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2.そういうトコだよ(前)
鋼兵とのコトは、友達付き合いの延長線にあった。そう捉えるようにしていた。
彼いわくコミュ強 の俺は、とにかく人と関わり、一緒に何かをしたりするのが好きだった。物心つく前からそうだった気がする。
独りでいる時間は望まなくても生まれるけれど、誰かといれば色んな物事に触れられて、楽しく過ごせるのを、何となく知っていた。
他人に興味があれば、相手の得意分野や好きな物、求めている事も自然と頭に入ってくる。何かを食べるなら、どこに行くなら、この話をするなら……誰が詳しいのか、楽しいのか、盛り上がるのか……。そんな風に考えて付き合う相手を求めるうち、自然と人脈が拡がっていった。
相手の望みに応えれば、相手も同じかそれ以上のもので応じてくれた。
でも、そうして関係を深めれば深めるほど、年齢を重ねれば重ねるほど、要求される望みは大きく、複雑になった。
中でも多いのは、「何かになるよう期待してる」と「誰よりも一緒に居てほしい」という2つ。
周囲の期待や気持ちに応えようと、俺も子どもなりに頑張った。今の自分ではない存在に──求められている“佐々木汰郎”になれるよう、色んな色に染まった。何枚も仮面を被った。
けれど全てに応えるのは不可能で、その度に誰かを悲しませたり、怒らせたり、辛い思いをさせてしまった。
逆のパターンは、あまり起こらなかった。俺は初めから、相手のできない事を期待していないから。
できないならできない、応えられないなら応えられないと教えてくれればいい。それも相手の一面だと知るだけだ。
だからますます、俺だけが間違っている気がした。人を悲しませないという、当然 の事ができない。“フツー”じゃない俺のままでは、誰にも受け入れてもらえなくて当然だ。
でも、ある時気が付いた。拡がり続ける人間関係の中で、期待に応え続けてもキリがないと。誰かに何かを求める人は、いずれ相手を監視して、束縛して、依存するようになるのだと。
俺自身はもっと健全な関係を、広く浅く築ければ充分だった。
言い方を変えれば、頑張る事に少し疲れてしまったのかも知れない。際限なく人を抱え込めるほど、自分の器も大きくないというのが分かったのだ。
そこで、自分と他人を隔てる境界線が溶けて無くなってしまう前に、そうならない距離を見極める事にした。これ以上近付くと深みにはまってしまうな、という線引きだ。
応えられる範囲なら何だってする。子どもの頃からコレクションしてきた仮面を被って、状況に合わせて振る舞う。空気を悪くしないように、相手に求められている“佐々木汰郎”を演じる。
ただしそれより深くは俺も踏み込まないし、誰も踏み込ませない。何も求めないし、何も渡さない。
傷付けて、傷付けられて生きていくのが人生なら死んだ方がましだと思った。一時はそれくらいに追い詰められた。
でも、そういう事は軽々しく選択できない。
そして生きている以上は、誰かと居るのを止める事もできない。
誰かに付けられた傷を癒せる気がして、また別の誰かと繋がりたくなる。矛盾しているようで、螺旋階段を登っているみたいで、どこかに出口があるんじゃないかとぐるぐる回った結果がこれだ。
友達は沢山いても、俺にとってはみんな等しく他人だった。
時には「彼女」と呼ぶよう求められる事もあった。人によって考えや感じ方が違うのは知っていたし、それに応えられる時はそうした。
お互いに心地よくいられる距離がほんのちょっと短かっただけで、俺にとって特別な意味は無かった。
依存も、束縛も、されるのが苦手だった。
好きになってくれるのは嬉しい。誤解を恐れずに言えば、俺の行動は全部、誰かに好いてもらうためのものだ。
でも告白されて、俺も相手のことが好きになれても、別に欲しいとは感じなかった。俺は誰もモノにしたくないのに、なぜか彼女たちは、「彼女」になった途端に、例の境界線を可愛いミュールで踏ん付けてまで、俺の“物”になろうとしてきた。そしてそれと引き換えに、俺が自分の“物”になる事を強要するのだ。
頑張ったけれど、耐えられなかった。
線を超えられると苦しくなってしまうから、フェードアウトするように逃げた。自然消滅とは、便利な言葉だ。
それに、俺に彼女がいるからという理由で、これまで仲の良かった友達の態度まで変わっていくのも嫌だった。男友達だけでなく、女友達も。
俺が彼女の“物”にならされている事と、他の友達の間には、何の関係もない。それなのに、皆よそよそしく俺を避けるのだ。
でも、そういう風潮なんて無くなってしまえと訴えても、「他の女と遊びたいからだ」とか「チャラい」と返されるだけで、誰も本心を理解してくれない。
そういう事が、他にもいくつかあった。
