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2.そういうトコだよ(後)
「あの……オレたちの今の関係ってさ、何なのかな?」
鋼兵に切り出された時、終わった、と思った。
色んな人と知り合ってきたが、不用意に俺を束縛したり、監視したりして来ない、本当の意味で心地いい距離感を保たせてくれたのは、ほんのひと握りだ。
鋼兵は俺を必要以上に求めないと思い込んでいた。なぜなら彼も、自分の自由を奪われるのを嫌うタイプだから。人の都合に合わせるより自分の予定を優先したいし、組んでいた予定を乱されるのを嫌う。
友達を連れてきても構わないが、鋼兵の部屋には絶対に入れさせないと約束していた。ジムやランニング、知らない人が来る飲み会に誘わない。考え事をしている時に独り言を言っていても邪魔をしない。そういう約束も、いくつかした。
多少こだわりが強くても、それは本人がされたくない事だから、守るのは当然だった。俺にとって窮屈ではなかった。
ルームシェアを始めた最初の夏に、鋼兵が熱中症で倒れているのを見つけた時は、むしろ一緒に住んでいて良かったと思えたほどだ。
俺が夜中に帰ってくると、自分の部屋から体を半分ほど出した状態で、長い体が廊下に倒れていた。裸を見た事はあっても、スポーツをしている姿は想像できない。水分を摂り忘れがちで、代謝の悪い体質で、熱帯夜でも汗がほとんど出ていなかった。
やっぱり変温動物みたいだと思った程度で、大事には至らなかった。のちに命の恩人と感謝はされたものの、それまでと関係は変わらなかった。
そういうコトをするようになってからも、あえて合わせも、避けもしなかった。たまたま2人とも家に居て、翌日の予定に支障がない日に、誘われれば応えるだけでいい。それがお互いに楽だったはずなのだ。
確かに少し形は変わってしまったが、このままの関係で満足してくれると信じたかった。
そんな気楽な生活も、もうできなくなる。予定を変えるのを嫌う鋼兵の言葉ひとつで。
1人じゃ体調管理も満足にできないのに、俺が居なくなったら、どうやって生きていくつもりなのだろう。
「違う、聞いて、タロちゃん。オレ……」
「ちょっ、待って、その感じやだ」
手を前に出し、躱 そうとしたが、通路を塞がれてキッチンから出られない。鋼兵が真剣な眼で見てくる。
「ダメ、無理。オレもうこれ言わないと頭バグっちゃう」
普段は人の目なんか見て話さない彼の視線だ。向けられると息が詰まってしまう。蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かる。一度何かを決めた鋼兵は頑固だった。
「分かるけど……聞いたら俺も答えなきゃじゃん」
相手が何を言おうとしているのかは、もう分かっている。聞いてしまうと、今までの関係ではいられなくなることだ。
自慢じゃないけれど、何度も体験してきた。社会人になり、大きくなった俺の器でも抱え切れない。その場限りで丸く収められるような話じゃない。
「そうだよ。オレ、答えも欲しい。タロちゃんがどう思ってんのかも知りたいし。これ聞かなきゃ解決しないもん」
「…………」
それは、言われてしまったも同然だった。
俺の目の前にまた、らしくない鋼兵が居た。
苦手な事をしようとしているから、長い舌がもつれたように遠回しになるのだ。俺もそれが余計にまどろっこしくて、ゆっくり首を絞められる気分になる。じりじりと距離を詰めて、更に逃げられないようにしてきた。
「オレ、タロちゃんのこと好きみたいなんだわ」
こいつには怖いという感情が無いのか、と感じる。呆れや諦めを通り越し、感心すらしそうになる。
もし俺も鋼兵のことを好きじゃない場合、友達ですらなくなってしまう。気まずくて一緒にも暮らせない。
関係を壊せば、お互いに辛くなるのは分かっているはずだ。分かっているはずなのに、壊そうとしてくる。
「……ちな、これガチのヤツね」
そう付け足され、鋼兵は震えている手を見せて来た。怖くないわけでは、ないらしい。
「だから、タロちゃんの何か、そういう相手になりたい。女の子から告られても、オレがいるから彼女は作れないみたいになってほしい」
その手を落ち着きなく動かしながら続けてくる。その声も、ところどころ裏返って震えていた。
「セフとか、友達とか、そんなんじゃなくて、その……ダメ?」
俺のことだから、鋼兵と一緒に暮らせなくなっても、多分また誰かとルームシェアをするだろう。結婚は考えられないから、女の人との同棲ではないのだろう。
