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28 思い悩み、

 ガシャン! けたたましい音に、ハッとして意識を取り戻す。手元にあったはずのグラスが滑り、床に落ちていた。 「キャア! ちょっとぉ、アキラ?」 「っ……! ごめんね、怪我してない?」 「もう! 靴濡れた!」  仕事中だというのに、ぼんやりしてしまった。スタッフが割れたグラスを片付けにやって来る。 「ごめんね……」  靴を拭いてやりながら、自己嫌悪に陥る。何年、ホストやってんだ。 「良いけどぉ? お詫びにチューしてくれたらね♥」 「そんなんで良いの?」 「いいよ♥ はい、チュー♥」  彼女の腰を引き寄せ、唇を寄せた瞬間。 「ダメだよ」  どこから現れたのか、北斗が彼女と俺の間に手を挟んで邪魔をしてくる。 「ちょっと! 北斗! 良いじゃんキスくらい!」 「ダメだよ。僕のなんだから」 「お前な……」  聞いていてこっちが恥ずかしくなる。 (ダメって……。キスくらい……)  キスくらい良いだろう。と、思うのは、俺がホストだからなんだろうな。北斗と言い争う彼女を眺めながら、苦笑する。 「キス営業くらい良くない?」 「僕はしてないよ」 「それは――」  まあ、そうなんだけど。  北斗が俺の耳に唇を寄せた。 「アキラは、僕が他のひととキスしてるの、平気なの?」 「え?」  そんなこと、考えたこともない。だって、北斗はキス営業をしないし、昔から嫌がっていたから。  頭の中で、北斗がキスするのを想像する。女の子とするのは、多分嫌なんだろう。じゃあ、客が男だったら、どうだっただろうか。  北斗が、俺の知らない誰かを隣に座らせ、腰を引き寄せる。そして、唇を寄せ合う。そんな光景を想像して、胃がムッとするような感じがした。 「……」  黙り込んだ俺に、北斗が満足したように笑う。 「ね?」 「……解ったよ。キス営業しないから……。頭ナデナデで良い?」 「んー。仕方がないから、それで許して上げる」  彼女のセットした髪を乱さないように、髪を撫でる。満足そうに笑うのを見て、ホッと息を吐いた。  まあ、北斗の方は頭を撫でるのにも嫉妬していたようだが。 (ホストとして、どうなの? とは思うけどさ……)  まあ、身体を使って稼ぐ時代でもないのか。  溜め息を押し殺し、仕事に専念する。お客さんを楽しませるのが仕事なんだ。ボンヤリしてる場合じゃない。    ◆   ◆   ◆ 「上の空だったじゃん」 「北斗……。アフターはどうした」  モップを掛けているところに、北斗がやって来る。 「断った。ゴミ出ししてきたから」 「あ、悪い」 「それで、不調の理由は、佐月?」 「……ヨシトさんから聞いたの?」 「まあ、アキラのこと気にしてたよ」 「……」  モップに寄りかかり、溜め息を吐く。今日はなんだか、失敗ばかりだった。 「ホント、自分でも嫌になる。北斗に酷いこと言って、二度と逢いたくないのに。ヤクザに追われているなんて聞いたら、気になって……」 「僕はアキラの、そういうところが好きだよ」 「なに言ってんだよ……」  北斗は本気のようだったが、俺自身は自己嫌悪の真っ只中だ。流されやすく、優柔不断で、甘い。俺だけならまだしも、北斗にとっても損だし、傷つけるかも知れないのに、佐月のことが気になっている。  もし、佐月がまたやって来たら、俺はどうするのだろう。少なくとも、ヤクザに引き渡すなんて考えられない。佐月が殴られ、血塗れになって倒れている姿など、考えたくもない。 「いざってとき、判断を間違えたくない。俺が大切なのは、北斗なんだから」 「ん。僕も、一番はアキラだよ。でもさぁ、アキラの場合、二番目にアキラが入らないじゃない」 「え?」 「アキラの一番は僕でも、二番目はカノとかユウヤとか、ヨシトじゃん。僕は、アキラにはアキラのことも、大事にして欲しいからね」 「―――」  北斗の言葉に、声を詰まらせる。北斗が言うことは、確かに正しい。だって俺は、家族が大事で。  北斗は真剣な顔をして、俺の手を握り締めた。「わかったね?」と言い聞かせるような顔で俺を見る北斗に、俺は小さく頷いた。  俺にとって、この場所は家で、家族で。みんな大事だけど。 「ちゃんと、自分のことも考えるよ」 「そうして」  カノが『ブラックバード』を出たように、いつかユウヤもヨシトも、この場所を巣だって行くのだろう。  そうなったら、俺は一人になるんだと、ずっと思っていたけれど。  チラリ、北斗の方を見る。  北斗だけは、多分ずっと、俺の傍にいてくれるのだろう。

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