30 / 34
30 逃亡者
店の裏手にあるゴミ捨て場にゴミを片付けながら、頭を押さえる。どう考えても飲み過ぎだ。
「ああ、掃除……明日出勤してやるか……」
今日はみんな飲み過ぎたせいで、いまだ床やソファで溶けているやつが多い。お客さんはなんとか帰したが、彼女たちも明日は酷いものだろう。
「アキラ、割れたグラスここで良い?」
「北斗。ああ、良いよ。お前は大丈夫?」
「ふは。アキラ辛そうじゃん。僕は途中からジュース飲んでたよ」
「ズルいの」
一人だけ平気そうな顔をしている北斗が羨ましくなる。いつの間にかジュースに切り替えていたらしい。俺にもそうしてくれれば良かったのに。
「取り敢えず、寝てるやつら叩き起こして戸締まりしないと」
「だね」
そこから、北斗と二人で、なんとかみんなを起こして、店を追い出す。ユウヤはゴミ捨て場でまだ転がっているが、そのうち帰るだろう。面倒なだけで、起きてはいるようだ。
「カノたち、楽しそうだったよ。客で参加できて」
「本当ならアイツもこっち側だったのにな」
店の扉を閉め、施錠を確認する。酔ってはいるが、これだけはちゃんとしないと。
酔っぱらって火照った頬に、夜風が気持ちいい。二人並んで歩きながら、俺は北斗を見上げた。
「ちょっと、遠回りして帰る? 酔いざましに」
「良いよ」
何となく、祭りのあとみたいな空気に、名残惜しさを感じてそう提案した。このまま帰って眠るには、少し勿体ない。
「これからどうなるかな」
十年も営業している店は、多くない。看板を変え、形態を変え、新しくした方が客が来たりする。『ブラックバード』も、この先二十年、三十年とやれるかは解らないし、さすがにその頃には、俺も店を辞めるのだろう。
「カノみたいに昼働く?」
「あは。お前、合わなさそう」
「ホストならなかったら、施設で働いてたよ」
「――ああ、良いかもなあ」
それなら俺も、もう一度小児科医を目指してみようか。子供だった自分も、大人になった。あんなに抵抗があった自分の家が、遠い存在になってしまった。
(家族は、元気だろうか)
実家には今も、両親と妹が居るのだろうか。近況もなにも解らない。十年間、逃げ続けて思い出そうともしなかった。無責任に逃げ出して、なかったふりをした。
北斗の手を握り締め、横顔を見る。
俺は結婚もしていないし、子供も居ないけれど、あの頃の父親の気持ちは少し解るようになった。失敗させたくなくて、転ばせたくなくて、厳しくしたことも、今では解っている。
「どうかした?」
俺の視線に気づいたのか、北斗がこちらを向いた。
「ん。いや……。俺って、本当は、帰る場所あったんだよなって」
本当は帰る場所があったのに、手離してしまった。
北斗が、ぎゅっと手を握ってくる。
「遅くないだろ。別に」
なんでもないことみたいにそう言って、北斗が鼻を鳴らす。思わず、笑ってしまった。
「……遅くないかな?」
「全然。まあ、こっちも、手離さないけどね」
「っ、うん……」
指を絡めあい、何となく体温が上がる。
夜の町は寝静まっていて、とても静かだった。ネオンの消えた街を歩きながら、星のない夜空を見上げる。故郷の空は、星がたくさんで、街灯がなくとも月の明かりだけで歩けるほど、明るかったのを思い出す。
と、不意に、静けさを引き裂くように、怒声が響き渡った。
「待ちやがれ!!」
唐突に響いた声に、二人とも驚いて立ち止まる。
「っ…!?」
物が倒れる音と、誰かが走る音。思わず、騒音の方をみやると、路地の隙間を駆け抜けて、ロングコートの男が飛び出してきた。
一瞬、目が合う。
(佐、月……っ)
佐月は驚いた顔をして、目を見開いた。「アキラ」唇が、名前を呼んだ気がした。
「っ……!?」
ガシッ! 佐月の手が、俺の腕を掴む。あ、と思っている間に、俺は強引に腕を引かれ、佐月に半ば抱えられる状態で連れ去られる。
「ちょっ……!」
「アキラ!!」
北斗が腕を伸ばす。だが、僅かに届かない。路地の奥から追いかけて来たヤクザ風の男が、進路上にいた北斗にぶつかった。
「なんだ、テメェ!」
「っ!!」
佐月はその隙をついて、俺を引っ張って大通りの方へと駆けていく。
「おいっ、佐月!」
大通りに出ると、丁度やって来た流しのタクシーを捕まえる。俺を押し込めるようにタクシーに乗せ、素早く自分も乗り込むと、行先を告げる。
「おい、佐月! 下ろせよ!」
「いいから、黙って」
佐月が懐をチラリと見せた。折り畳みナイフの存在に、怖気づいてグッと息を詰まらせる。
「――佐月…」
走るタクシーの中、飛び降りることも出来ずに、俺はただ佐月を見つめることしか出来なかった。
ともだちにシェアしよう!

