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第09話 何も分からない

【1】 ――ごめんね、許してね。 愛しているわ、ごめんね。 泣かないで、どうか。 置いていってしまう私を、許してね。 ずっと、ずっと、愛しているわ。 いつまでも、永遠に。 私の大切な、--。 伸ばした手は届かなかった。 呼び止める声も届かなかった。 行かないで、と泣いて叫んだ。 動けなくて蹲る自分に私がいるよ、と言ってくれた。 私はどこにも行かないよ。 君の側にずっといるから。 だから、もう『    』なんて言っちゃ駄目だよ。 『   』って言ったら、いなくなってしまうから。 『   』なんて言わない。 『   』なんて思わない。 『   』なんて考えない。 失くしてしまうくらいなら。 悲しい思いを繰り返すくらいなら。 灰色の世界で生きていった方がいい。 【2】 真夜中、轟 金剛はハッと目を覚ました。 直前まで見ていた夢は記憶に留めるより早く消えてしまう。 ただ、どうしようもない虚無感が広がる。 いつからか見始めた同じ夢。 ごめんね、と言ったのは誰だろう。 側にいる、と言ったのは誰だろう。 薄暗い照明の灯るホテルの一室、ベッドヘッドに埋め込まれているデジタル時計は二時半を示していた。 金剛の隣では鏡 慶志郎が背を向けて眠っている。 いつものように彼が疲れ切って気絶するまで抱いたので、朝まで目覚める事はないだろう。 週末の関係を結ぶようになってから、約三ヶ月。 八月も終わろうとしているが、まだ夏の名残で残暑も厳しい。 エアコンのタイマーが切れていたようで部屋は蒸し暑く、電源を入れ直して冷房を作動させ、軽く汗を流そうと金剛は静かにベッドから降りてバスルームへと向かった。 バスルームの扉が閉まり、水音が聞こえ始めてから慶志郎は目を開けた。 関係を持ってから気付いたが時々、金剛は夜中にうなされている事があった。 しきりに何か言っているようだがよく聞き取れない為、どんな夢を見ているのかは分からない。 最初の頃こそ、金剛とのセックスで本当に意識を飛ばして気付いたら朝、というのがほとんどだったが慶志郎もそこそこ鍛えているので、金剛ほどではないが体力はある。 ぶっちゃけ、金剛の体力と性欲が化け物じみているのだ。 自分は人並みだと思う。 慣れれば毎回は気絶しないようになる。 そんな時に、金剛の様子に気付いたのだった。 しかしそれはそれで複雑だ。 慣れれば、というのは金剛との関係に慣れた、という意味だ。 最初の約束通り週末に会う以外、平日の金剛は会社でも素っ気なく、慶志郎を上司として当たりさわりなく接していた。 相変わらず彼は他の人間の事は興味がないようで、同期入社の平や双子の女子社員の飲みの誘いにも応じず、会社が退けるとサッサと帰ってしまう。 普通、こういう態度を取り続ければ反感を買いそうなものだが、不思議な事に断られた方が「番長だからねえ」と妙に納得している。 番長だから何なのだ。 まったく意味が分からない。 分からないと言えば、金剛の意図もよく分からない。 写真と音声を盾に関係を強要された、最初の週末。 強がっていたものの、内心ではどんな事をさせられるのかビクついていたのは事実だ。 何しろ、あんな目に合わされたのだ。 あんな事とか、そんな事をやらされるかも知れない。 警戒するなと言う方が無理だ。 しかし慶志郎が拍子抜けするほど、金剛は特に何も要求して来なかった。 