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第15話
「お客さん、どこから来たの?」
「東京です」
「土佐中町ってことはかつお目当て?」
「そんなところです」
「いまが旬だからね。身が引き締まって美味しいよ」
それからかつおはどういう料理が美味しいだの、身体に良いのだと話に相槌を打ち、「今日で俺と同い年の漁師が勇退しちゃったんだよ」と続けた。
「だから親戚一同で最後船に乗るんだって」
「ご家族から愛されてたんですね」
「そう。孫も東京から来てくれたって榊が喜んでたよ。あ、榊ってのが俺の友だちね」
「……榊?」
「もしかして知り合い?」
「かもしれません」
「ならそこまで案内してあげるよ」
海璃の気持ちと一緒にタクシーがぐんとスピードを上げた。
着いた場所は平屋の民家だった。ただ駐車場と思える場所には車が何台も停まり、外に漏れる明かりは煌々と輝いている。時折波音に負けない大きさの笑い声が聞こえてきた。
タクシーを降りると表札には「榊」と書かれている。
目と鼻の先に榊いるかもしれないと思うと指が震える。会いたい気持ちだけで東京から飛んできた自分の行動力にじわじわと足の裏が熱い。
冷静になろうと腕時計に目を向けると夜の十一時を回っている。こんな時間に来られたら迷惑かもしれない。出直そうかと弱気な心が顔を出してしまい、インターホンを押す勇気が持てないでいた。
「……笹岡くん?」
家の脇からビール瓶片手に現れた榊に声も出なかった。
タンクトップとハーフパンツにサンダル。いつもと変わらない姿にじんわりと胸が熱くなる。
「どうしてこんなとこに? いや、こんな時間になのか?」
混乱している様子の榊は腕を組もうとしてビール瓶を持っていることを思い出して、「ちょっと待ってて」と裏に回ってしまった。
(こんないきなり会えるなんて)
会話の糸口を見つけられないまま榊に会ってしまった。心臓が口から出てきそうで唾を飲み込ん
だ。
(そうだまず好きだと言って……いや、その前に急に実家まで押しかけたことを謝るべきだよな。てかこの前のこともちゃんと謝れていない)
その場をぐるぐると歩き回っていると家のなかから歓声が響いた。榊の声らしきものも聞こえるがなにを言っているのかわからない。
しばらくすると榊と共に髪が真っ白な男が一緒に出て来た。
「おや、こりゃかーいらしー彼氏だな」
「か、彼氏!?」
「笹岡くんは会社の後輩ぜよ」
「やきの後輩が実家まで来ないちゃ。おまさん、すっとおいでる」
方言が強くてなにを言っているのか半分も理解できなかったが、白髪の老人は笑顔で手をこまねいている。入ってこいということだろうか。
助けを求めるように榊を見上げると頭を掻いて「しょうがないな」とこぼした。
「この人は俺のじいちゃん。いま親戚が集まってるんだけど、笹岡くんがよかったら入って」
「え、でも」
「かまん、かまん。おいでる」
榊の祖父に手を握られて驚いた。手の甲はしわくちゃなのに手のひらの皮が厚くて硬い。
「もしかしてタクシーの人が言ってた、今日勇退する方ですか?」
「やっちゃんに聞いたか」
「やっちゃん?」
「タクシーの運ちゃん。幼馴染じゃけん」
朗らかに笑う顔が榊に似ている。太い眉も衰えていない筋肉も榊が色濃く継いでいるのがわかった。
「じいちゃん、気安すぎ」
「たまーこたない、こたない」
「ごめんね、笹岡くん」
握られた手を離してくれ、そのとき触れた榊の手の大きさにどぎまぎしてしまう。
玄関の戸を潜ると騒がしい声がクリアに聞こえる。
通されたリビングには二十人近く人がいた。座卓を何個も繋げて襖を取った和室にまで伸びている。
むっとするアルコールの匂いと魚の匂いが混ざり合い、高揚感が上乗せされお祭り騒ぎだ。
海璃が入ると騒がしかった声がしんと静かになり、全員の視線を向けられ背筋が自然と伸びる。
「このべっぴんさんはだれなら?」
「理久の彼氏ぜよ」
「彼氏!?」
あまりの大声に肩が跳ねた。そういえば親戚が集まっていると言っていた。着の身着のまま来てしまったことを思い出し、手ぐしで髪を整えて頭を下げた。
「夜分遅くにお邪魔します。榊さんの後輩の笹岡です」
「まぁご丁寧にどうも。理久がお世話になっちゅー」
母親らしき人が頭を下げてくれた。あとに続くようにみんなもお辞儀してくれ、赤ベコのように何度もペコペコした。
「かたっ苦しいことはなしにして」
「すっと座ってねゃ」
「酒は飲めるか?」
皿やコップ、割り箸を渡され、返事をするより先にビールを注がれて乾杯をさせられた。決まり悪そうに榊が隣に座ってくれる。
赤ら顔の男に顔を近づけられ、むっとする酒の匂いに顔が引きつってしまう。
「理久のどこさ好きがー?」
「だから会社の後輩だって」
「まさかそんなことあるめぇな? こんなとこさ来て」
「理久は小さいときからよう男が好きやき、結婚せんぜよ言っとったなぁ」
