない。
人間が魔術を使うようになって四千年経つが、未だ開発され続けている。
それは治癒魔術も同じで、魔術が発達していなかったころからある薬草は今でも現役だ。
サラは俺たちが懇意にしている薬師で、取り扱いの薬草も多くその質も高い。
父さんとは長い付き合いらしく、俺は快活な笑い方をする彼女から孫扱いされている。
「わかった。ついでに買い出しもしてくるよ。今日の晩飯、サケルの香草焼きでいい?」
「お、いいね。頼むよ」
「はーい」
何気ない会話。
何の変哲もない日常。
父さんと言葉を交わしたのは、これが最後だった。
なぜ最後だったのか。それは、俺はこの買い物の途中で誘拐されたからだ。
サラから薬を受け取り市場に向かっていると、背後から腕を掴まれ路地裏に引き摺り込まれた。
物盗りなら素直に金品を差し出した方が早く解放される。
俺を拘束しているのがその辺のチンピラだと思い込み、無抵抗でいたのが最初の間違い。
「んん゙ッ……む、ぅ……!」
俺はあっという間に口を塞がれ、両手足を荒い麻縄でギチギチに縛られた。
しまったと思った時にはもう遅い。
ボロい馬車の荷台に押し込まれ、長い間ガタガタと揺られて連れ去られてしまった。
攫われて三日後。
俺はとある高い塔の上の狭い部屋に投げ入れられた。
そこで俺は誘拐犯から黒い執事服を着た三人の男たちに引き渡された。
「ってぇな! お前ら何なんだ!」
口を塞いでいた布が外されると、俺は当然の疑問を吐き出した。
ここまで連れ去られたからには知る権利がある。
「黙れッ今生きているだけでも感謝しろ!」
「この穢らわしい忌み子め」
「おお……視界に入れただけで目が腐りそうだ」
だというのに、意味のわからない罵声を浴びせられ、頭の血管が切れそうだった。
この高圧的な態度は貴族をはじめとした特権階級特有のものだ。どうやらここはお偉いさんの領域らしい。
俺が不愉快な態度を改めないのを見ると、三人はますます顔を顰めた。
しかし、それが彼らの仕事なのか、一番偉そうな男が咳払いをすると、声高らかに語り出した。
「お前はサッカルの領主アクロン様と奥方様の実子だ。そして、お前には双子の兄がいる」
「はあ? 俺の父さんはヨシュアだ」
「違う。あれは元々アクロン様に仕える医者だ。お前の父ではない」
「そんな……。ならなんで俺は父さんと暮らしてたんだ」
そう口にした瞬間、男たちは鼻で俺を嘲笑った。
人を馬鹿にしないと生きていけないのか、こいつらは。
沸々と湧き上がる怒り。
けれど、三人にぶつけようにも拘束されているために叶わない。
無駄な抵抗をしている俺を見下し、男は嗤いながら告げる。
「お前が双子の、忌み子だからだ」
双子は凶兆。
二人目は穢れを纏う。
故に、産まれてすぐに縊り殺すのが習わし。
それなのに、お産に立ち会った父さんが俺を連れ去り、今日まで生かしていた。
俺は許されざる罪の証なのだ。
なんだその胸糞悪い習わしは。
気持ち悪い。
そんなの知ったことじゃない。産まれて既に十九年も経つ。
簡単に殺されて堪るもんか。
過去の清算をのために男たちが襲いかかってくると身構えていたが、彼らは事実だけ告げるとくるりと背を向け、ひとつしかないドアを乱暴に閉めて出て行ってしまった。
その瞬間、麻縄がはらりと解ける。
俺はドアを激しく叩いて開けろと大声を上げたが、当然ながらそれに応えはなく……。
ここで暴れても仕方がない。
その夜、俺は自分の家に比べて無駄に豪華で綺麗な部屋の、大きくてフカフカと柔らかいベッドで眠りについた。
そして、翌朝。
「おいやめろッ体洗うくらい自分でできる!」