アレを咥えろだとか、バイブ突っ込まれるんじゃないかとか、もっとえげつない事をさせられるんじゃないかとか、一体どんなエロビ観たんだと逆にツッコミを受けそうな事を想像した自分がバカみたいだ。 体力は無駄にある金剛が一度達するまでに慶志郎は二度三度とイカされるが、その過程ではむしろ極力、負担がかからないようにしてくれているようだった。 触れて性感を高め、ローションを使って丁寧に慶志郎の其処を解し、ゴムもきちんと装着してから挿入されたので、中を掻き出して洗わなければならない必要もない。 風呂場は生で挿れられたが中には出されなかった。 「何だよ、そのツラ」 ベッドに戻って困惑する慶志郎を見て、金剛が片眉を潜める。 訊いてみたいが、訊いたら墓穴を掘りそうで慶志郎は「いや、あの、」と口篭った。 その様子で何となく察したらしく、金剛はガリガリ頭を掻いて呆れたように溜息を吐く。 「最初に言ったろ、痛めつけてぇワケじゃねえって」 「いや、結構したい放題しているじゃない」 「そりゃヤりてえからな。けどアンタが痛いままで突っ込むと、こっちも負担がデケえんだよ」 言いながら三ラウンド目やるぞ、と金剛がのし掛かってくる。 「ちょっと!まだするのか!?」 「それも風呂場で言ったろ、日曜日の昼までな。アンタのココが」 「ひっ!」 ぐち、とローションを纏った指がまだ柔らかい後孔に入り込む。 「ちゃんと俺に馴染むまではな」 ぐちぐちぐちぐち。 わざと音を立てて引っ掻き回され、身体が仰け反る。 「あっ、うぁっ、あ!」 「体力には自信あるから安心して啼いとけ」 そんな自信は要らない!と言い返す暇もなく、粘着質な音と指で掻き回される羞恥に居たたまれず腕で顔を隠した。 ゴムを着けた金剛のモノがゆっくりと挿入ってきて、無意識に身体を突っ張ってしまう。 何度挿れられても、その太さに衝撃が走る。 慶志郎と金剛はほぼ同体格で、慶志郎の陰茎はその体格に見合った大きさだ。 まあまず、大抵の女性を満足させられる代物だ。 一方で金剛のはもの凄い巨根というほどでもないが、慶志郎のモノよりは大きい。 根元が割と太く、小柄な女性にはキツイかも知れない。 それを男に突っ込んでくるのだから、受け入れる側はたまったもんじゃない。 慣れろとか無理がある。 全て埋め込んで、金剛は慶志郎の胸に頭を乗せて深く息をつく。 ついでに乳首に舌を這わせ、舐め転がして弾いて弄んでくる。 「あー……やっぱアンタの中、いいな」 「ひ、ぐっ、う、ぅ……」 こっちはそれどころじゃない。 ドクドクと金剛のモノが中で脈打ち、少し揺らすだけで悦い処を突いてくる。 歯を食い縛って堪える慶志郎の両手を強引に開かせ、両脇に押さえ付け、ゆるゆると抽挿しながら金剛が顔を覗き込んできた。 「こないだの今日じゃあ、まだまだだな」 じっくり開発しなきゃなぁ。 ニタア、と嗤う男は本当に悪魔のようだ。 シャワーの音が止まり、ドアが開いて足音も立てず金剛が戻って来た。 ベッドが軋み、マットが二人分の重さで沈む。 考え事を止めて慶志郎は悟られないよう、寝たフリをした。 「……おい」 低い声が呼びかけてくるが、微かに唸って身動ぎしてスースーと寝息を立てる。 ギシ、と後ろの男が動いて慶志郎の身体に腕を回してきた。 片手は頭の下に差し入れ俗に言う腕枕をしてきて、もう片手は腹を抱き込んでくる。 危うくビクつきそうになったが、どうにか平静を保ちあくまで寝ながら自然に身体をずらそう……とした時。 腹に回っていた手が慶志郎の陰茎を掴んできた。 「ヒッ!?」 これにはさすがの慶志郎も驚いて、うっかり身体を強張らせる。 