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第04話 声は届かない

【1】 「鏡係長、ちょっといいですか」 翌朝、自慢の愛車で出社した鏡 慶志郎は営業部に入るなり、険しい顔つきの轟 金剛に呼び止められた。 「何か用かい、サムライボーイ。そうそう、あれから昨日のレディとは……」 「いいから来い」 苛立ちを隠そうともせず金剛は慶志郎の腕を掴むと、有無を言わさず引っ張って行く。 他の社員がただならぬ様子に何事かと注目していたが、そんな事はお構いなしだ。 空いていた近くの会議室に入ったところで、慶志郎はようやく金剛の手を振りほどいた。 「痛いじゃないか!」 「おい、昨日のありゃあ何だ?あの(アマ)ァ、テメエの差し金か」 掴まれた腕をさすり文句を言う慶志郎を乱暴に壁に押しつけ、低い声で金剛が問い詰めてくる。 さすがの慶志郎も、金剛がひどく腹を立てているのが分かった。 「昨日のって、彼女はキミの知り合いなんだろう?差し金とはずいぶんな言い方だね」 「知らねえっつったろうが!」 慶志郎は金剛の過去を知らないゆえに、どうして彼がここまで怒るのか分からない。 昨日、退社しようとした金剛を来客だと呼び出し、例の知り合いという女性に引き会わせてから慶志郎はその後の事は知らない。 女性からわざわざ会いたいと頼んで来るのだから、この武骨な男も結構モテるんだな、くらいにしか思ってなかった。 ちょっと冷やかしてやろうと、軽いイタズラ心もあるにはあった。 「いいか、係長」 眼光鋭く、ギロリと金剛が睨みつけてくる。 「アンタがどこの女とナニしようが勝手だがな。俺ァ、テメエの同類じゃねェぞ。次にまたあんなバカな真似してみろ」 普段、何を考えているのか分からないほど感情を出さない男が、怒りを顕著にし慶志郎の首に手をかける。 「殺すぞ」 首にかかった手は締め上げてくる事はなく、むしろ優しく添えられただけだったが、脅すには充分だった。 殺意の篭った凄まじい怒気に気圧され慶志郎は硬直した後、やっと口を開いた。 「…………ソーリー」 剥き出しの刀を突きつけられているようで、本気で殺されると思った。 普通に生きていれば、殺気を向けられる経験なぞ滅多にないが、慶志郎は今まさにその体験をした。 目の前の男はまるで人間の姿をした猛獣のようだ。 「キミの同意も得ずに勝手な事をして悪かった、二度としない」 「分かりゃあいい」 ふ、と圧迫感がなくなり慶志郎は思わず首に手をやる。 金剛は慶志郎から離れると出入口に足を向けた。 「鏡係長、俺とアンタはこの会社じゃただの上司と部下だ。それ以上もそれ以下も何もねェ。アンタが俺を嫌ってんのは知ってる。俺もアンタが何しようが、これっぽっちも興味ねェ」 俺のこたァ、放っといてくれ。 言い捨てて、金剛は出て行った。 途端にガクンと膝が落ち、何とか踏ん張って壁に背を預け呼吸を整える。 知らぬ間に全身に冷や汗が流れていた。 「……とんでもない奴だ」 どうやら自分は轟 金剛の地雷を盛大に踏み抜いたらしい。 確かにあまり関わらない方がお互いの為かも知れない。 触らぬ神に祟りなし、だ。 ただ子供の頃から常に注目され、恵まれた人生を送って来た慶志郎にとって『これっぽっちも興味がない』と面と向かって言われたのは、いささかプライドが傷ついたし上司を上司とも思っていないような金剛の態度にも腹が立ったのは事実だ。 見てろよ、轟 金剛。 このワタシを認めさせてやる。 この時、慶志郎は金剛と関わらない方が良いという自分の直感をあえて曲げた。 彼は確かに優秀な人物だったが危機感は凡人並みでしかなく、無駄に高いプライドがさらに邪魔をした。 人は理性のある動物ゆえに、本来の動物の持つ直感や本能を蔑ろにしてしまう。 