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18 佐月という男

 唇に濡れた感触がした。慣れ親しんだ味に、薄く瞳を開ける。 「ん……」 「おはよ、アキラ」 「あー……。爆睡してた……」  起き上がるのを北斗に手伝って貰う。身体に北斗のジャケットが掛けられていた。 「寝せておきたかったんだけど、帳簿まだ解らないから」 「ああ、うん。ありがとうな。締め作業したの?」 「うん。終わってるよ。掃除もした」 「マジか」  どうやら、すべて北斗が済ませてくれたらしい。あんなにやる気がなかったのに、すごい進化だ。 「こりゃ、マジでご褒美やらないと」  ふっと笑ってそう言うと、北斗が俺の手を掴んで、手のひらにキスをしてきた。不意打ちに、心臓が跳ねる。 「ん。期待してる」 「っ……、と。帳簿やっちゃうか。お前も帰りたいだろ」 「やり方教えて。まあ、今度でも良いけど」 「マジで頼りになるじゃん」 「その方が、アキラは嬉しい?」 「そりゃあ……」  当然。まあ、寂しくもあるけど――。 「じゃ、覚える」 「お前がイイコだと、ちょっと怖くもあるけどな」  ふふ、と笑って、帳簿を開く。北斗がすでに計算は終わらせているので、記帳するだけだった。    ◆   ◆   ◆  仕事を終えて、帰路に着く。疲れていたが、仮眠のお陰でずいぶん楽になった。  マンションの部屋の前に辿り着いて、北斗を振り返る。 「今日はありがとうな」 「……」  北斗は無言で、帰る気配がなかった。徐に俺を部屋に押し込め、自分も侵入してくる。 「おい?」 「ちょっと、話」 「ん? 良いけど……」  無言のままの北斗を連れて、ソファに座る。テレビを着けようか一瞬迷ったが、止めておいた。 「話って?」 「……元カレって?」 「―――あー……」  元カレという単語に、どっと疲れが舞い戻った気がした。ハァとため息を吐いて、額に手を当てる。頭痛がしそうだ。 「処女じゃなかったの?」 「それはお前が良く知ってるだろ。最初入らなくて、無茶したクセに」 「そうだけど――まあ、僕のでかいし」 「ああ、まあ、そうな」  いやでも、正真正銘、あの時は処女だったからな。 「付き合ってたつもり、全然ないんだけど……。一時期、一緒に住んでたの」 「は」  北斗の声に、怒気が乗る。  なんで怒ってんだよ。    ◆   ◆   ◆  佐月は最初、店の客としてやって来た。とある女優に連れられてやって来た、おまけみたいな感じで。  女優はイケメンホストにちやほやされることに夢中だったから、自然と放置されていた佐月と俺が会話する流れになった。女優は佐月の事務所の先輩らしく、仕事を覚えるついでに、マネージャーのようなことをさせられていたらしい。いま思うと、多分、愛人でもあったのだろうな。 「アキラくん、話しやすいから楽だわ」  なんて言われながら、俺自身も佐月と話すのは楽しかった。  その後、何度か女優のお供で着いてきて、その度に佐月と交流を深めた。  ――ある日。  店の前に、鞄一つを抱えた佐月が居た。聞けば、女優とトラブルになり、事務所も辞めてしまったらしい。行く当てのない佐月に、俺は気も合うし、同情もしたし、しばらく彼を家に置くことにした。  ホストと役者の生活は、微妙にすれ違い、微妙に噛み合った。お陰で、ストレスなく一緒に居られた。だが、暫くすると、仕事がうまく行かない佐月は、俺をさらに頼るようになってきた。 「オーディション、全然受からなくて……」  端役一つ見つからない日々が続き、佐月は目に見えて落ち込んでいた。広告のモデルなんかで食いつないでは居たようだが、限界だったようだ。  演技のレッスンや歌の稽古。そういったものを増やせば、役が貰えるのではと、レッスンを増やし、借金までしているようだった。  見かねて、手助けをしたのが悪かったのか、佐月の本心だったのか、解らない。 「オレ、バイなんだよね。……アキラのこと、好きになっちゃったかも」  綺麗な顔で、佐月がそう囁いた。俺が立て替えた金が、百万を超えた頃だった。  男女どちらでもいけるというのは、嘘ではなかったと思う。けど、本当に俺が好きだったのかは解らない。  カノが言うように、佐月は既に俺のヒモ状態で、衣食住からレッスンの料金までを、俺が出していた。 「出世払いで良いよ」という言葉は、次第に「投資だから」に変わり、「友達だから」と変化した。俺自身、返ってくると思ったことはない。 「本気なんだけどな」  そう言ってキスされたとき、初めて。  少しだけ動揺した。  そして、佐月は。  本当に急に、跡形もなく俺の前から消えた。  俺の、預金通帳ごと。

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