男の言葉に驚いた。ゲイであることは隠していないとは聞いていたが、親戚中に知れ渡っているとは思わなかった。
「昔の話はやめれ」
榊は怒りながら男を押さえたが、今度は後ろの女性からもからかわれた。土佐弁は〜じゃき、〜にゃ、と語尾が可愛くて棘がなく、警戒心が薄れる。
親戚たちは競うように榊の話をしてくれた。
初恋は部活の先輩でこっぴどく振られたとかゲイだと公言しているせいで学校で問題になったとか親戚たちの楽しそうな口ぶりに榊がどれだけ愛されて育ってきたのかわかる。
それをお裾分けしてくれるのが嬉しい。
榊のことが知れてどんどん好きになる。
浮ついた気持ちでビールを飲んでいると横からコップを取られてしまい、睨みつけた。
「笹岡くん、飲み過ぎ。もうやめときな」
「まだ大丈夫ですよ」
「ダメ。顔が赤い」
「器が小さい男じゃき」
「うるさい。一端外の空気吸いに行こう」
「もうちょっとお話聞きたいです」
「だめ。ほら行くよ」
立ち上がろうとすると足元がふらついて榊にしがみついてしまった。途端にピューと口笛と拍手が湧く。それを榊が一蹴しても火に油を注ぐように盛り上がってしまった。
榊に促されて外に出ると空には満天の星が浮かんでいる。街灯もビルの明かりもない暗い海の上で星は楽しそうに煌めいていた。
潮の匂いが含んだ生温かい風を頬に受けると火照った身体が冷えて気持ちいい。前髪を掻き分けて海を眺めていると隣から視線を感じた。
「深川さんにここの場所訊いたの?」
「ヒントをもらいました。あとは運です」
「どうしてこんなとこまで」
榊の揺れる瞳は期待と不安が入り混じっている。海璃がここに来た理由がわからないのだろう。
「榊さんのことが好きです」
黒い瞳は信じられないとばかりにゆっくりと瞬きを繰り返していて、それがなんだか可笑しかった。
「ちゃんと言ってなかったんですけど、榊さんのこと振った憶えはないですよ」
「だってタイプじゃないって」
「それは榊さんが自分で言ったんです」
「そう……だっけ?」
当時のことを思い出そうと首を捻る榊は「思い出せない」と力なく呟いた。
「確かに見た目だけで言えば好みとは違いましたが、榊さんと話しているうちに好きだって思ったんです」
ヤリ目のアプリだと忠告してくれた。海璃が他の人とどうなろうと関係ないのに、それを正面切って伝えてくれる真っ直ぐさに惹かれた。
榊は泳ぎ続けるマグロみたいだ。どこまでもまっすぐ突き進むので、海底で眠っていた魚も気になってついていきたくなるような一直線さがある。
「今更、なんて思われるのはわかってます。今度は俺が榊さんを振り向かせます」
水平線の向こうに朝日が昇りだす。眩しいほどの光に照らされ、一日の始まりを告げる。
海に視線を向けるとキラキラと海面が光の粒子を反射していた。穏やかな海は命の源らしくどっしりと構えている。その姿が榊と重なった。
「朝日なんて見慣れてるけど笹岡くんと一緒に見ると特別感があるな」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
本音を言うと榊は頬を搔いた。
「笹岡くん、変わったね」
「気持ちを隠すのを辞めました」
「そんな素直だったら俺の心臓が保たないよ」
榊の頬が赤く見えたのは朝日のせいだろうか。きゅっと目尻を下げて笑ってくれる顔に心が満たされていく。
親から否定され続けてきた心を包みこんでくれた榊の懐の大きさを改めて実感する。
海のように広くて大きな心なのに榊は波のように寄せては引いていくところがあった。恋が成就しないせいでこれ以上傷つかないように予防線を張っていたのだろう。
でももうそんなことしなくていい。今度は自分が榊の心を包んであげる番だ。
「榊さん」
両腕を広げて差し出すと榊は笑って抱き締め返してくれた。
「俺も大好きだ」
「本当?」
「もちろん。好き、大好き」
「俺も大好きです」
お互いぎゅうぎゅうと腕に力を入れるので苦しい。でも離れたくなくて、厚い胸板に顔を摺り寄
せた。
「笹岡くん」
名前を呼ばれて顔を上げると榊の顔が近い。
真剣な眼差しにこれはキスの流れかと目を瞑る。
近づいてくる気配を待っていると「きゃあぁああ」と悲鳴が響いた。
家の方を見るといつのまにか榊の親戚たちが玄関前に集まっていて、団子状態になっている。悲鳴を上げた女性は地面に突っ伏して倒れていて、その上に叔父らしき人が乗っかっていた。
「いまいいとこじゃったけん。誰じゃが押したの」
「しらん」
「しらん」
「かまん、かまん。続けや」
「もうなにしてんだよ!」
榊は怒って家族の方へ行こうとする腕を引っ張って自分からキスをした。
早朝に歓声が響き渡り、何事かと近所の人まで出てくる騒ぎになってしまいみんなで大笑いを
した。
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