本心からの言葉でも真に受けてもらえない。本心を打ち明けると却って誤解を受ける事が。
俺の本心はどうやら、周囲の持つ理想にはそぐわないらしかった。
それを分かっていてなお開けっぴろげにするなんて事は、皆から求められる“佐々木汰郎”のする事じゃない。
だから相手の反応が悪いと、冗談だと誤魔化 す術 を身に付けた。誰も傷付けないために、とにかくその場を丸く収める事を覚えた。
本心を隠すように仮面を被って「うそだよ」と軽いトーンで言えば皆、騙されて笑ってくれる。深掘りして来なかった。
つまり俺の本心なんか、俺以外にとっては取るに足らない、どうでもいい物だったのだ。
そうする内に、何が冗談で何が本心か、自分でもよく分からなくなってしまった。
それで良かった。誰かが本心を理解してくれないという事さえ、気にならなくなったから。
目の前の誰かが笑ってくれれば、一緒にいて楽しい人だと認識してもらえれば、俺も色んな物事に触れられる。拡がった人脈の中で過ごすのが、また楽しくなった。物心つく前の俺が求めていた正解を、ようやく見つけたのだ。
大学生になる頃には、俺の器は子どもの頃よりはるかに広くなっていた。境界線を引いている事なんて見えないくらい自然に、相手の期待を察して動けた。
俺といるのが好きだと、今は皆が言ってくれる。一緒にいると心地が良いと。
当然だ。そうなる事だけを考えているのだから。
クラスメイト、先輩、後輩、ゼミで一緒の人、よく行く店の常連、バイト仲間、会社の同僚、おな中、相互、よっ友、いつメン、チーメン……状況に応じて呼び名は変わっても、俺にとっては相変わらず、友達と名付けた「他人」でしかない。それが心地よい距離なのだ。
鋼兵もそのうちの1人だ。
社会人になって、経済的に自活する。誰かと協力すれば、1人で住むより安上がりに、快適な住まいや環境を手に入れられる。お互いのためになるよう共同生活を送るなら、誰が適当か。そう考えて選んだだけで、彼と距離を縮めるつもりなんて特になかった。
計算外だったのは、体の関係。つまり、そういうコトをするようになったこと。
一緒に暮らし始めて1年が経つ頃だった。当時仕事が忙しかったはずの鋼兵が珍しく家に居て、一緒に酒を飲むよう誘って来た。その時点で、妙な空気感には気が付いた。
お互いにマイペースだからこそ、あまり干渉もしない。業種も違えば、生活リズムを合わせる必要もない。
同じ家に住んで、たまに食事を作ってくれる。俺はこまめに掃除や洗濯をする。得意な家事と嫌いな作業が真逆でちょうどいいから、気が楽だったのだ。
それが、ついに来たか、という感じだった。不意打ちで断れなかった。
俺の知る鋼兵が、わざわざ誰かのために時間を割くなんて事は、ありえない。強い酒に合わせて味の濃いつまみを作ったのも、例のメタルバンドのDVDを買ったのも、自分の“目的”のためだ。
2人でソファーに座り、DVDを見ながら酒を飲んでいると、鋼兵が俺の肩に腕を置いてきた。友達が来た時に泊められるよう、3人掛けのソファーにしたのに、わざわざ触れる距離に座っているのも変だった。
『…………』
俺は逃げなかったし、避けもしなかった。気にしないふりをして、様子を見ていた。ただ、口元はグラスでガードしながら。
自分から事を荒立てたくない。心地よくいられる程度に付き合って、それ以上は求めない。もし相手がそれを──友達以外の関係を望んでくるのが分かれば、気付かないふりをしてやり過ごす。失敗を繰り返して見つけた、俺なりのやり方だった。
しばらくすると、鋼兵の手が腰に回ってきた。背もたれと背中の間に差し込まれるぎこちなさを感じた。
鋼兵という男の第一印象は、蛇 に似ている、だった。
睨んでいるような切れ長の目や、長い首の上に乗った小さな頭。身長も肩幅もそれなりにあるのに、ゴツイという印象を受けないのは、猫背と反り腰とストレートネックの組み合わさったS字の背骨のせいだ。
マスクをしていたのも、口の中にある牙を隠しているように見えたが、ただの花粉症だと本人の口から聞いた。
気持ち悪いと思う人もいるだろうが、賢くて個性的な柄で、ちょっとかっこいい。それが俺にとっての蛇のイメージだ。
中学生の時はSNSのアイコンにしていた事もあったが、当時付き合っていた女子からも気持ち悪いと言われ、共感は得られなかった。のちに親戚が犬を飼いはじめ、その写真に変えたら喜んでくれた。
鋼兵という硬くて強そうな名前の割に、曲線的な部分が多い男だった。性格の話じゃない。丈の長い白衣と、当時は背中に垂れるほど長かった髪が揺れる雰囲気もあって、大きな蛇に似ていた。
他にも、あまり人と群れない態度や、話してみると気に入らない事に容赦なく毒を吐く所までそれっぽかった。
褒め言葉としては受け取られないだろうから、本人に伝えた事はない。
そんな、普段のらしさが無かった。隙間に滑り込むようにしなやかではなく、固くてぎこちない動きは蛇のする事じゃない。