あの時、自分の勘を信じていれば……という後悔をするのは人間だけだ。 そして、鏡 慶志郎もその一人になる。 【2】 帰ろうとした自分を金髪上司が来客だと呼び止めた時、妙にニヤついていたのはコレかと金剛は先日の女を前にして思った。 「もう一度、会いたかったの」 「俺はアンタなんか知らねェ」 にべもなく言い放ち、その場を後にしようとする金剛に女が腕を絡めて来る。 「そんな事を言わないで、お互いにもう大人なんだし。あの頃と違って、これからはいい関係になれるとは思わない?」 金剛の中で長年、燻っていた火種が静かに炎を上げた。 またか。コイツらはいつもそうだ。 テメエの都合ばっかりで俺がどう思ってるかなんざ、どうだっていいってワケだ。 誘えば俺がノコノコ着いて来るんだと。 俺ァもう、何も知らねえガキじゃねぇんだと、このバカな女は気づいてもないらしい。 「…………そうだな」 怒鳴りつけなかったのは、金剛が最後にギリギリ踏み止まったからに過ぎない。 恐ろしく無表情で冷たい目線、低い声色から金剛が怒りを溢れさせているのはさすがに分かったらしく、女は顔を引きつらせて絡めた腕を外した。 「俺も大人になったからな……あん時、ガキの俺にテメエが何したか表にバラしても構わねェぜ。未成年にヤッた事が知れたらどうなるんだろうなァ?」 「と、轟……」 「俺がガキん時にアンタに性的なイタズラされましたって訴えりゃあ、そっちの会社とウチとの取引もナシになるかもな。アンタが原因だって分かったら、会社にもどこにもいらんなくなるよなァ?」 「待って、そんな事したら貴方だって」 見る間に青醒めて口を挟む女を遮って金剛は続けた。 「アンタが元々は俺の親父目当てだったっつうのは知ってたぜ。何でそれが俺になったのかは知らねえけどよ。忘れちゃいねえだろ、ウチは【轟】だぜ?その気になりゃァ、女一人消すのも簡単だ」 学帽の鍔を引き下げ、金剛は女を射殺さんばかりに睨みつけた。 「金輪際、俺に関わるな。テメエなんざ知らねえ、俺はアンタと違って無くして困るものも何も持ってねェ。恥も外聞も俺にゃあ意味ねェんだ、股開くだけなら俺じゃなくてもいいだろうよ」 失せろ、二度と目の前に現れるな。 女が消えて金剛は深い溜息を吐くと歩き出した。 これで面倒な事にならなくて済む。 本気で怯えていたから、あの女は二度と近寄って来ないだろう。 轟の名を笠に着て脅したのは卑怯だったが、いつまでも付きまとわれるのはゴメンだ。 父親の言った通り、子供の頃もこうやって拒否すれば良かったのかも知れない。 自分の問題は自分で解決しなければならない、そう思い込んでいた。 自分でどうにもならない事は人の手を借りてもいいのだと、あの頃の自分には誰も教えてくれなかった。 己の声は誰にも届かなかった。 あの金髪上司の軽はずみな行動のせいで、無駄な労力を使うハメになったのがまったくもって腹立ただしい。 どうにも女好きなあの男は目障りだが、上司である以上は仕方ない、しかし釘を刺しておく必要はある。 放っとくとまた、今回のような厄介事を持って来るだろう。 「鏡係長、ちょっといいですか」 そして翌日の話になったのだ。 それから表面上は何事もなく、半月が過ぎた。 金剛もどうにか仕事に慣れ、最近は営業の外回りに出されるようになったのだが、何故だか一緒に行くのは同僚の平ではなく自分からは関わらないと決めた金髪上司とやたら組まされて正直、辟易していた。 二人で営業先、取引先に出向くと必ず女から声がかかる。 女好きと公言して憚らない上司はともかく、己のような男の何がいいのか金剛自身には分からないが、露骨な色目を使われる。 中にはこっそり、SNSだかメールだかのアドレスのメモを手渡して来る女もいてウンザリする。 片や金髪で真っ赤なスーツの長身イケメン、片や学帽に下駄履きの長髪の大男という、やたらと目立つ二人だから仕方ない。 