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30 逃亡者

 店の裏手にあるゴミ捨て場にゴミを片付けながら、頭を押さえる。どう考えても飲み過ぎだ。 「ああ、掃除……明日出勤してやるか……」  今日はみんな飲み過ぎたせいで、いまだ床やソファで溶けているやつが多い。お客さんはなんとか帰したが、彼女たちも明日は酷いものだろう。 「アキラ、割れたグラスここで良い?」 「北斗。ああ、良いよ。お前は大丈夫?」 「ふは。アキラ辛そうじゃん。僕は途中からジュース飲んでたよ」 「ズルいの」  一人だけ平気そうな顔をしている北斗が羨ましくなる。いつの間にかジュースに切り替えていたらしい。俺にもそうしてくれれば良かったのに。 「取り敢えず、寝てるやつら叩き起こして戸締まりしないと」 「だね」  そこから、北斗と二人で、なんとかみんなを起こして、店を追い出す。ユウヤはゴミ捨て場でまだ転がっているが、そのうち帰るだろう。面倒なだけで、起きてはいるようだ。 「カノたち、楽しそうだったよ。客で参加できて」 「本当ならアイツもこっち側だったのにな」  店の扉を閉め、施錠を確認する。酔ってはいるが、これだけはちゃんとしないと。  酔っぱらって火照った頬に、夜風が気持ちいい。二人並んで歩きながら、俺は北斗を見上げた。 「ちょっと、遠回りして帰る? 酔いざましに」 「良いよ」  何となく、祭りのあとみたいな空気に、名残惜しさを感じてそう提案した。このまま帰って眠るには、少し勿体ない。 「これからどうなるかな」  十年も営業している店は、多くない。看板を変え、形態を変え、新しくした方が客が来たりする。『ブラックバード』も、この先二十年、三十年とやれるかは解らないし、さすがにその頃には、俺も店を辞めるのだろう。 「カノみたいに昼働く?」 「あは。お前、合わなさそう」 「ホストならなかったら、施設で働いてたよ」 「――ああ、良いかもなあ」  それなら俺も、もう一度小児科医を目指してみようか。子供だった自分も、大人になった。あんなに抵抗があった自分の家が、遠い存在になってしまった。 (家族は、元気だろうか)  実家には今も、両親と妹が居るのだろうか。近況もなにも解らない。十年間、逃げ続けて思い出そうともしなかった。無責任に逃げ出して、なかったふりをした。  北斗の手を握り締め、横顔を見る。  俺は結婚もしていないし、子供も居ないけれど、あの頃の父親の気持ちは少し解るようになった。失敗させたくなくて、転ばせたくなくて、厳しくしたことも、今では解っている。 「どうかした?」  俺の視線に気づいたのか、北斗がこちらを向いた。 「ん。いや……。俺って、本当は、帰る場所あったんだよなって」  本当は帰る場所があったのに、手離してしまった。  北斗が、ぎゅっと手を握ってくる。 「遅くないだろ。別に」  なんでもないことみたいにそう言って、北斗が鼻を鳴らす。思わず、笑ってしまった。 「……遅くないかな?」 「全然。まあ、こっちも、手離さないけどね」 「っ、うん……」  指を絡めあい、何となく体温が上がる。  夜の町は寝静まっていて、とても静かだった。ネオンの消えた街を歩きながら、星のない夜空を見上げる。故郷の空は、星がたくさんで、街灯がなくとも月の明かりだけで歩けるほど、明るかったのを思い出す。  と、不意に、静けさを引き裂くように、怒声が響き渡った。 「待ちやがれ!!」  唐突に響いた声に、二人とも驚いて立ち止まる。 「っ…!?」  物が倒れる音と、誰かが走る音。思わず、騒音の方をみやると、路地の隙間を駆け抜けて、ロングコートの男が飛び出してきた。  一瞬、目が合う。 (佐、月……っ)  佐月は驚いた顔をして、目を見開いた。「アキラ」唇が、名前を呼んだ気がした。 「っ……!?」  ガシッ! 佐月の手が、俺の腕を掴む。あ、と思っている間に、俺は強引に腕を引かれ、佐月に半ば抱えられる状態で連れ去られる。 「ちょっ……!」 「アキラ!!」  北斗が腕を伸ばす。だが、僅かに届かない。路地の奥から追いかけて来たヤクザ風の男が、進路上にいた北斗にぶつかった。 「なんだ、テメェ!」 「っ!!」  佐月はその隙をついて、俺を引っ張って大通りの方へと駆けていく。 「おいっ、佐月!」  大通りに出ると、丁度やって来た流しのタクシーを捕まえる。俺を押し込めるようにタクシーに乗せ、素早く自分も乗り込むと、行先を告げる。 「おい、佐月! 下ろせよ!」 「いいから、黙って」  佐月が懐をチラリと見せた。折り畳みナイフの存在に、怖気づいてグッと息を詰まらせる。 「――佐月…」  走るタクシーの中、飛び降りることも出来ずに、俺はただ佐月を見つめることしか出来なかった。

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