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第8話
次の休日、榊と深川と新宿駅で待ち合わせてスペインバルに向かった。
最初から格式高いレストランに行くと付き合ったときにそこより高いところを要求されて苦しくなるからだと榊に力説された。
「妙に詳しいんですね」
「ネットの知識だよ」
そう言っているが榊からは恋愛のノウハウの知識が豊富にあるような雰囲気がある。よく振られると言ってはいるが、ガタイもよく、野性味があって男らしく、でもガツガツとしていないやさしさもある。
かなりモテそうなのに。謙遜しているだけだろうか。
アンチョビやカプレーゼ、パエリアとビールが揃い、乾杯をすると深川が首を傾げた。
「これはなんの乾杯?」
「トラブルが最小限で済んだお祝いです」
「意味わかんねぇ」
「まぁなんでもいいじゃなにですか」
「適当だな」と笑った深川は楽しんでいるように見えた。
スーツ姿しか見てこなかったからポロシャツにストレートパンツというスタイルになると大学生くらいに見える。
ぼんやりと見ていると隣に座っている榊に肩を突かれて、事前に言われていたことを思い出した。
「先日はご迷惑おかけしてすいません」
「笹岡くんは律儀だな。もう解決したから大
丈夫だよ」
「いえ、俺のミスでお二人を巻き込んでしまって」
大事にならなかったとはいえ、初歩的なミスだった。あれ以降、メールは三回見直すと決めている。
深川がジョッキをぐいっと煽り、口元を拭った。
「そういう繊細さは誰かさんと大違いだ」
「もしかして俺のこと言ってます?」
「おまえ以外に誰がいるんだよ」
深川がからかうと榊はむっと口を結んで怒り、すぐに笑いあっていた。
二人の距離感が眩しい。大学の先輩後輩だと言っていたけど、三個は離れていたはず。それなのに年齢差を感じさせない気安さがあっま。なぜだかもやもやする。
ビールを舐めているだけなのに酔いが回ってきた。酒はあまり得意ではないのに、榊と深川が目の前で楽しそうにしているのを見せつけられるとついジョッキに手が伸びてしまう。
アルコールが回ってきてクラゲのようにゆらゆらしていると深川が身を乗り出した。
「榊の恋愛失敗談聞きたい?」
「それはダメっす! 昔の話を出すのはズルい」
榊が慌てて深川の肩を押さえるが、ケラケラと笑いながら話し始めた。二人共顔は赤くないが相当酔っているのだろうか。
「こいつね、大学入学して早々ゲイだって宣言して、面白い一年がいるって話題をかっさらってさ」
「やめて〜深川さんは鬼だ」
めそめそと泣き始める榊をよそに深川は続ける。
「しかもノンケの可愛い奴ばっか追いかけて見事に撃沈。その度に俺のとこに泣きついてきてたな」
「そういうのがタイプだから仕方がないじゃないですか」
「もっと需要と供給を理解すればそんな傷つ
かなくていいのに」
「……俺だってそうしたいですよ」
榊はテーブルに突っ伏してしまったので泣いてしまったのだろうかと慌てたが、次第に寝息が聞こえてきて拍子抜けした。
「こいつ酔うとすぐ寝ちゃうんだよ」
「台風みたいな人ですね」
こちらの意思なんてお構いなしに暴れまわり、気がつけば温帯低気圧となって消えていく。そう考えると妙にしっくりくる。
寝ている榊に深川は慈愛にも似た眼差しを向けたが、すぐに表情が切り替わってしまいそれがなんの意味かを考える余地もなかった。
「笹岡くんはどう? 榊」
「え、いや……」
「やっぱりダメ? いい奴なんだけどね。なんでかいつも不毛な恋ばかりするんだよ」
モテないというのは謙遜だと思っていたが、どうやら本当のことらしい。
榊の短い髪をくしゃりと撫でる深川の指先ばかりに視線が向く。なぜか目を逸らせない。
「俺ね、バイなんだよ」
「榊さんから聞きました」
「こいつ人のセクシュアリティまで暴露しやがって」
こつんと榊の額にデコピンをした深川は笑っている。
「榊に告白されただろ?」
かなり近い正解を当てられて言葉に詰まる。
海璃の反応を見て深川は眼鏡の奥の瞳を細くさせた。
「やっぱりね。だって笹岡くん、榊のドストライクだし」
「……でも俺は」
「まぁ振られたって泣きつかれただけなんだけど」
小さく笑って深川はアンチョビを口に含んだ。
ゆったりと咀嚼している姿をじっと見つめる。もう酔いはとっくに覚めていた。
「笹岡くんはゲイじゃないだろ?こいつ、ノンケとかゲイとか見境なく手を出そうとするから。悪いな、気を使うだろ」
