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「映画行って、メシでも食っときゃ無難だろ」  瀬羽の声に、マウスをクリックする音が被る。普段ならば佐塚の耳に届く動画の音声は女性の喘ぎ声一択だが、今日は包丁がまな板を叩く音だ。  佐塚は珍しく、自宅でもなく、職場でもない場所に居た。  縁あって――というか、ADの環柊也の縁で――懇意にしている某ユーチューバーの部屋である。  料理系ユーチューバーとしてそこそこの知名度を死守している家主、辻丸伊都は、『イトメシ』チャンネルの運営者だ。  時折アッパーズキャストに差し入れを持ってきてくれたり、『試作品を作りすぎたから』と夕飯に誘ってくれたりする。その恩返しとして、機械関係に疎い彼のチャンネルの管理や編集を少々手伝っている仲である。  要するに瀬羽も佐塚も、伊都に餌付けされている。  今日はスタッフ不在で編集が間に合わないかも、とヘルプを出してきた伊都に、瀬羽と二人で恩を売りに来たというわけだ。  例によって手を動かしながら同時に口を動かす瀬羽は、『デートすることになった』と素直に打ち明けた佐塚に対し、一通りげらげらと笑った後に案外真剣に対応してくれる。  瀬羽は思いのほか寛大だし、見た目よりも人情深い。 「映画かぁ、映画ねぇ……おれあんま映画詳しくないんだよなぁ」 「なんでだよ……俺たち一応映像系の端くれだろうがよ。元映研とかじゃねえのかよ。佐塚、おまえ大学のサークル何よ」 「バードウォッチングの会」 「マジでなんでだよ……!」 「いや、そん時一瞬付き合った子に『佐塚くんより鳥の方がまだ行動原理がわかるしかわいいよ』って言われて、己を理解しようとして鳥の観察をしようと……」 「ぜんっぜんわっかんねぇわ。なんでそうなるのかわっかんねぇわ。双眼鏡で鳥観察してもテメェの解像度は上がんねぇだろうがよ」 「でも結構楽しかったけどね。静かだったし、喋んなくて良かったし」 「つか、何でおまえこの仕事してんの……?」 「え、合法的に足が見れる仕事だから」 「……あー……そうだったトンでもフェチ野郎だったわ……時々忘れんだよな、おまえのその癖……」 「瀬羽は映画撮りたかった人でしょ? おすすめの映画教えてよ」 「知らねえよ、俺の専門は特撮オンリーだっつの。特撮はアレだ、界隈のヤツ以外にはおすすめなんかねえんだよ……俺たちは好きだ、けど一般人が好きかどうかはわかんねえし知らねえからおすすめなんてねえんだ……」 「そっちも結構難儀な趣味だと思うけどね。シュウ、なんかおすすめない?」 「……え!? 俺ですか!?」  振り返りもせずに、後ろのキッチンスペースで家主の手伝いをしている青年に声をかける。  柊也はしばらく真面目に唸った後、素直にギブアップを告げる。 「すいません、わっかんないです。つか俺も瀬羽さんと一緒で、俺が好きな映画はありますけど、他人のデートにおすすめしていいかはわかんない……」 「そっかー。シュウは優しいよね、おれなんかに真面目に対応してくれて」 「俺もクソ真面目にレスポンスしてますがぁ!?」 「瀬羽は基本世話焼きじゃん。シュウの優しさに甘んじてさぁ、もう一個訊きたいことあんだけど」 「え、俺にです!?」 「そう、シュウに。キスしたいなぁって思うのって、恋? それとも性欲?」 「え……え!?」 「おま……なんちゅーことを年下野郎に訊くんだよそれ佐塚じゃなかったらギリギリセクハラだし正直きめえぞ……」  どうも佐塚の疑問は、同僚二人を存分に引かせてしまった様子である。  しかしながら、佐塚にも言い分がある。  佐塚は他人の機微がわからない。わからないなら、理解するためには質問を繰り返す他ない。 「いや仕方ないじゃない……他に恋するフレッシュな若者のサンプルがないんだよ……」 「はー真面目な恋バナは肌が痒いわ。休憩ッ! 俺ァコンビニでガム買ってくらァ。話が仮面ライダーになったら呼び戻しやがれ」 「一生ならないよ。ついでにおれにもミントガム」 「はいよ。柊也と辻やんは? なんかいるか?」  席を立ち、上着を着こむ瀬羽が、佐塚の後ろに声を投げる。答えたのは先ほどの柊也ではなく、家主である伊都だ。 「おん? 瀬羽くん買い出しに行くんか? せやったら大根買うてきてくれんか?」 「コンビニだーっつってんだ」 「いや駅前のコンビニ、大根売ってるんやって」 「うっそぉ。ホントかよ~無かったら知らねえからなぁ? わざわざ探して買ってこねえからなぁ!?」 「ええよ、レシート捨てんでもろてきてな」 「あー! 