俺はわざと少し前のめりの姿勢になって、膝に腕を置いた。避けたように取られればそれで済んだが、鋼兵は手を退けなかった。
どうしてやればいいのか。頭の中はそんな考えでいっぱいになった。もうとっくにテレビは見ていなかった。
拒めば友情すら壊してしまう。流れに任せていれば、少なくとも加害者にならずに済む。俺の頭には保身しかなかった。守りたいのは自分の身ではなく、築いてきた関係だ。
『タロちゃん、ねえ……そういうのやめよう』
鋼兵も俺の魂胆には気付いていたらしく、少し苛立って言ってきた。不自然な自覚はあったのだろう。ただ経験がないから、スムーズに目的を達成する手段を持たなかった。
『そっちもね』
短く言い返すと、鋼兵の手が引っ込んだ。
『いや、あの……』
ソファーの上に片脚を乗せ、俺に体を向ける体勢になった。DVDなんて、彼も最初から見ていなかったのだろう。
『オレこんなんだからさ、マジで……自分でも終わってるとは思ってるんだわ』
言い訳がましく何やら言っていたが、それを聞いている俺の方が先に耐えられなくなった。
ガラステーブルにグラスを置き、
『……ちゃんと言って。鋼兵らしくないよ』
と、顔を向けて伝えた。
誰より近くに暮らしている相手と、腹の探り合いじみた事をするなんてキャラではないはずだった。駆け引きを楽しむタイプでないのも俺には知られている。ここまで分かりやすくお膳立てしておいて、責任転嫁なんて卑怯だろう。
とまでは言えなかったが、鋼兵が一度唇を舐め、態度を改めたのが分かった。
『タロちゃんとヤりたい。ヤらせて、お願い』
ようやく、俺のことをそういう目で見ていたという確信を持った。
それ自体は別に構わなかった。他の友達にも居たし、鋼兵もその1人だっただけだ。学生時代に女の人と歩いているところを見なかったのも納得できる。
むしろ、ルームメイトにすら打ち明けられずにいたと思えば、居心地が悪かっただろうと反省するべきかも知れなかった。
言わせた事で、俺にも責任が生じた。らしくない事をせず、初めから言葉にしてくれれば良かったのだ。
『……いいよ。痛くしないでね』
それだけ伝えた。友達を失 くす方が何倍も痛いと、俺はとっくに知っていた。
できるだけ痛くないよう努力すると約束し、鋼兵は俺を抱くようになった。
実は男との経験もあると、俺はなかなか言い出せなかった。鋼兵が必死だったのが伝わってきたから。
ネットの情報を鵜呑みにするようなヤツなんて、と普段は口癖のように言っていた。そんな彼が、これまでの自分を捨ててでもオレを抱くために、どうやって知識を仕入れたのか。そこまで見えてしまう気がした。相手のプライドを傷付けるようなことは伝えられない。
ほとんど入る機会のなかった鋼兵の部屋は、殺風景なのに何となく散らかっていた。
結果的に、体の相性も悪くはなかったのだろう。痛くて苦しいだけなら、俺も続けていない。
それに加えて、2年経った今でもマンネリ化していないのは、院に進学せず民間の研究職に就いた彼の探究心のお陰なのだろうか。
問題は、肉体的な不快感よりも、目には見えない、言葉でも上手く表せない恐怖感だった。
女の人に間違われるほど綺麗な髪と、俺より大きい男の体。2つを組み合わせた、蛇によく似たシルエットの輪郭が、空気清浄機のパネルの光で青や緑、時々赤に光りながら、俺の上に伸 し掛かる。リビングではオレンジに、キッチンでは白っぽく変わる。場所によっていろんな色を反射する、ぬるぬるした肌の中で、男にしては柔らかい筋肉の感触が蠢 くのを感じる。
そういうコトをしていると、他人との境界線が無くなっていくあの感覚を思い出すのだ。
腕が巻き付いて来て、大きい体の中に呑み込まれていきそうになる。下半身からゆっくりと胃酸で溶かされていく獲物の気分だった。
そんな風に俺が鋼兵の一部になりそうな一方で、鋼兵も俺の一部になりかけていた。下腹の奥で、熱くドロドロになっていくのを感じる。女の人とのセックスでは、そんな事はなかったのに。
何度かする内に、リビングのソファーでの方が、多少快適だと気付いた。間取り上、終わった後のシャワーは遠いけれど。
鋼兵の部屋は色数が少ない。デスク周りもベッドリネンも、クローゼットとその中身も、全体的に黒でまとまっていた。暗くすると、自分がどこにいるのかさえ分からなくなりそうだった。
いつからか鋼兵の体を触って、溶けていないか確かめるようになった。
その触り方がヤラシイと言われた事もあるが、止められない。それが彼にとっての「気持ちいい」という意味なのだと気付くまでに、少し時間がかかった。
嫌がられていないならそれで良かった。俺の考えるべき事は、相手がどう感じているか、だけだから。
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