49 / 60
第十五章 クローズ・コール②
賑やかな居酒屋、四人掛けのテーブル席でありながら、その座る位置は何故か隣同士だった。佳嘉が壁際に追いやられる形で座らされ、唯一の逃げ道である通路側の席を青木の巨体で塞がれている。
真生とこういった酒の提供をメインとする飲食店に来たことはない。中学生でないことには薄々気付いていたが、パパ活という体裁を守るためにも食事をするときは健全な場所を選んできた。
ただでさえ狭い居酒屋のテーブル席、せめて向かい側に座ってくれればお互いに余裕を持てたはずだが、青木は更に佳嘉を座席の奥へ追いやるように距離を詰めていき、手にしたグラスへビールを注ぐ。
「ヤンパパにも程があるっしょ!」
勢いよく注がれたビールはグラスを飛び出し、その飛沫と泡が佳嘉の手を汚す。
真生は一度席を外した隙にウーロン茶へ睡眠薬を混入されたらしいと言っていて、〝一杯だけ〟という話もどこまで信じていいのか分からない。佳嘉はグラスの中のビールとその中に浮かぶ気泡を警戒して見つめる。
「真生くんパパ一体今幾つよ? え、幾つなの? 随分若く見えるけどさあ」
「え、ええと、三十四ですね今は」
真生がこの人物を苦手としている理由がなんとなく分かったような気がした。真生には悪いが自分の名を明かさずとも青木が〝真生くんパパ〟として認識しているのならば、それをあえてこちらから訂正して名乗る必要もなかった。
青木はまだ中身が入ったままのグラスを勢いよくテーブルに叩きつける。本人叩き付けたという認識がなくとも、その巨体から発せられるエネルギーは普通に置いたとしても少し勢いがついただけで大きな衝撃となる。
「はあー! じゃあまだ二十歳になる前にハメて真生くんデキちゃったわけか!」
真生が青木の前でも中学生と名乗っていたのならば、逆算すればそういうことになる。青木はソーセージのような関節のない指で輪を作り、もう片方の指でその話の中心を突くようなジェスチャーをするが、その行動そのものが佳嘉にとってただ不快極まりないものだった。
「将来のこととか、なにも考えなかったの? ねえっ?」
突発的に真生の父親を名乗るまでは良かったが、細かいところを突っ込まれてしまうと具体的な内容までは想像が及ばず、場を受け流すために適当な相槌を打ちながら指先で持ったグラスに口を付ける。
騒がしい店内の中では青木の声は寧ろうるさいくらいで、それが真隣に居座られると声だけではなく食べカスや唾液が飛んでくることもある。なによりも佳嘉が耐え切れなかったのは避けることが難しい、青木から放たれる異臭だった。
それは体臭をメインに、さらにそれを隠そうとしている香水が余計に強烈な悪臭を放っていた。
わざとなのか癖なのかは分からなかったが、青木が足を開く度に佳嘉はぐいぐいと席の奥へ追いやられていく。当の青木がそれをどう感じているのか分からなかったが、佳嘉が席を詰める度青木は更に身を寄せてきているような気がした。その証拠に、最初に青木の前に置かれたグラスの痕と、今のグラスの位置は大分離れている。
「真生くんパパちゃんと飲んでんのお?」
「あぁ……はい」
ただでさえビールは纏わりつく泡や独特な苦みが好きになれず、舐めるようにちびちびと煽っていく。一気に飲み干せばそれこそ酔いの回りが早くなり、青木が知っているかもしれない真生の情報という餌に焦れ始めていた。
青木は佳嘉に寄り掛かるように身体を押し付けながら、佳嘉のグラスにビールを注ぐ。〝一杯〟というのはやはり口だけで、無くなりかけた頃に注がれるビールは佳嘉を終わりのない絶望へ突き落とした。
「ッ……!」
青木がその太い腕を強引に回し、佳嘉の肩をがしっと掴む。唐突に肩を抱き寄せられ、グラスから溢れ出す泡が佳嘉の手を汚す。
グラスをその場に置き、席から僅かに腰を上げおしぼりで手やテーブルを拭く佳嘉だったが、途中で違和感に気づき手が止まる。
肩に回されていた青木の手が、肩から腰、そして臀部へと滑り落ちていき態とらしいほど撫でくり回す。撫でて、揉むように掴み、強弱を付ける。
「ちょっ、ヘンな触り方しないでくださいっ……」
まさか自分が。そんな思いが佳嘉にはあった。ただ青木の対象が若者のみではなく、男女関わらず誰でも構わないのであったら――ここに居続けることは危険だと判断できた。
佳嘉からの不服を申し立てられた青木は、その脂肪の厚みで開いているかも分からない細い目でぎろりと佳嘉を睨み上げる。
「はあぁ? なにバカなこと言っちゃってんの? 男同士でしょうがっ!」
痴漢は疑惑を向けられると必ず冤罪だと言う。そういった人物が正直に罪を認めるわけがなかった。まるで告発した側が間違っているとでも言わんばかりの態度に、佳嘉はおしぼりを握りしめる。
「別にっ、こぁんなことしてる訳じゃないんだからさあっ!」
青木の手は佳嘉の臀部を掴むだけでは飽き足らず、スラックス越しでありながらもその中心部に指をぐいぐいと捩じ込むようにして動かす。腰がびくりと跳ね、佳嘉は咄嗟に青木の手首を掴む。
「あの、あなた本当は真生の居場所なんて知らないですよね?」
――青木は、害悪だ。もしかしたら真生の情報を知っているかもしれないと少しでも期待してしまった自分が情けない。
ロード中
ロード中
ともだちにシェアしよう!