しかも金剛には自分が目立つ容姿をしている自覚もなかった。 「係長、やる」 その日も何らかのメモを渡された金剛は取引先を出た途端に、慶志郎にそれを押しつけた。 「キミが貰った物だろう」 「くれと頼んだワケじゃねぇ、要らねえ」 「断るにしても一度くらいは返事してあげれば?レディへの礼儀だよ」 「知るか。ああいう連中はこっちが反応したら、付け上がっていつまでもしつけェんだよ」 「……轟くん、ずいぶんとそういう事に手慣れているんだね」 「好きで慣れたワケでもねえ」 慶志郎には不思議で堪らなかった。 自分とは違い、服のセンスだって身嗜みだって適当なこの部下がやたらとモテる。 そして彼もまた、その手の人間をあしらうのに慣れている。 様々な恋愛遍歴を重ねてきた慶志郎には、それが付け焼き刃程度のものではなく、長年積み重ねてきた経験によるものだと勘付いていた。 だが自分より三つも年下の男が、どうやったらそんな経験を重ねるのか見当もつかない。 それに偶々だったが、金剛がどこかの男にも声をかけられているのも見た事があった。 つまり彼には男女見境いなく、その手の人間が近寄って来るのだろう。 そう言えば、と慶志郎は思い出した。 この男は高校を卒業してから何年も山に篭っていたと、彼が入社して来た時に聞かされた記憶がある。 ゆえに社長秘書の霧島 エリカが二ヶ月ほど轟商事所有の研修所で金剛を指導したとも聞いた。 18歳から23歳まで山にいたのだとしたら彼は一体いつ、それを学ぶ機会があったのだろう? 疑問は深まるばかりだ。 【3】 初夏に入る頃、鏡 慶志郎と轟 金剛は、とある地方に二泊三日の出張を命じられた。 轟関連の営業所がアメリカからの来客を迎える事になったのだが、いかんせん地方の小さな営業所で英語を話せる社員がおらず、また向こうも日本語がまったく分からないという事で本社に通訳と対応が出来る社員を派遣して欲しいと打診があったのだ。 そこで白羽の矢が慶志郎に立ったのである。 中学から大学までの十年間、アメリカに住んでいた慶志郎なら英語も流暢に話せるし、元がどこぞの企業の御曹司という事もあって外国人の対応にも慣れている。 そんなワケで二日間のホスト役を任命されたのだ。 「何で俺まで……」 「キミ、いつまでそれ言ってるんだい」 新幹線のグリーン車で出発からずっとボヤいていた金剛の隣で、窓際の席に座っていた慶志郎は暇潰しに持ち込んだ文庫本を流し読みしながら言った。 適当に読んでいるので、内容はあまり入って来ない。 「俺が行く必要あんのかよ?英語も何も分からんぞ」 「仕方ないだろう、辞令なんだから。せっかくだから観光でもすればいいじゃないか」 金剛の言う事も最もだった。 何故か慶志郎の出張に同行者として轟 金剛が指名されたのだ。 自分だけで事は足りると思っていたし、本社には他にも外国語が出来る社員がいるのだから慶志郎もこれには首を傾げた。 「チッ……観光ったって、台風も来てんじゃねェか」 「まぁ、確かに心配だね。どうも台風は我々の行き先と被りそうだし」 この季節、日本列島は幾つかの台風に見舞われる。 太平洋側で発生していた二つの熱帯低気圧は台風に変化し、二人が向かう先の後を追うように北上して来ている。 行きは良いが、帰りはもしかしたら直撃を受けるかも知れない。 あの一件以来、慶志郎と金剛は上司と部下の距離を適度に保って、当たり障りなく接していた。 まだ危なっかしい部分はあるが、会社では金剛も業務に関しては素直に慶志郎の指示に従っている。 だがこうして会社を離れると金剛は途端に無愛想になり、上司である慶志郎に敬語も使わないし態度もデカい。 もう少し敬意を払ってくれてもいいんじゃないか、と慶志郎も内心は面白くなかった。 とことん相性が悪いのだ。 