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22 それだけの記憶
泣いたことなんか、随分ないのに、久し振りに泣いたせいかなかなか涙が止まらなかった。その間ずっと、北斗が背中をさすってくれていて、そのせいで余計に涙が出て仕方がなかった。
北斗に宥められながら家に帰って、ベッドに寝かされる。涙は治まってきたが、ひくっ、ひくっとしゃくり上げるような身体の反応は治まらなくて、目が泣きすぎて腫れていて、胸が苦しくて仕方がなかった。
「もう大丈夫だから。悪いヤツは来ないから。眠って良いよ」
子供をあやすようにそう言われ、北斗が額にキスをする。そのまま離れようとする北斗の服を、咄嗟に掴んだ。
「いか、ない……でっ……」
「……アキラ……。うん、ここにいる」
ああ、なんて、駄目なんだろう。俺。
頭も心も、ぐちゃぐちゃだ。
北斗が隣に寝そべって、俺のことを抱き締める。優しく抱き締められる温もりに、ホッとして瞳を閉じた。
「北斗……」
お前が傷つくのは、嫌だよ。
お前が傷つけられるのは、嫌だった。
(ああ、俺――思ってるよりずっと――)
北斗のことが、好きだったんだ。
◆ ◆ ◆
俺の実家は、千葉県にある小さな町の病院で、祖父の代からずっと医者をやっているような家だった。当然のように俺も医者になるのだと思っていたし、そのための勉強をしてきた。
小児科医を目指して勉強漬けの日々を送り、父からのプレッシャーを受けながらも、なんとか医大には合格した。
けれど、受験のストレスと父との折り合いの悪さから、次第に学校へ行く足が遠退き、気づいたら地元の暴走族とつるむようになっていた。
所属していた暴走族『|死者の行列《ワイルドハント》』が解散したあとも、素直に学校へ戻らなかったのは、親への反発だった。素直に戻っていれば、違う人生が待っていたのかも知れない。
けれど俺は家出同然にそこを逃げ出し、萬葉町へと流れ着き、そこで、新しい『家族』と出会ってしまった。
最初は、ヨシト、ユウヤ、カノの三人とつるんでいた。三人とも萬葉町出身で、殆どは風俗上がりの親のもと、まともな生活を送っていなかった。ヨシトは詐欺紛いのことをしていたし、ユウヤは女を引っ掻けては貢がせていた。弟分のカノはケンカばっかりで、度々怪我をして帰ってくるので、俺がその手当てをしていた。そのうち、久保田月郎というヤクザに拾われて、仕事をするようになった。
月郞さんの仕事は、ヤクザらしく色々あったが、未成年ばかりだった俺たちに、犯罪はさせなかった。曲がりなりにも大学に受かっていた俺は、月郞さんのもとで経理紛いのことをやった。
その場所が『家』になるのは、自然なことだった。ある日、月郞さんがホストクラブを作ると言い出し、俺たちはそこで働くことになった。彼は、俺たちに居場所を作ってくれたのだと思う。
萬葉町の少年たちのための、小さな鳥かご。それが、『ブラックバード』だった。
『ブラックバード』が出来たばかりの頃は、みんな同じ部屋に雑魚寝して、家族のように暮らしていた。俺は大抵、飯担当で、作れる料理はチャーハンだけだったけど、みんな一番美味しいと食べてくれて、それが嬉しかった。
カノがある日、ブスッとした様子で帰ってきた。ホストになったらケンカをやめろと言われていたのに、顔に痣を作って帰ったので、ヨシトさんはかなり怒っていた。
「なにやってんの」
「知らね。あの馬鹿力、ほんとムカつく」
それを聞いて、俺は目を瞬かせた。カノがケンカに負けるのは、珍しかった。
どんな子なのか気になって、会わせて見ろと言うと、連れていかれたのは『児童養護施設『のばら』』という、小さな施設だった。
その少年は、酷く汚れて、傷だらけだった。世界中の全てが敵みたいな顔をして、ギラギラした眼で睨み付けるのを、俺は笑ってその子の頭を撫でてみた。
ビクリと、反射的に震える様子に、彼が日常的に暴力を受けて育ったのだと気がついた。
殴られる。そう思った自己防衛反応だと、心理学で習った気がする。
「腹減ってない? 今からチャーハン作るんだけど、一緒に食わない?」
「……」
少年は無言だったけど、目線を合わせてじっと見ていると、やがて小さく頷いた。
たいした話しはしなかった。カノが元気すぎるとか、ユウヤみたいな大人は駄目だとか、そんな話をした気がする。
「お前も、十八になったら店に来ると良いよ。待ってるから」
施設を十八になったら出なければならないのは、知っていた。小児科医になろうとしていた時に、児童養護施設の施設長が、医者の資格がないとなれないと知って、調べたことがあった。
特別なことなど、俺にとっては何一つなくて、ただ、それだけのことだった。
少年とはそれきり逢うことはなかった。店も軌道に乗って忙しくなった。俺は夜の世界の人間で、昼のことは解らない。
ただ、それだけの記憶。
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