榊を悪く言いながらもフォローしている。そこに深い愛情を感じた。うちの子が迷惑かけて悪いなと謝るような近い距離感。
恋愛ごとに鈍い自分でも察しがつく。
「深川さんは榊さんが好きなんですか?」
「そうだよ。でもどうやら俺はタイプじゃないから一度も告白されたことないけど」
榊が振られる度に泣きつかれて深川はどんな気持ちでいたのだろうか。
好きな人と成就できない苦痛を抱え、それを隠しながら榊に尽くしてきた。
だから信頼を勝ち取り、榊の止まり木としての立場を死守している。
「告白しないんですか」
「冗談だと思われそうだからね。でもじっくり時間をかけて攻略していくよ」
その余裕さになぜか腹の底からむしゃくしゃした。振られて泣きつかれても慰めながら着実に信頼を勝ち取り、時間をかけて愛情を注ぐ深川の余裕さ。
そんな大人な対応ができる人が好みのはずなのに、気持ち悪いような苛立たしいようなものがドロドロと底から這いあがってくる。
(なんだこれ、吐き気がする)
慣れないビールを飲み過ぎたのだろうか。
「もし榊に付きまとわれて迷惑だったらちゃんと言いなよ。同じ職場でやりにくいかもしれないけど、うちはほとんどリモートだし」
つまり榊のことは深川に任せろと言いたいのだろう。
でも榊を振った憶えはない。タイプだとキスしたいとは言われたけど、「付き合って欲しい」と告白されたわけではないから、振るもなにもない。
それなのにいつのまにか振ったことになっているのはどういうことだろうか。
ジョッキを握る手に力が入る。
「迷惑じゃありません。それに振ってないです」
「そうなの?」
「榊さんは……友だちになってくれたんです」
「ヤらせてくれない友だちねぇ。それってゲイの榊にしたら地獄じゃない? タイプな子なのに自分のものにできないのに」
「そ、それは」
「顔に似合わず残酷なことするんだね」
歯に衣着せぬ言葉に胸を押さえた。確かに榊の立場になってみたら、目の前ににんじんをぶら下げられた馬のような気持ちだろう。でも言い出したのは榊だ。
榊がいいというなら問題ないのではないか。
気まずい会話が一区切りつくと榊が身じろきをしてから顔を上げた。
「俺、寝てた?」
「やっと起きたか。てか涎ついてる」
「どこっすか?」
「こっち」
迷いなく深川は口元を拭ってやり、それがいつものやり取りなのか榊はされるがままだ。
普通大人の涎なんて拭かないだろう。
どうしてこの人の愛情に気づかないんだと思う気持ちとこのまま一生気づいて欲しくない気持ちが同居して心のスペースを取り合っている。
「笹岡くんもごめんね。俺、酔うと眠くなっちゃうんだ」
「深川さんとお話してたので大丈夫です」
「もしかしてまた黒歴史聞いた? もうやめてくださいよ」
「いいだろ。どうせ過去のことなんだし」
「それでも上司としてのプライドとかってーートイレ」
榊はそそくさと席を立ってしまった。本当にじっとしていられない性格だ。
「榊さんってマグロみたいですね」
「あいつ、結構Sっ気あると思うけど」
「そうじゃなくて。常に動いてるところが」
「あぁ、なるほど。確かにそうだね」
榊の性癖を聞かされて顔が熱い。ただでさえ恋愛経験が皆無なのだから性の話は刺激が強い。
深川と残されて当たり障りない会話のキャッチボールが続き、食事も終わりビールも飲み干してしまった。
「それにしても遅いな」
なかなか榊が戻って来ない。深川がトイレへ様子を見に行ったが誰もおらず、席を間違えたのかと店内を一周したが榊の姿は見当たらないらしい。
スマートフォンを見るとマリンこと榊からメッセージがきていた。
《あとは若いお二人で楽しんで!》
なんだこのメッセージは。
「どうやら羽目られたみたいだね」
深川のスマートフォンにも同じ文章が書いてあった。榊なりに深川とくっつけようとお膳立てしたつもりらしいが、お互いそういう気持ちはないので意味はない。
「こういう空気が読めないところも可愛いだ
ろ」
「……そうですね」
とりあえず同意しておくと深川はにんまりと笑ってメッセージを打ち始めた。
「ま、今夜は帰ろうか」
深川に促されて会計をしようとするともうすでに支払われているということだった。どこまでも隙がない男だろ、と深川は得意気だったがモヤモヤが残るまま帰路についた。
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