互いに『コイツと三日も一緒かよ』という空気を醸し出していて、それはそれは居心地の悪さに余計に拍車をかけていたのだ。 そんな微妙な空気のまま、二人は轟の地方営業所に到着した。 「いやあ、遠い所にようこそ。この度は本当に助かります」 人の好さそうな営業所長が二人を出迎えた。 「本社営業部の係長、鏡 慶志郎です」 「同じく営業部の轟 金剛です」 名刺を差し出し挨拶を済ませると早速、慶志郎は所長と打ち合わせに入った。 金剛はその隣で話を聞くだけだ。 話を要約すると、数年前にこの近辺の山でレアメタルの鉱脈が見つかり轟商事が山の地主と交渉して山ごと買収して、そのまま掘り出さずに寝かせておいたそうだ。 当時まだそのレアメタルの需要はほとんどなく、慌てて市場に出しても二束三文で買い叩かれるのが目に見えており、時期を見ていたらしい。 今回、アメリカのとある企業がその鉱脈の話を聞きつけ、物の確認と互いの利害が一致すれば、そのまま買い取りの交渉に入りたいと申し出た。 そんなワケで本社から慶志郎が呼ばれたのだ。 アメリカからの来客は天候の影響で、少し遅れて来ると連絡があり、慶志郎と金剛は打ち合わせを終えてから一旦、地元のホテルに部屋を取って再び現地に戻った。 もちろん、経費なのでツインの部屋だ。 しかし宿を取るにあたり、慶志郎が安いビジネスホテルは嫌だとゴネて結局、彼がポケットマネーから幾分か上乗せして少しグレードの高いホテルに変えた。 寝られればどこでも構わない金剛は呆れたが、文句を言えばグダグダと長引きそうだったし、慶志郎はちゃんと金剛の分も負担してくれたので良しとした。 ただ悪天候の為にホテルはほぼ満室でシングル二つは取れず、結局ツインでの宿泊となった。 それから予定より約二時間ほど遅く、三人のアメリカ人がやって来た。 慶志郎がそれぞれと握手を交わし、金剛を己の部下だと紹介して打ち合わせの通りに客人を案内する。 終始、会話は英語なので金剛には何を話しているのかサッパリだったが、キミは大人しくワタシの後に着いていれば良いという慶志郎の言葉に従って数歩離れて彼らのやり取りを眺めていた。 《ヘイ、ミスター・トドロキ》 商談で盛り上がる連中の一人がそっと列を離れて金剛の隣に並んだ。 金髪に少し黒みがかった茶色の瞳のアメリカ人はガタイが良く、金剛とあまり身長も変わらない。 《ねえ、キミはカガミとイイ仲なのかい?》 「??」 当然だが英会話が出来ない金剛は、このアメリカ人が何を言っているのかまったく分からない。 《キミさ、アッチの経験あるよね?》 ぞわ、と金剛の背筋を嫌な感覚が走り抜けた。 人種が違っても言葉が分からなくても、己を見るその目は知っている。 金剛をそういう欲望の対象として見る目だ。 《ボクも同じだから分かるのさ。ねえ、キミってボクの好みにぴったりなんだよね。どうだろう、この後二人で一晩、楽しく過ごさない?ボクはキミを満足させてあげられるよ》 「鏡ッッ」 好色な笑みを浮かべて馴れ馴れしく腰に回して来たアメリカ人の手を振り払い、金剛は上司を呼び捨てた。 先を歩いていた慶志郎と二人のアメリカ人も、金剛の只ならぬ様子に驚いて戻って来る。 「轟、一体……」 「おい、コイツが俺に言った事を訳して教えろ」 「は?」 ポカンとする慶志郎に苛ついて、金剛は嫌悪感も顕にもう一度言った。 「コイツが俺に言った事を聞いて、訳して教えろ」 「あ、ああ……何か話をしていたのかい」 ワケが分からないまま慶志郎は、金剛を口説いてきたアメリカ人に早口で何か尋ねる。 男はやれやれと言わんばかりに肩を竦め、恐らくは慶志郎の質問に答えた。 このアメリカン、馬鹿な事を! 話を聞いた慶志郎は血の気が引いた。 愚かにもコイツは金剛をメイクラブに誘ったのだ。 