「…………」 「…………」 たっぷり10秒くらい沈黙の後。 「……やっぱり起きてやがったなぁ?」 地の底から響くような声で、確信を持って後ろの金剛が掴んだ陰茎を揉み扱いてきた。 逃げようとする慶志郎の脚に己の脚を絡めて動きを封じ、ぴったりと身体を密着させて来る。 「あ、あっ、や、止めろ、離せっ」 「こないだっから思ってたんだが、テメエ時々目ぇ覚ましてたんだろ?」 言わねぇと玉ァ潰すぞ、と凄まれ慶志郎は身悶えしながらガクガクと頷いた。 どうして起きてると分かったのか、目線を何とか後ろに向けると慶志郎の疑問に気付いたのか金剛が鼻で笑う。 「分かんだよ、呼吸音と身体に触ったらな。テメエ、俺に触られて緊張で少し汗を掻いたし、脈も急に速くなったからな」 スーパードクターか、貴様! その間にも金剛の手は忙しなく慶志郎の身体をまさぐり、大きな手が竿と陰嚢を揉みしだいてくる。 「何で狸寝入りなんぞ決め込みやがった」 「んっ、うぅ、お、起きてるって知ったら……」 「知ったら?」 「ま、また寝かせない気だろうっ……!」 一瞬の沈黙の後、金剛が低く嗤う。 「よーく分かってんじゃねえか、さすがは係長だな。んじゃ、起きてる時間ももったいねぇし、今度は気持ち良くキッチリ夢の中に旅立たせてやるよ」 「こ、この、化け物があぁ!」 慶志郎はバカ正直に答えた自分を呪った。 【3】 翌週、月曜日。 寝不足で目を据わらせた慶志郎は、デスクでパソコンのキーボードを叩きながら溜息をついた。 毎週末、金曜日の夜から日曜日の午前中まで金剛といる為、疲れが取れない。 日曜日の昼前に金剛は解放してくれるのだが、そこから自宅に戻って寝ても、二日に渡って散々ヤられた身体はヘロヘロで完全に体力が回復するまでに時間を要する。 ゆえに月曜日はどうしても、外回りに行く気になれない。 慶志郎をこんな目に合わせている当の本人は、デカイ図体を屈め自分のデスクで書類と悪戦苦闘している。 「あのー、係長ー?」 遠慮がちに話しかけられて、慶志郎は顔を上げた。 額に『熱血』と書かれた鉢巻を巻いた新人社員の平 順が目の前にいる。 平は金剛と同期入社なのだが、金剛の漢気に感銘を受けたとかで彼を「番長!」と慕っている男だ。 その額の熱血鉢巻は、どこぞの山佐団長と熱血対決でもするのかと訊いてみたくなる。 「…………なに?」 「こ、この書類、確認お願いしたいんスけど」 「あぁ……そこに置いといて」 平が恐る恐る差し出した書類をチラリと見て、目線で脇を指す。 自分を見下ろしてまだ動かない平に、何か?と上目で見ると何故かオロオロしている。 「かっ、係長、何かお疲れッスね……?」 「あぁ……心配は無用だよ。少し寝不足でね」 さっさと仕事に戻りたまえ、フラットボーイ?と返され平はあたふたと戻って行った。 ヘンな子だね、と慶志郎は再びキーボードを叩き始めた。 心臓をバクバクさせて平はデスクに戻ると、深く深呼吸した。 「なにやってんのー、平ー?」 「見ーてたーわよー、平ー?」 双子の女子社員、美佑と美佐がニヤニヤしながら平を取り囲んだ。 「い、いやぁ、ちょっと……係長が」 「鏡係長がどしたの?」 「何スかね、最近の係長、妙に色気あるっつーか。男のオレでもドキドキしちまうんスよね」 「なに、平ってソッチなの?」 「ンなわけないッスよ!係長、前とはちょっと何か変わった感じしないッスか?」 「でも鏡係長、性格はアレだけどモテるじゃない」 三人はこっそり慶志郎に目を向けた。 確かにどことなく憂いを帯びた金髪の係長は色っぽく見える。 