現状、俺と鋼兵がしているのは、それと変わらない。そう突き付けられてしまった。
「……俺と付き合いたい、ってこと? 彼氏とか、そういう事だよね?」
分かりきっているのに、確認してしまった。言われたことを整理して、何とか言い逃れを思いつく時間を稼ぐように。
「う、うん……。オレ的にも、彼氏がいいけど」
鋼兵がうなずくから、
「だよね、どっちも男だし……」
俺も認めるしかなかった。
鋼兵との今の関係が、恋人に等しいものだと自覚するのが、俺は怖かった。
口に出したら、この関係に名前を付けたら、そこで壊れてしまうんじゃないかと思う。
友達から彼氏に変わる。そうすれば、それを認めてしまえば、鋼兵との友情や、一緒に過ごしてきた時間や、思い出、そういう物まで無くなってしまう。それが怖かった。
俺が彼を好きだろうが嫌いだろうが、結局八方塞がりなのだ。
これまでの全部は、鋼兵と俺が男同士だからできていたこと。けれどそのせいで、今度はこれまでの全部を捨てなければいけなくなる。
たとえ洋モノのAV女優に居そうでも、鋼兵はれっきとした男だから。
もし、付き合おうなんて返事をしようものなら、これまで関わってきた人、これから関わっていく人に、俺は「男の恋人がいる男」として、接していかなければならなくなるのだ。
それは“フツー”じゃない。打ち明けた相手を困らせる。ショックを与えて、期待通りの“佐々木汰郎という男”ではなかったのだと、傷付けてしまう。
そんな空気を誤魔化せる仮面なんて持っていないし、嘘だとも言えない。嘘だと言えば今度は“彼氏”を傷付けるだろうから。
好きになってもらえるのは嬉しい。でも告白されて、付き合うのが嫌なのは、女の人が相手でもそうだ。誰かの物になるを表す最上級の形が結婚だから、それを見据えた付き合いは、俺には向いていない。
確かに結婚がゴールじゃないと、既婚の先輩は口を揃える。でも男同士では、そのスタートラインにすら立てない。女の人との付き合い以上に、別れる以外の未来が無いのだ。
最初から終わる事が分かり切っているのに、周囲に話す事もできないのに、何が悲しくてそんな関係を望むのか。
けれど、言われてしまった以上、元には戻れない。初めて抱かれた時と同じだ。逃げ切れずに言わせてしまった俺も、抱え込まなければいけなくなった。鋼兵から伝わってくる感情や、そこから派生する痛みを。
「……ちょっと、考えさせて」
そう答えるしかなかった。
もう既に、俺たちのこれまでの関係は壊れてしまったようなものだ。
「い、いっ、いいけど、いつまで?」
鋼兵が突っかかりながら、すかさず聞いてきた。
心臓を鷲掴みにされたように、苦しくなる。後ずさりしても、狭いキッチンの後ろは壁だ。
「完全に脈ナシならひっぱらずに今この場でフッてくれほうがありがたいんだけど。いや、タロちゃん優しいからこれから断り方考えてくれるんだろうけど。オレにはそんなん、しなくていいし」
すうっと背の高い体が、噛み付きそうな勢いで詰めてくる。
「オレすぐ知りたいの。タロちゃん分かってんじゃん。つっ、付き合って、彼氏になってくれるかどうかって聞いてんの。その返事だけ、して欲しいだけ」
普段は低めの声が高くなって、早口でまくし立ててくる。余裕が無いのは、この話題が本人にとってそれだけ重要だからだ。
「だって、タロちゃん昔、オレに言ったよね? ちゃんと言ってって。だからオレ言ったよね? オレは言ったんだよ。だからヤらせてくれたじゃん。あの時みたいにパッと返事してくれたら──」
俺を苦しめたくてしているつもりはない。悪気もない。そんな事は分かっている。頭では理解しているが、息ができなくなってくる。これ以上近付いてほしくない。
壁際まで追い詰められた時には、2人の間にある見えない線を、“蛇の足”が踏んでいた。
「……マジで、そういうトコだよ」
顔を見ずに言った。
普段優しい俺がわざと突き放すようにすると案の定、詰め寄りが止まった。怯んで、一歩後ずさる。
「あ、いや、ごめ……」
謝ってくる脇をすり抜けて、自分の部屋に逃げた。
「……何でこのタイミングなんだよ、しかも」
考え事をしている時の鋼兵みたいに、思わず1人で言ってしまった。
部屋には、出張のための荷物をまとめたスーツケースがあった。
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