瀬羽さん待ってくださいコンビニ行くならマルチプリンターでこれの中の上から三番目の001と002のPNGデータをA4で出力してくだ――」 「わっかんねーよお前も来い!」 「寒い! 嫌です! 佐塚さんと伊都さんを二人きりにしたくない!」 「何もしないよ失礼だな。みんなおれのことなんだと思ってるの」 『足が好きな宇宙人』 「……ご唱和ありがとう。人様の彼氏取って剥いて足摂取したりしないから安心してコンビニ行ってきていいよ」  ぎゃーぎゃー喚きながら、比較的煩い方の二人は部屋を出る。残された比較的静かな方の二人は、各々薄い表情の中に苦笑を浮かべた。 「ごめんなぁ佐塚くん……マキちゃん、おれのこと姫かなんかと勘違いしてんねん」 「いや、別に面白いから全然気にしてない。ていうか辻丸くんてシュウが警戒する程のご自慢の足をお持ちなの?」 「え、知らん。普通やろ、知らんけど。……佐塚くん、休憩せえへん? お茶淹れなおすで」  ひょいと伸びてきた長い腕が、佐塚の飲みかけだったマグカップを回収する。お言葉に甘えて作業を中断し、保存をかけてから椅子の上で伸びをした。  散らかった机の上を整理した伊都は、湯気が立つマグカップを二つ持ち、目の前の椅子に座る。纏めていた赤髪をさらりとほどいた彼は、いつも通りの無表情で首を傾げた。 「何や、珍しい話してはったけど。佐塚くん、好きな子ぉ居るの?」  何でもない顔をしているが、どうやら興味深々の様子だ。  伊都は基本的に他人に興味がない、佐塚と似たタイプの男だ。けれど友人と認めて懐に入れた人間に対しては異常に甘い――その点は、瀬羽に近い。  確か、歳は佐塚の二個か三個程度下だった筈だ。  いかんせん年齢も性格もフレッシュとは言い難いが、恋人を大切にしている成人男性だ。なんなら柊也よりも、言語化も上手そうだ。 「いやぁ、好き……好き、かなぁ? わっかんないんだよねー。そもそもおれ、人体の人格の方に恋愛感情抱いたことないし……」 「えらい怖い言い方するなぁ……え、童貞とちゃうやろ?」 「違いますけど。でも今までそういう関係になった人達はみんな、流れでそうなったというか、向こうが告白してきたというか、そういうのばっかりで」 「きっかけはなんであれ、付き合うてるうちに、かわええなーとか、好きやなーとか思うようにならんか?」 「うーん……大体持って一か月だからなぁ」 「あー……」  お察しだ、というように声を濁されても腹立たしくもなんともない。佐塚自身も『どうしておれは対人スキルが底辺なんだろう』と思っている。 「なんでやろなぁ……佐塚くん、割合普通にええ人やのに。なんでそんなに恋愛弱者なん?」 「足フェチがひどいから?」 「いやそこはあんま関係ないやろ。なんやろな、あー……これはマキちゃんの受け売りやけど――シンプルに運が悪かっただけとちゃう?」 「運」 「せやで。今まで出会った人間は、単純に佐塚くんと合わなかっただけやわ。せやから佐塚くんはあんま気にせず、普通に前向いて今気になってる人と向き合うたらええわ」 「いやぁでも、好きなのかもよくわかんなくて。でもキスはしたいと思う」 「……それ立派な恋やんか」 「え、そう? そう思う?」 「セックスとキスは別物やで。まぁ、その、一連の行為に組み込まれてるからアレやけど、キスしたいー抱きしめたいー優しくしたいー話したいーとかその辺は性欲やなくて愛とか恋とかの部類やわ」  そうなのだろうか。――やはり自分は、汀の事が好きなのだろうか。  このところ毎日ぼんやりと考えてしまう。  汀に会いたいなぁと思う事が増えた。キスしたいとふと思い、無性にあの少し高い体温が恋しくなる。  佐塚が足以外に欲情したり、執着したりする事自体が珍しい。そんなことは初めてではないかと思う。 「経験が無いから、なんか全部わっかんなくてさ。相談ついでに辻丸くんにもうちょっと不躾な事訊きたいんだけども――」 「うん?」 「友情と恋愛感情の境目ってどこ?」 「…………うーーーーん……」  珍しく眉を寄せて、伊都はゆっくりと首を捻る。 「あー……それは、ちょお、むずいな」 「でも辻丸くんて、シュウとは最初からお付き合い前提だったわけじゃなかったよね。普通に友達だったんじゃ?」 「まあ、そうやね。友達って程親しくもなかったけども、別にヒトメボレってわけでもなかったわ」 「じゃあ、どっから恋愛に変わった?」 「うーん……かわええなぁ、と、思ったところから、か……?」 「かわいい。……え、シュウかわいい? あいつ結構男前というか、体育会系だけど」 「かわええよ。