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第3話 酒場討論

酒場討論 「何がいい?」 「ビール」 「じゃあ、ビール中ジョッキと梅酒でお願いします」  店員は注文を受け取ってはけていく。津島が連れてきたのは半個室の和風の居酒屋。チェーン店のようだが、騒がしいというよりゆったりとした雰囲気だ。メニューを見ても朝陽が食べられそうなものが多い。  ──……センス、いいんだな。やっぱりって感じだけど。 「ここ、ゆっくり話せて好きなんだ。値段もそこまで高くないし」 「この前ボーナスもらったばっかりだろ」 「貧乏性だから、贅沢するのが怖くてさ」  当たり障りのない話をしていると、店員が酒を運んでくる。 「じゃあ、乾杯」 「……乾杯」  ジョッキを合わせて、息を吐いてから黄金色の液体を喉に流し込む。 「っ……」  何度飲んでも美味いものだと思ったことはない。けれど、朝陽にとってビールが飲める男こそが、仕事ができる一人前の男なのだ。敬愛する父のように。  苦味が舌に残る。喉越しを味わっているふりをして顔をしかめた。二十歳からビールしか飲んだことがないので、朝陽にとって酒の味はビールの苦味だ。 「……ねえ、もしかしてビール苦手?」  津島は梅酒を飲まずに、そんなことを言い出した。  ──なんでだ? 営業先の人間にも、社内の奴にもバレたことないのに。 「……苦手な酒、わざわざ頼むやついないだろ」  好きでも無い酒を飲んでいるのを知られたくなくて、そんな言葉が口をつく。 「でもうまそうに飲んでないじゃん。苦いのダメなの? それとも酒がダメ?」  どうやら彼には美味いフリは通じなかったらしい。どうしてそんなに観察眼が鋭いのだろう。 「……知らない。ビールしか、飲んだことない」  素直にそう言うと、津島はまだ飲んでいない梅酒のジョッキを差し出した。 「じゃあこれ飲んでみたら? まだ口つけてないから。ここの店、梅酒に力入れてるんだ。ビールよりも人選ばないと思う」 「……オレは飲めないわけじゃない」 「うん。だから、これは俺のおすすめってだけ」 「…………」  無言でジョッキを受け取って、一瞬ためらってからぐいと煽る。苦い麦の味だけだった口の中に、甘くて鼻に抜ける爽やかな味がもたらされる。苦くない。うまい、と思える。  ──これが、酒? 「どう?」 「……う、まい。苦くない……」 「よかった。それ全部飲んでいいよ。俺こっちのビールもらうから」 「……お前、ビール飲めるのか」 「飲めないわけじゃないって感じ。……あ、すっごい苦い。なんかと一緒に食べたらいけるかも」  津島はひと口ビールを飲んでわかりやすく顔をしかめた。特別好きなわけじゃないのに、朝陽を気遣っているのだろうか。 「……流石、『菩薩』だな」 「それ、恥ずかしいあだ名なんだよな。別に俺優しくないし」 「嘘つくな。営業にまで噂がうるさいくらい届いてる。何度リテイク喰らっても怒らない、誰にでも優しくてニコニコしてる、『最高の男』って」 「俺がみんなに優しいのは、自分がいい気分でいたいからだよ。優しくすれば周りは幸せになる。で、周りの人が幸せだったら自分も幸せだろ? 俺は自分勝手なんだ。みんなが思うほどいい人じゃない」  そもそもその考えが菩薩だと思うのだが。朝陽には理解できない考えだ。どういう人生を歩んで来たらそんな風に思えるのだろう。 「じゃあオレのことなんてさぞ嫌いだろうな。いるだけで周りが戦々恐々する人間だからな。『鬼』と飲みたいわけないだろう」  周囲からの評価は知っている。だが営業先にはしっかりと外面を見せて演じ切っているのだ。誰にも文句は言わせない。たとえ嫌われたって構わない。努力しない人間に優しくする必要なんてないのだ。朝陽は仕事さえ出来ればそれでいい。 「……純粋な興味なんだけどさ、なんでそんなに……あんまりみんなと仲良くしないの?」 「オレは努力しないやつが嫌いだ。だからそういうやつと仲良くする必要がない」  ぐい、と梅酒を煽る。朝陽の周りには努力ができる人間さえいればいい。そうして自分の力でのしあがって、父のように社会に功績を残していければいい。 「じゃあ、努力できない人は?」 「……は?」  その言葉が理解できなかった。しない、ならまだ分かる。努力ができないとはどういう意味なのだろう。 「努力することは大事だよ。でも、努力したくたってできない人はどうすればいいの?」 「それは……できるように努力すればいい」  そもそもできないことをできるようにするのが、努力なのだから。だが津島は真剣な瞳でこちらをじっと捉える。 