普段からそういった誘いを塩対応で返す金剛を見ていただけに、彼がそれを非常に嫌うのは慶志郎も知っている。 「おい、分かったら早く言え」 怒気を含んだ金剛の声に慶志郎は頭を抱えたくなった。 そのまま伝えたら血の雨が降るじゃないか! 話を聞いていた二人のアメリカ人も、金剛を口説いた男を窘めている。 が、彼は悪びれる様子もなく、あろうことか慶志郎からも何とか金剛と過ごせないかと言ってくる始末だ。 「…………要は、彼はキミと一晩ベッドで過ごしたいって誘ったんだよ」 出来るだけ簡潔に慶志郎が伝えた瞬間、ぶわりと金剛の全身から怒りが溢れた。 「待て、轟!ちょっと待て!」 「どけよ、係長。テメエも血を見るぞ」 今にも殴りかからんとする金剛を慶志郎は必死に押し留めた。 二人のアメリカ人達が、彼が失礼な事をしたと謝って来るのが聞こえる。 《トドロキはキミの誘いには乗らない!》 慶志郎は金剛を止めながら男に言った。 《彼はサムライなんだ。そういう事を非常に嫌悪する男だ、悪いが諦めて欲しい》 《へえ、そうなんだ?彼は好きそうに見えたんだけどな》 《おいもう止めろ!本国(ステイツ)だったらセクハラで訴訟モノだ!》 諦めの悪い男を二人が叱り飛ばして、ようやく男はハイハイと引き下がった。 《ミスター・カガミ、申し訳ない。我々は一度、ホテルに行くよ。商談はまた明日か、日を改めて行おう。連れが悪かった、トドロキにもくれぐれも申し訳なかったと伝えて欲しい》 《オーケー、こんな事で大事な商談は流れたりしないので、安心して日本を楽しんで》 《有り難う、心遣いに感謝する》 残りの二人が良識人で良かった。 最悪の出張初日になったが、その夜ホテルに戻った慶志郎を更に打ちのめす連絡が入った。 【4】 「え、帰国?」 慶志郎の携帯に連絡して来たのは、営業所の所長だった。 何でも、北上していた台風が思ったより早く接近しており、このままでは例のアメリカ人達の帰国予定の飛行機が欠航になりそうとの事で、今夜の最終便で日本を発つという連絡が入ったのだ。 今後の商談はネットを通じてある程度まで詰める事になり、何の為の出張だったのか、慶志郎は脱力して電話を終えた。 「おい、シャワー空いたぞ」 バスルームからタオルを腰に巻いただけの金剛が濡れた髪を乱雑に拭いながら出て来て、慶志郎は目を剥いた。 何で男の裸体を見なきゃならん! 「轟くん、バスローブくらい羽織りたまえよっ」 「面倒くせえ、どうせ寝る時に脱ぐし」 「じゃあ寝るまででいいから着ろっ!」 べしっと金剛にバスローブをぶん投げ、慶志郎は脱いだスーツをハンガーにかけてシャワーを浴びに行った。 「なに怒ってんだよ、変なヤツ」 風呂から上がった上司がまた五月蝿く喚くのもイヤなので、大人しく金剛はバスローブを引っかけた。 部屋の冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ベッドに腰を下ろしてテレビをつける。 丁度、短いニュースが放送されていた。 「…………マジかよ」 ぐび、とビールを飲んで金剛は呟いた。 身嗜みに非常に気を使う慶志郎はバスタイムも長い。 最低でも一時間は入る。 長い髪を丁寧に洗い、体の隅々までキレイにしてようやく上がると、すでに金剛は缶ビールを二本空けていた。 部屋のメインの照明は消され、室内はそれぞれのベッドのサイドランプだけが灯されて薄暗い。 寝酒を引っかけたらすぐに就寝するつもりなのだろう。 「アンタ、女みてえに風呂が長いんだな」 「失敬な、キミみたいに烏の行水じゃないんだ。キミこそ髪が長いのだから、ちゃんと手入れくらいしたらどうだ」 「俺の髪なんざ、どうだっていいだろ。それより明日は帰れねぇぞ」 「何が?」 「ニュース。台風で新幹線が走らねぇ」 「えっ?」 金剛の指したテレビ画面は通常の番組放送の画面が小さくされて、縦横に台風情報のテロップが流されていた。 