なんでもかんでも頑張ってまうとことか、えらいかわええなぁと思う。なんやろなー顔とかやないねん。ちょっとしたことが『あ、かわええな』と思ったらもうあかんわ。……うん、せやな、恋は『かわええな』と思ったところから始まるもんやで」  若干照れくさそうに目を細めて、伊都は笑う。その顔から滲み出るのろけのような愛情が、昔の佐塚はよく理解できなかった。おれには関係のない感情だしなぁ、と、無意識に遠ざけていたのかもしれない。  しかしながら――若干悔しいことに――今はわかる。  何故なら佐塚は汀の事を、かわいいと思っているからだ。  自分より背が高くて、比較的精悍で、何でも出来る年下の青年のことが、かわいい。 (……困った。最初から、ずっとかわいいんだけど)  目から鱗。青天の霹靂。  まさにそんな感覚だった。  自分はもしかして、別に悩まずともよいことに時間を費やしていたのかもしれない。 「あー、でも、おれの相手はマキちゃんやから、普通の女子相手やとまた感覚が違うたりするかもしれんけどもー」 「あ、大丈夫、男子だから」 「……おん。さよか。え、ちゅーか佐塚くん同性ありな人なんか……」 「いやわかんない。足以外あんまり見てなかったから」 「せやったわ……その情報ほんまにうっかり忘れがちやから、唐突にお出しされると『うわぁ』ってなんねんなぁーーーー。佐塚くん見た目普通のお兄さんすぎるから……」 「まあ、最近は、うーん……足以外のところにも、目が行く感覚、ちょっとだけわかるよ。かわいいと思ったらもう恋だっていうの、すごく飲み込みやすかった。ありがとう、今度何か驕ります」 「や、ええよ別に。手伝うてもろてるのはこっちやし。……あともう一個、おせっかいしてええ?」 「大歓迎。なに?」 「デート。おれの推しは映画より行楽やで」  さらりとほほ笑んだ伊都は、いつも通りのだらりとした声で言葉を並べる。伊都の話し方は丁寧で、佐塚にもわかりやすくてとても助かる。 「せっかく二人きりで遊びに行くのに、何も二時間無言で過ごさんでもええやんか。彼女――じゃなかった、お相手が視たい映画があるっちゅーならそれに合わせてあげるのもありやけどな。佐塚くん、車運転できるやろ?」 「できるけど」 「車で出かけるのもありなんとちゃう? そもそもデートなんてモン、どんだけ相手と喋れるかどうかが肝やで。俳優の演技真剣に視てる時間あんなら、相手の好きなモン一つくらい聞き出せるやろ」 「……辻丸くん」 「え、はい、なに?」 「連絡先教えてください」 「――は?」  身を乗り出して彼の手を握ったところで、うるさい二人がタイミング悪く帰還する。思わず固まる伊都と佐塚を見て、血相を変えたのは伊都のパートナーである柊也だった。 「ちょっと!? 何口説いてんですか佐塚さんッ!」 「いや口説いてるわけじゃ、」 「お、なんだ昼ドラかぁ!? 俺ァ特撮畑だが、昼ドラドロドロは、ネタ程度には好きだぜェ!」 「瀬羽は黙ってて。ていうかマジで口説いてない。恋愛の師匠に教えを乞うてるだけです」 「おれ師匠にしたらあかんて……ほんまに恋愛とか苦手やねんて……」 「師匠、ついでにデート服のセレクトについてもご相談したい」 「あ、それは俺も辻やんに相談しろよと思ってたわ。佐塚の家にある服よぉ、気味が悪い程同じシャツの色違いしかねえもんなぁ……」 「いや、お二人が本当に浮気しているとは思っていませんが、手は離してくださいね? 伊都さんも振り払っていいですよ、優しくすると調子にのりますからこの人達は」 「言うようになりやがって柊也ァ……全くその通りだぜ辻やん……」 「なんやろなぁ、きみら、ほんまに仲ええなぁ」  呆れたように伊都が苦笑する。  仲が良いのだろうか。悪くはないと思っていたし、それなりによく喋る人達、という気持ちでいた。けれど確かに振り返れば、お互いの家に泊り、仕事を分け合い、娯楽も多少分け合っているのだから、友人と言っても差し支えないのだろう。  伊都の客観的な言葉は、佐塚に不思議と気づきを与える。  運が悪かっただけ。たまたま、自分に合う人間とエンカウントしなかっただけ。  その言葉が本当ならば、彼らは『たまたまエンカウントした気が合う友人たち』なのだろう。  さて、汀はどうだろう。  ――佐塚の好意を、受け入れてくれるだろうか。それとも客風勢が調子に乗って、と、引いてしまうだろうか。  前者ならいいなぁと思う。佐塚は汀と、もっと一緒に居たい。  素直にそう思うことができた。

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