実はそれに気付いているのは平だけでなく、社内のあちこちで慶志郎と金剛についての噂が密かに流れているのだが、ここのメンバーや本人達はまだ知らなかった。 美佑が「そう言えば」と言い出した。 「係長は置いといて、総務部とか海外事業部の女子が番長の事で言ってたわねー」 「なになに?」 「番長がどうかしたんスか?」 「知らない?番長って外回りに出るたんびに、取引先とか営業先の社内の女から声をかけられてるんだって」 「声って、なんて?」 「デートよ、デート。ま、番長はいっつもああだから、軒並み相手にしてないらしいけど」 「うっそー!」 「マジなんスか、それ?」 「ほんとほんと、あたし取引先に知り合いがいるから、確かな情報だって」 「意外ー、番長がねえ」 「うーん、番長って男前ッスからねえ。そりゃモテますよ」 三人がヒソヒソ話していた時「きゃっ!」と悲鳴が上がった。 声の方を向くと、双子と同期で金剛の教育係を任されている清澄 雫が踏み台から落ちそうになる所だった。 《雫っ!》 双子がハモって叫ぶ。 あわや転落、という場面を回避したのはたった今話題にしていた番長だった。 持ち前の身体能力と反射神経で立ち上がり、その大きな体躯で後ろから雫を抱き止めて落ちて来たファイルを掴む。 どうやら高い所にあったファイルを取ろうとして、踏み台を使ったものの、ヒールが滑ったらしい。 「ちょっと雫、大丈夫なの?」 「もーう、ドジなんだから!」 「ケガなくて良かったッス!」 あわやの場面で大事にはならず、駆け寄った双子と平がホッと胸を撫で下ろした。 「あ、ありがとう、轟くん」 「気を付けろ、言ってくれたら取る」 体格の差からどうしても雫が金剛を見上げる形になるが、無表情でこちらをチラリと見下ろして来るその目に雫はドキッとした。 金剛はさっさと戻り、書類の作成の続きを始める。 雫はドキドキする胸をファイルで隠してデスクに着いた。 轟くん、何だか凄く色っぽいんだけど……! 流し目って言うのかな、あの目。 ああもう、顔が赤くなっちゃってるよ私! 心配してくる双子や平が番長ってさすがねえ、と言うのに適当に合わせて雫は速まる鼓動をどうにか静めたのだった。 知ってる?営業部の鏡さんと轟さん。 あの二人、よく一緒に外回りに行くんだけどね……。 轟さんって、番長って呼ばれてる人よね? 社長の息子さん。 そうそう、見た感じおっかない人なんだけど、社内けたらしいよ。みんな玉砕したけどね。 えー、鏡さんなら分かるんだけどなー。あの人、怖くない? それがね、外回りで行った先でも声かけられるみたいなんだよね。 あの目がね、凄いセクシーなんだって。 セクシーって言えば、ウチの部の男連中がちょっと噂してたけど、鏡さんも最近雰囲気が変わったって言ってたわー。 男から見てもつい誘いたくなるって。 そう言えば私、あの二人が夜に一緒に歩いてるの見たよ。 正反対の二人だから逆に仲良いのかな? ヒソヒソと、まことしやかに社内では噂が流れていた。 【4】 九月に差しかかり、そろそろ涼しい風も吹き始めた秋の気配を感じる、ある日の営業部。 「お断りします」 「そう言わずに頼むよ、轟クーン!」 鏡 慶志郎が出先から戻ると、部長のデスクの前で苦虫を噛み潰したような表情の轟 金剛と、両手をパン!と合わせて頭上に掲げる部長の姿があった。 「この通り、頼むっ!是非とも君に出席して貰いたいと、先方からのご指名なんだよ!」 