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第11話

 家にいても集中できず、前回の謝罪の件以来に会社に向かう。オフィスは都心の商業ビルを間借りしているワンフロアでデスクも少ない。  完全テレワークなのでオフィスがある意味はあまりないが、パソコンや周辺機器の備品を保管する倉庫の役割もある。  自宅に籠っているより気分転換になるだろう。  満員電車に揺られてオフィスに着くとガラス越しに榊と深川が見えた。最悪だ。  回れ右をして帰ろうとすると目敏く榊に気づかれてしまい、扉を開けてくれた。  「笹岡くんが出社するの珍しいね」  「……家だと集中できなくて」  「わかる。リモートワークって楽だけど家にいるとゴロゴロしたくなるよね」  「おまえはここでもダラダラしてるだろ」  「失礼ですね。ちゃんと仕事してますよ!」  「どうだかな」  深川が揶揄うと榊は両頬を含ませるように怒っていて、距離の近い二人を目の当たりにして眩暈がする。  「どこでも好きなとこ座ってね」  「はい。失礼します」  狭いオフィスにデスクは四台しかなく、二人に背を向けられる壁側の席にした。  (これならネカフェでやればよかった)  悶々としながらパソコンを開いて仕事に集中しようとしても否が応でも二人の会話が聞こえてくる。  「そういえば水族館好きな子とはどうなったの?」  「あ〜……なんか違ったみたいです」  「好感触だって喜んでたじゃん」  「俺の勘違いでした」  榊の歯切れの悪さから動揺しているのが痛いくらい伝わってきた。嘘をつくのが苦手だと言っていたのに自分のせいで無理をさせている。  この場に海璃がいるから話せないのだろう。来なきゃよかったと何度目かの後悔をしたが、いま帰るのもタイミングが悪い。  だが長年の付き合いのある深川は気づいているだろうに、ふうんと流した。  「じゃあこの前の子は?」  「そこそこです」  「でも寝たんでしょ」  きんと耳の奥が痛くなった。水族館のとき一緒にいた金髪の子だろう。  アイドルみたいに可愛くて甘え上手な子だった。そういうことに慣れていそうで、海璃とは全然タイプが違う。  「そんなことしてません」  「そうなの? おまえ、結構肉食なのにどうしたのよ」  「……ほら、笹岡くんもいますから」  背中に二人の視線が刺さる。三人しかいないのに会話に入らないのは不自然すぎるのだろう。  海璃が聞き耳をたてていること込みで会話を進めているのだから、榊は深川からの追撃から逃げたいのだ。  そんな煮えきらない態度に苛立ちが募り、もういっそ開き直ろうと二人の正面に移動した。  「俺のことは気にしないで話してください」  「でも」  榊は太い眉をハの字にさせている。そんな態度にイライラする。  「榊さんのことなんて何とも思ってないから平気です」  瞬間、榊の顔が強張り、室温が瞬間冷却されたように低くなる。けれど榊はすぐ持ち直しそうだよね、と力なく笑った。    (やってしまった)  いくらなんでもいまのはない。  でもいまさらなにを言っても言い訳に聞こえてしまうだろう。  本当はそんな話聞きたくないんですと素直に言えればいいのに。  自己嫌悪で塗り固められた自尊心は人を容易く傷つける方にばかり向く。ちっぽけな心を守るために針は外に向き、なにかあるたびに刺してきた。  おまえはなにもできない、弟より劣っていると毎日罵られ、周りからも見放され「俺がいなくなれば満足するんでしょ!」と怒鳴って実家を出てきたことを思い出す。  認めて欲しい、ただの一度でいいからちゃんと向かい合って欲しかった。勉強も運動もできないけれど愛して欲しかったのだ。  けれどいつしか歪んだ自己肯定感は人を傷つけることでどうにか保つようになっていた。  攻撃力を持った鎧は自分の弱さにちょうどよく、誰かを傷つけることで平和でいられた。  いつのまにそんな最低な人間に成り下がっていたのだろう。  「笹岡くんも酷いこと言うなぁ」  深川の声にはっとする。勝ち誇ったような顔はまた榊の傷心につけいろうと企んでいるのだろう。  榊は一瞬だけ眉根を寄せたがすぐに柔和な笑みを浮かべる。  「世間一般的にゲイの風当たりはキツイですからね」  「それでも言っていいことと悪いことがあるだろ」  「言われ慣れてますから」  眉を下げて笑う榊はすべてを諦めてしまっている。そんな顔をさせたいわけではない。榊には笑顔が似合うのに。  もうすべてが手遅れだとわかっていたが頭を下げた。  「……すいません」  「謝られると余計キツイだろ」  深川のトドメの一言になにも言い返すことができなかった。

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