「じゃあ、例えば新谷は、親の介護しながら仕事してる人に自分と同じくらい仕事しろって言える?」 「それは……制度とか使えばどうにかなるだろ。ホームヘルパーとかそういうの」 「制度に頼ったって、家に帰っても自分の時間も、下手すれば睡眠時間もない人が普通の人と同じパフォーマンスできるとは思えないよ。その人は努力してないからダメな人って思う? 努力ができる土台もないのに?」 「…………それ、は」  何も言えなかった。朝陽は介護なんてしたことがない。ニュースで介護によって苦しんでいる人を知る度にそんなに思い詰めるなんて馬鹿だとまで思っていた。だが、今の津島の言葉でそれが傲慢であったことを思い知らされる。 「今のはちょっと意地悪な聞き方だったけど……」 「……でも、努力はするものだろ。オレは、ずっとそうしてきたんだから」 「……今日の過呼吸、努力でどうにかできた?」  顔がかあっと熱くなる。津島のほうを見ると、とてもさみしそうな目でこちらを見ていた。 「あれは、たまたまで! 普段はあんなこと起きない!」 「新谷の努力を否定するつもりはないよ。けど、今の考えだと、新谷が自分の首絞めちゃう。息詰まらない?」 「っ……!」  ──なんなんだ、こいつ、なんでそんな目でオレを見るんだ!  なら、どうすればいいと言うのだ。努力だけでのし上がってきた朝陽には、それ以外の武器がない。努力がなくなったら、朝陽は。朝陽の価値は。 「お前にそんなこと言われる筋合いはない!」  朝陽はがたりと席を立ち上がる。そして財布から適当に札を出して、テーブルに叩きつけた。 「帰る!」 「っ、待って、新谷!」  荷物を持って居酒屋を後にする。津島の引き止める声は無視した。 「待ってよ、新谷!」  居酒屋を出て十数メートルのところで、肩を掴まれる。 「うるさい! お前と話すことなんてない!」 「新谷、俺と、頑張らない練習しよう!」 「……は?」 『頑張らない練習』、その意味がわからなかった。津島はまっすぐな鳶色の瞳で朝陽を見つめている。 「新谷はもう充分努力したよ、頑張ったよ。だから、少しずつ自分を許してあげよう? じゃないと、また過呼吸になっちゃうよ」 「うるさい! 弱音吐く暇があったらオレは一件でも多く仕事取るんだ、それに命かけてるんだ! 過呼吸なんてどうってことない、あんなくらいもう一回起きても、次は自分の力でどうにか」 「新谷!」  津島が声を荒らげた。思わず身体がびくりと跳ねる。彼は朝陽を振り向かせて、しっかりと両肩を掴んだ。 「ダメだ、そんなことしたら新谷が壊れるよ。取り返しのつかないことになる。仕事どころじゃない、死ぬかもしれない」 「し、死ぬ……? 何言ってるんだお前、ちょっと無茶したくらいで死ぬわけ」 「心を壊した人がどれだけの数自殺してるか知らないだろ? 今のまま生きたら絶対にそうなるってわかるよ!」  そんなはずはない。自殺なんて心の弱い人間がする行為だ。朝陽には縁のないものだ。そう思うのに、津島の声があまりにも真摯だったから、朝陽は何も言えなかった。 「俺と頑張らない練習して。うんって言うまで離さない。お願い、新谷のこと、見殺しにしたくない」  津島は真剣で、どこか泣きそうだ。あまりの必死さに、ここで肯定しなければ、彼の方が死んでしまうのではないかと思った。 「…………わかったから、離せ」 「っ、ほんとう!?」 「礼とか、しないからな……」 「ありがとう、新谷!」  大型犬のような笑顔でがばりと津島が抱きつく。突然のことに身体がぴしりと固まった。 「っ!?」 「あ、ごめん……嬉しくてつい」  津島は身体を離すと、スマートフォンを取り出した。 「連絡先、交換しよ。いっぱい話したいことあるんだ」  朝陽は嫌だとは言えずにスマートフォンを出す。メッセージアプリで連絡先を交換すると、干からびたペンギンが『よろしく』と言っているスタンプが送られてきた。 「……デザイナーのくせにスタンプのセンスないんだな、お前」 「えっ、ダメ? 干からびペンギンくん、好きなんだけど」 「間違っても仕事相手に送るなよ。信用なくすぞ」 「わかった、じゃあ新谷にだけ送る」  ふにゃ、と津島が頬を緩ませる。朝陽は信頼されているような言葉にどう返していいのかわからなかった。  ──なんだこいつ、わけがわからない。  どうしてほとんど初めて話したような男に、ここまで優しくするのか理解できなかった。  飲み直そうか、と津島がまた手を差し伸べる。朝陽はそれをぱしりと払って、さっきと別の店がいいと希望を言った。  これが、ふたりの関係のはじまりだった。

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