「これが私の仕事ですから。じっとしていないと余計に時間がかかります」
俺は無表情の執事に叩き起こされ、部屋の隅にあったバスルームで体を清められていた。
この執事、身長は俺と同じくらいなのに力が強すぎる。
有無を言わさず服を剥ぎ取られたのは恐怖以外の何者でもない。
だけど、強引な割に体を洗う手つきは壊れ物を扱うように優しく、余計に意味がわからない。
あれよあれと体を乾かされ、俺は今まで見たこともない上等な服を着せられた。
鏡に写るのはどこかの貴族の坊ちゃんのようで、これが自分かと思うと気持ち悪い。
身支度が整うと塔から連れ出された。
林を抜け、塔から随分歩いたころ、視界の端から端まで埋め尽くす大きく立派な館が現れた。
どうやらこれがアクロンの本邸らしい。
その二階にある陽当たりのいい大きな部屋で、俺は双子の兄と対面を果たした。
「はじめまして、イーサンです」
イーサンは双子だけあって俺とそっくりだ。
ミルクティーのような髪色に、つるんとした卵型の顔。
眉尻も目尻も少し垂れていて、瞳の色は薄いグレー。
口角も自然と上がっているため、穏やかな印象を与えている。
ただ、顔は窶れ、青白い顔をしていた。カウチソファに座っているのもきつそうだ。
「僕はご覧の通り病に冒されていて、その原因は不明。でも、来月から始まる魔術大学院の新学期に復帰しないと退学処分になる」
力なく笑うイーサンは心も弱っているようだった。繰り返し吐き出されるため息は憂鬱を物語っている。
「そう、なのか……」
「ノア。君がここに連れ去られたのは、焦った父上が僕の代わりに大学院へ行かせるためだ。僕のせいでこんなことになってごめん。もちろん、ノアは断っていい。ヨセフに言えばお義父さんも一緒に逃してくれる。さあ、早く行って」
イーサンは咳き込みながら部屋の隅に控える、俺を裸に剥いた執事を指差す。
言葉通り早く逃げろということなんだろう。
初めて会う双子の兄。
きっと俺よりも贅沢な暮らしをし、何不自由なく暮らしてきた。
本当なら、嫉みや妬み、腹立ちを覚えるはずだ。
アクロン家は習わしだからと俺を殺そうとしたくせに、都合のいい時はスペアにしようとする。
そんな身勝手で理不尽な命令に従う義理も義務もない。
でも、俺の中に生まれたのは、イーサンを助けたいという気持ちだった。
実父とは違う善良な兄。
そんな彼を、俺自身の片割れを見捨てるのは心が激しく痛み、魂がそれを拒絶した。
「大学院、行くよ。だから早く元気になれ」
「ぁ、ありがとう……! ごめんね、元気になったらちゃんとお礼もするし、すぐにお義父さんの元に返すから……」
「いいんだよ、謝んな。大事な双子の兄貴のためなんだから」
冷たい頬を包み込み、コツンと額を合わせる。
鏡に写したような俺たちは、その日から言葉通り鏡合わせの存在になった。
貴族のマナーと教養。
イーサンとは双子なだけあって、生まれ持ったのは同じ水の魔力。
それを使った治癒魔術をはじめとするあらゆる魔術の研鑽。
そのすべてを頭と体に叩き込みつつ、イーサンの体に負担がかからない程度に、けれど、これまでの自分のことをたくさん語り合った。
住む世界が違うと感じたが、貴族と庶民じゃ当然だ。
贅沢はできるがしがらみの多い貴族より、貧しくとも自由に生きられる庶民のままでいいと強く思い、制約ばかりの生活を余儀なく送るイーサンが少しだけ可哀想だと感じた。
そして一ヶ月後、俺はイーサンとして王都ネービアにある魔術大学院に通い始めた。
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