「俺には関係ない話です」 「ウチのお得意様なんだよ~、向こうの専務のお嬢さんがどうしても君を、と言っているんだよ」 「俺はその女を知りません」 「ミスター・部長、どうかしましたか?」 延々と押し問答をしている2人に慶志郎が割って入った。 「おお、鏡クン!君からも轟クンを説得してくれないかね!?」 「説得?一体、何のお話で?」 「……知らねえ、何かの集まりで俺にも出ろと言われてる」 「集まりじゃなくてパーティー。来週、海外事業部関連のパーティーがあってウチの部署の役職も出席するんだがね、轟クンも招待されたんだよ」 「海外事業部と営業部とでは畑違いでは?」 「いくつか集まる会社の中でウチの取引先があるんだけどね、どうやら偉いさんのお嬢さんが轟クンを見初めたらしくてねえ、是非とも会いたいと仰ってるんだよ」 なるほど、いつものアレかと慶志郎は察した。 そのお嬢さんとやらが、無駄に垂れ流す金剛の色気に引っかかったワケだ。 「とにかく俺は行きません」 取りつく島もなく金剛は一刀両断で切り捨てた。 彼のこういう所も、無駄に漢気が溢れ過ぎている。 「ほんのちょっと顔を見せて挨拶するだけでいいから!」 「嫌です」 そりゃそうだろうな、と再び始まる不毛なやり取りを眺めながら慶志郎は思った。 とある企業の御曹司である慶志郎も、実家の事業関連で子供の頃から親に連れられて、その手のパーティーに何度か行った事があるが、大人の醜い場面を目にする事も多かった。 子供だから分からないだろうと思って、下世話な話に興を咲かせる大人達。 中には犯罪紛いスレスレの行為を自慢する輩も居た。 確かに金剛はああいう華やかな場は似合わない。 本人も分かっているから、頑なに拒んでいるのだ。 「ね、鏡クンからもどうか一つ!」 「本人が行きたくないと言ってるのですから、何とか断れないのですか?」 面倒な事に関わってしまったと後悔して、慶志郎も金剛の援護射撃に出た。 思いがけず、慶志郎が味方についてくれたと金剛が少し安堵の表情を見せる。 「鏡クンまでそう言わずに頼むよ。お得意様のメンツもあるんだよー」 そう言ってから部長はふと、慶志郎をマジマジと見た。 「ミスター・部長、見つめられても困ります。ワタシにそういう趣味はありません」 「勘違いしないでくれたまえよ、私だってないよ!」 趣味はねえけど、俺に抱かれてるじゃねえか。 しれっと言い退ける慶志郎に突っ込みたくなる金剛。 助け船を出して貰っといて、この態度である。 慶志郎が知ったら即座に敵に回るのは必須だ。 「そうだ、鏡クンも一緒に行けばいいね!」 《………………は?》 名案とばかりに手を打つ部長に二人揃って訊き返す。 「ち、ちょっと待って下さい。一緒にって?」 「鏡クン、君はこういう場に慣れているだろう?轟クンと一緒に出席して、頃合いを見計らって彼を連れて退場して来たらいいよ」 「いやあの、ワタシは招待されてません」 「係長と一緒だろうが、俺は行きません」 「事業部に話をつけておくよ、だからね」 《お断りします》 今度は二人ハモって切り捨てる。 「……うぐぐ、よし!じゃあ、出てくれたら二人には特別に有給休暇をあげよう!」 有給休暇という言葉に慶志郎は一瞬グラつきそうになったが、たかが一日二日もらったところで割に合いそうにない。 そんな心の葛藤を読み取ったか、部長が押してきた。 「一週間!有給休暇一週間でどうだね!?」 「……………」 「おい係長、テメエまさか受けるんじゃ」 「1週間、間違いないですね?」 「何なら今ここで有給休暇の申請を受けようじゃないか!じゃあ、宜しく頼むよっ!」 