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第12話

 気まずいまま時間だけが経過していく。電話も鳴らず、他の社員も出社しない。  無心でパソコンに向かっていたら夕方頃に深川が立ち上がった。  「じゃあこのあと会食あるからお先」  「お疲れ様です」  深川はちらりと海璃を見てから出て行ってしまった。  (どうしよう。榊さんと二人きりだ)  緊張感が高まる。仕事をしている体を装っているが意識は完全に榊に向いていた。  榊は大きい身体を丸めさせてパソコンを見ては難しい顔をしている。  さっきの発言を謝るならいまのうちだ。でもなんて言えばいいのだろうか。  あれこれ考えていると榊は壁にかかっている時計を見て、パソコンを閉じた。  「俺もそろそろ帰ろうかな」  このままでは榊は帰ってしまう。どうしよう。なにか引き留める誘いはないか。  「あ、あの! 二丁目を案内して欲しいんですけど」  榊は目を丸くさせて言葉の意味を咀嚼しているようだ。自分でも驚くような発言で顔が熱い。  そうじゃなくて謝るのが先だろ。  けれど榊はうんと頷いた。  「いいよ。ちょうど酒飲みたい気分だったし」  「ありがとうございます」  「じゃあ行こっか」  仕事を片付けて歌舞伎町へと向かった。上京してきて初めて足を踏み入れる煌びやかなネオン街に圧倒されてしまう。  「二丁目に行きたいなんて意外だな」  「一人だと勇気がなくて」  「ゲイは出会いが少ないからね。比較的初心者向けのところに連れて行くよ」  榊が慣れた様子で地下のバーに入ると「きゃあ」と野太い歓声があがった。  「さかちゃん来てくれたの」  「久しぶりじゃない」  化粧が濃く上背のある男二人が榊の隣にぴったりと張りついた。甘い香水の匂いがむっと香り、 眉間を寄せる海璃をよそにぐいぐいと壁に追いやられた。  「ちょっと仕事忙しくて」  「とか言いながらアプリにハマってると聞いたわよ」  「そこまでではないよ」  「てかこの美青年は何者!?」  二人の視線がこちらに向き、あまりの迫力に咄嗟に後ずさってしまう。  「こっちは後輩の笹岡くん。初めてだから丁重にね」  「なかなかのイケメン!」  「まさにさかちゃん好みよね」  今度は海璃が両腕を掴まれてしまい逃げ道を塞がれてしまった。二人とも力が強く、強制的にテーブル席に座らされた。  「なに飲む?」  「あまり強くないやつで」  「じゃあレモンハイにしましょうか。さかちゃんは?」  「ビール」  「相変わらずねぇ」  酒を飲むとアルコールの力もあって緊張が解れてきた。よく考えると二人は同類なのだ。誰も自分を軽蔑するようなことはない。それに話が面白かった。  過去の男たちの猥談やオネェ故の悩みなどの包み隠さない話に顔が赤くなったり青くなったりした。だが榊は楽しそうにしている。  「で、二人はどこまでいったのよ?」  「ただの友だちだよ」  「あらまぁ、勿体ない!」  ピンク髪のオネェはつけまつ毛をバチバチとさせた。  「こんないい男どうして好きにならないの? さかちゃん、私らの界隈では激モテSSRなのよ」  「そうそう。ガタイがよくて、嘘がつけないわんこタイプなんていまどき貴重よねぇ。笹岡ちゃんは男を見る目がないわ」  二人の言葉がグザグザと刺さる。付き合ったこともなければ友人もいない自分にはダメージが大きい。  恋愛はガラス越しで見ているくらいが性に合っていると諦めてなにもしてこなかった。  「笹岡ちゃんは男を知ってる?」  「全然縁がなくて」  「じゃあ紹介してあげる!」  別のテーブルに連れて行かれ、仕事帰りに来たのかスーツを着た年上の男の隣に座らされた。  「彼はうちの常連さんなの。みどちゃん、いま本命いなかったわよね?」  「そうだよ。もしかして迷い込んだお姫様かな?」  キザなセリフと頬を撫でられる感触に背筋が震える。  いきなりこんな展開は困る。膝の上で固まっている手を繋がれた。指を絡ませて握ったり離したりを繰り返すと手汗でしっとりと馴染んでくる。  「手、すごくキレイだね。顔もこんなに可愛いのにどうして前髪が長いの?」  「そ、それは」  前髪をかき分けられ、男の顔が近づいてくる。ちゅっと柔らかい感触が頬に触れた。  「ほっぺも柔らかい」  「はい、そこまで」  男との間に手刀が落ち、背もたれを跨いで榊の大きな体躯が男を押しのけながら隣に座ってくれた。榊が睨みつけると男はそそくさと席を移動ていく。  「バーバラ、笹岡くんは初心者だからダメだって」  「あら、ごめんなさい」  「笹岡くん、大丈夫?」  榊に頬を撫でられてほっとする。さっきまでの嫌悪感が消えていく。  「ビックリしたけど大丈夫です」  「もう出ようか」  「まだ平気です」  「顔赤いからダメ。結構酔ってるでしょ」  腕を引かれて店の外に出た。後ろではまた来てねと笑顔で二人が見送ってくれ、手を振った。  「このまま一人で帰すのは心配だな。家どこ?」  「すぐ近くです」  「じゃあタクシー呼ぼう」  駅前まで並んで歩いているだけでアルコールが回ってきて、なんだか楽しい気分になってくる。  ふふっと笑うと榊は首を傾げた。  「どうしたの?」  「俺、初めて口説かれました」  「……そうだね」  「あんなクサイ台詞、現実で言う人いるんですね」  「あれは特殊だよ」  「それにバーもすごい楽しかったです」  ゲイだと自覚してから隠れるように過ごしてきた。家族にも言えない秘密をずっと抱えて、ときどきその荷物の重さに苦しくなることもある。  そういうときバーで気分転換ができるとまた歩きだせる気がする。  もっといろんな人と話してみたい。特にバーバラが元カレの浮気現場に乱入して、浮気相手を逆に口説いたという話ももっと詳しく訊いてみたい。  ゲイもオネェもそれぞれ悩みがある。自分と同じだと言われているようで安心できた。口説かれたのは驚いたけど、酒の場だからあのくらい普通だろう。  「また連れて来てください」  目を細める榊はどこか悲しそうに見える。背伸びして頬を撫でると温かくてしっとりした。初めて触れる肌に心の内側が騒ぎ始めた。すごく大胆なことをしていることに気づき手を引っ込めようとすると重ねられた榊の手に力が入る。  「なんか妬けるな」  手のひらに唇を寄せられ、榊はじろりと黒い色の瞳を向けた。車のライトが瞳のなかに入り、まるで小さな水族館があるようだ。たくさんの感情という水槽がちらちら見える。背伸びをして覗こうとするとキスをされた。  けれどすぐに離れてしまった。瞬きをするより早く身を引かれてしまい、本当にキスをしたのか夢だったのかわからなくない。  榊が「ごめん」と呟いたので、唇に触れるとじんわりと甘さが残っているような気がした。

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