そう言えば、部屋の窓を叩く雨音が激しい。 「ここで缶詰めだな、こりゃ」 「Oh……なんて事だ」 「部屋は連泊で取ったんだろ、新幹線が動くまで待つしかねぇな」 「…………はぁ」 深い溜息を吐いて、慶志郎も冷蔵庫から缶ビールを出した。 今日は色んな事が有りすぎて疲れた上に、ホテルから出られないというトドメを刺されて散々だ。 「今日はアンタの立場も考えずに悪かった」 ニュース画面に視線を向けたまま、金剛が言った。 どうやら彼なりに今日の事を気にしていたらしい。 「問題ない、ワタシだってあんな事を言われたら腹が立つよ。キミの怒りも最もだ。他の二人はキミに申し訳なかったって、謝っていた」 「そうか」 「ねえ、少しキミの事を訊いていいかい?」 「俺の?何の話だ?」 「怒らないでくれよ?キミは今日の事とか先日の事とか、多分ある種の人間を凄く引き寄せるんじゃないの?」 背を向けていた金剛が振り返った。 そこで初めて慶志郎は気付いた。 金剛の目が何も映していない事に。 この時、鏡 慶志郎は轟 金剛の最も触れてはいけない部分に触れた事にまだ気付いていなかった。 彼は立ち上がるとテレビを消し、冷蔵庫からカップ酒を取り出してベッドに座り、蓋を開けて一気に半分ほど酒を飲み干した。 「……そうだな、」 トン、とサイドボードにカップ酒を置いて金剛は口端を吊り上げて笑った。 「係長、アンタ女と初めてセックスしたの、幾つン時だ?」 硬派な金剛の口から出た直接的な言葉に、慶志郎は驚いて返事も出来なかった。 しかし慶志郎の返事を待たずに金剛は続ける。 「俺ァ、13の時だ。知らねぇ女が声をかけてきてよ、ワケ分かんねぇままにベッドに誘われてな。俺は覚えちゃいなかったが、こないだのあの女。アンタが俺に会わせた女だよ」 あの女が俺の初めての相手らしいぜ。 金剛は慶志郎が聞こうが聞くまいが、どうでも良かった。 酒が入ったせいもあったと思う。 つらつらと己が10代の頃にやって来た事を淡々と話した。 慶志郎から見た金剛は何も見えてないように感じただろうが、実際は金剛はちゃんと慶志郎を見ていた。 そう、彼を『鏡 慶志郎』と認識した日から、ずっと。 目障りでどこにいても視界に飛び込んでくる金色。 彼は良くも悪くも自信に満ち溢れていて、真っ直ぐに歩いている。 自分がやりたくて出来なかった事も、彼は堂々とやってのける。 歪んでしまった己とは、真逆の位置にいる男。 慶志郎と接する度に金剛の中で少しずつ黒い感情が沸き上がり、表面張力のようにギリギリ保っていたそれは今、静かに溢れ出した。 淡々と語られる金剛の過去を、慶志郎は混乱しながら何とか聞き取っていた。 妙にその手の連中のあしらいが上手いのも、誘いに嫌悪感を示す訳も合点がいった。 無骨で面白味のない男どころかむしろ、そっち方面に関しては慶志郎よりも経験は豊富だ。 何しろ、13歳の時からなのだ。 人が最も成長するティーンエイジャーの時に受けていたのは虐待じゃないか。 幼い子供に大人がよってたかって、彼をいい様にした。 彼の叫びは誰にも届かなかったのだろうか。 だからか、だからあの女性にも今日のアメリカ人にも、あれ程の嫌悪感と怒りを示したのか。 カラカラになった喉を潤そうと慶志郎は残ったビールに口を付けた。不意に視界が暗くなる。 顔を上げるといつの間にか、金剛が目の前に立っていた。 「鏡」 慶志郎の手からビールを取り上げてボードに置くと金剛は少し身を屈めズイ、と顔を寄せた。 「色んな経験したからな、俺には分かる。アンタ、女の経験は豊富だけど男は無いよな?」 己を見る金剛の目に黒い欲情が見えた。 NEXT→
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