「イエッサー、ミスター・部長」 この金髪野郎、落ちやがった……金剛は盛大に舌打ちした。 その問題のパーティー当日。 ブラックフォーマルの慶志郎と和服で略礼装の金剛が会場に居た。 金剛が着物姿なのは、どうしてもフォーマルに革靴が嫌だと言い張ったからだ。 色紋袴に羽織りを着て長い髪を後ろで一つに括っている大男はとかく会場内で目立つ。 加えて金髪の大男が隣に立てば嫌でも人の目を惹く。 不機嫌さを隠そうともせず、金剛は周囲から向けられる視線に苛立っていた。 「轟くん、少しくらい辛抱してくれないか」 「テメエが有休に目ェ眩んだせいだろうが」 「誰かさんのせいで身体の疲れが取れなくてね。まとまった休みが欲しかったんだよ」 互いにギロリと睨み合いながら、小声で文句の応酬をする。 「鏡くん、轟くん、無理を言って申し訳なかったね」 二人の元にこの話を持ってきた原因の海外事業部の常務がやって来た。 その後ろに常務と同じくらいの年齢の男性と20代と思われるドレス姿の女性が居た。 男性の方は二人に挨拶をしてくれたのだが、女性は礼もそこそこに「轟さん、お着物なんですか!」と、きゃあきゃあと騒いで纏わり付いてきた。 恐らく彼女が金剛を見初めたという女性なのだろう。 親に駄々を捏ねて無理を押し通したのが見て取れる。 慶志郎はピンときた。 多分、この女性はこうして親のパーティーに着いて来ては、気に入った男を漁っているのかも知れない。 金剛が最も嫌悪する目をしているし、慶志郎から見ても浅ましい立ち振舞いで眉を潜めてしまう。 彼がキレる前にさっさと退散した方が良さそうだ……と考えた時、慶志郎は偶然にも実家関連で繋がりのある知り合いに声を掛けられてしまった。 「轟くん、済まない。ちょっと挨拶をして来る。すぐに戻るから」 「おい、鏡、」 「ソーリー、少しだけだから」 その場を離れた慶志郎は後に後悔する事になる。 くそ、あの野郎……週末は覚えてろ。 慶志郎が離れ一人になった金剛に、ベタベタと纏わりつく女が鬱陶しい。 「ねえ、轟さんって彼女とかいらっしゃるの?」 「いねえし、いらねえ」 「じゃあー、私が立候補しちゃおっかな」 いらねぇと言ってんのに、聞いちゃいねえ。 あれやこれやと話しかけられるが、金剛は一言二言返して取り合わない。 今日は慶志郎の車で一緒に来ているので、彼が戻って来るのを待つしかない。 「もう、轟さんったらつまんなーい」 どうあっても靡かない金剛に飽きたのか、業を煮やしたのか女が一杯だけお酒に付き合って、と言い出した。 飲んだらお終いにするから、と言われ金剛もそれで済むならと了承する。 グラスを乗せたトレイを持ったウェイターを呼び止め、女が赤ワインのグラスを二つ取り、一つを金剛に渡した。 日本酒やビールは嗜む金剛だったが、ワインやウィスキーなどの洋酒は殆ど飲まない。 躊躇う彼に「かんぱーい」とグラスを合わせ女が口を付けるのを見て、金剛は一気に飲み干した。 赤ワイン特有の渋味が喉を通る。 飲み慣れない酒だから、気付かなかった。 カッと胃が熱くなる。 急速に鼓動が速まる。 目の前が赤く染まる。 下半身に熱が集まる。 「美味しい?」 面白そうに笑う女。 一気に全身に熱が回り、乱れる呼吸で先程のウェイターに目をやると、気まずそうな顔で立ち去って行く。 コイツもグルか、金でも握らせたか。 それに思い当たった時、金剛はグラスを床に叩き付けていた。 NEXT→
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