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第13話
キーボードを打つ手を止めて、無意識に唇を触ってしまう。
(すごく柔らかかった)
まばたきするより短い時間だったのに鮮明に記憶され、あのときの心臓の高鳴りまで再現できる。
でも、キスの意味をどう受け取ればいいのかわからないでいた。
なんでキスをしてくれたんだろう。友だちだと線を引いたのは向こうの方なのに。
榊の心意がわからなくてモヤモヤしてしまう。
ぽんとメールの通知が鳴ってパソコン画面を見るとまさに渦中の榊からだ。
内容は提出した書類を承認されただけなのに、宛名を見るだけで動悸がしてくる。
(もしかしてこれが恋?)
そう名前をつけるとしっくりくる。喉に小骨が刺さったような違和感を恋だと名づけるときれいに飲み込めた。
だからあの金髪の男に嫉妬していたのかとすべての問題に答えが自ずと出てくる。
ベッドも窓も古びた冷蔵庫も海璃を祝福するかのようにピカピカと輝いて見え、世界が一段と明るい。
でもこの気持ちが恋だと自覚しても榊は振られたと思っている。その誤解はきちんとときたい。
仕事用のアドレスから送るわけにはいかず、アプリを立ち上げてメッセージを送る。
《今日か明日、時間ありませんか?》
ものの数秒とおかずに返事がきた。
《しばらく実家に帰るんだ。さっきも業務用のメールで送ったんだけど》
慌ててシフトを見ると家の用事で長期の休暇申請がきていた。
《もしかしてまた二丁目行きたい? しばらく付き合えないや》
《話したいことがあるんです》
《キスのことなら謝るよ。ごめんね》
《榊さんと話がしたいです》
《友だちだって言ったのにごめん》
話がどんどん拗れていく。糸を絡ませるのは簡単なのにそれを解くにはどうしてこううまくいかないんだ。
榊とすれ違っているという焦りで指が滑る。
《いまから会えませんか?》
レスポンスよくやり取りをしていたのに返事が止まった。もしかしてもう会ってもらえないのだろう
か。
返事がこないまま三十分が過ぎ、榊になにかあったのだろうかと気が気じゃなく仕事どころではない。
(頼りたくないけど)
深川とは入社時にプライベートの連絡先を入社のときに交換していた。ぐっと下唇を噛んで、メッセージを打つ。
《榊さんは会社にいますか?》
《実家に帰るって夕方には退勤したよ。なにかトラブル?》
《直接会って話したいことがあるんです》
《もしかして告白でもするの?》
あながち間違いでもない言葉に指が止まる。振った誤解を解きたいなんて告白と似たようなものだ。
《榊といると気分いいよな。嫌がることは絶対しないし、楽しくなるように気を使ってくれるし。榊のやさしさを好きだと勘違いしてるだけじゃない?》
過ごしやすいように水温が調節され、食べやすいエサをもらっている水族館の魚が浮かぶ。嫌いな
ものは無理して食べなくても好物を用意され、飢えて死ぬことはない。
そうやって甘やかされているとも気づかずに飼育員を好きだと思い上がっているだけだと深川は指摘しているのだろう。
《それは恋とは違うんじゃない》
深川の言葉になにも返せなかった。
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