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第4話 零歩目

零歩目   「じゃあ、頑張らない練習していこうか」 「…………」  津島と酒を飲んでから一週間後の土曜日、朝陽は津島の家に来ていた。『頑張らない練習』──それを行うために。 「なんでお前の家なんだ? カフェとかで良かっただろ」 「人に会話聞かれてるかもって思ったらリラックスできないだろ? ここなら楽にできるから」 「…………わかった、早く始めてくれ」  こんなことしても意味があるとは思えない。けれど、一度やると言ってしまったのだ。早く終わらせていつもの日常に戻りたい。  ──こいつ、さっさと飽きてくれないかな。どうせ暇つぶしだろ。 「うん。……本当はさ、ちゃんと心療内科行ったりとか、カウンセリングとか受けたりした方がいいと思うんだけど……」 「……!? そんなの行くわけないだろ!」  そんなところ、心が弱い人間が甘えたくて行く場所だ。朝陽に行く理由なんてない。 「そう言うと思ったんだ。……もしオレが本当に医療の力が必要だって思ったら、引きずってでも連れていくからね」  津島の目は優しいのに、それだけは有無を言わさない真剣さがあった。 「……何でもいいから早くしてくれ」 「じゃあ、まずは俺と手繋ごう」  そう言って津島が手を差し伸べてきた。 「は?」 「人の体温ってリラックスするんだよ、ほら」 「…………」  逡巡して、おずおずと津島の手に手を重ねた。じんわりと伝わってくる温もり。自分よりも津島の方が体温が高いのだと思った。 「うん。じゃあ触ってるところ意識して、俺の言葉、否定しないで聞いてね」  津島は優しい眼差しで朝陽を見つめて、言葉を紡ぐ。 「新谷、偉いね」 「……え」 「いっつも凄いなって思ってたよ。だから、まずは自分のこと、認めてあげて」 「な、何言ってるんだお前……」  ──偉い、って、言ったのか、こいつ。 「新谷、一回でも、自分のこと褒めたことある?」 「褒める……?」 「そう。偉いね、よくやったって、言ってあげた?」 「それは……言わない。言わないだろ。だって、努力は、して当然のものだから」 「新谷」  津島が朝陽の手を包み込む。思えば、両親にだってこんな触り方をされたことがなかった。 「当然じゃないよ。努力ってすごいエネルギーを使うんだ。ずっとそれをし続けると疲れちゃう。どうしてもできない人だっているよ。だから新谷、今は頑張らないで、努力しないで。身体の力全部抜いてみて」 「……そんなの……無理だ……」 「どうして?」  だって、頑張らなかったら、誰も朝陽の価値を認めてくれない。朝陽には努力しかないのだ。生まれ持った才能も、津島のような優しさも持ち合わせていないのだから。 「……だって、努力しないオレに、意味なんてないだろ」  ほつりと言葉が零れる。そうだ、努力をしない朝陽には存在意義がない。  「努力して、努力して、努力して。そうすれば、いつかきっと──」  いつかきっと。その後の言葉が出てこない。気がつけば視界が滲んでいた。こんなこと、誰にも言ったこと無かったのに。  だが、そこまで思って気づく。  ──努力して、オレはどうしたかったんだろう? 「そっか。新谷は、努力が報われて欲しかったんだね。だから努力しない人も、出来ない人も許せなかったんだ」 「っ…………」  そうだ。だって努力をしないことを認めてしまえば、自分の努力に全て意味がなくなってしまう。だから、だから。 「じゃあ、頑張らない練習よりも先に、こう言うべきだったんだ」  ぽす、と津島の手が朝陽の頭に置かれる。そして、ゆっくり、ゆっくりと髪を撫でた。 「頑張ったね」 「え……」  それは、誰にも言われてこなかった言葉。周囲の人間は、朝陽が努力をするのを自然であると、むしろ好んでしていることだと認識していた。いや、もしかしたら言われていたのかもしれないが、聞こえないふりをしていた。一度でも立ち止まってしまったらもう二度と走れなくなるから。  津島の表情は、幼い子どもを見るそれだった。二十六にもなってそんな目で見られるとは思わず、顔が赤くなる。 「っ、こ、子ども扱い、するな……」 「今の新谷に必要なのは子ども扱いだよ。やったこと褒めて、甘やかされるのが大事なんだ。そしたら、努力してない新谷のことを許してあげられるようになるよ」  そう言って津島は朝陽の頭を撫で続ける。 「いい子、いい子。新谷はいい子だね」 「……何も、してないのに? 今、少しも努力してないぞ……」 「そうだよ、何もしてなくてもいい子だよ。自分はいい子なんだって認めてあげて」  ふわふわの金髪が揺れて、津島が朗らかに微笑む。 「……いい、子……」  生まれて初めての優しさに困惑しながら、朝陽はそれを振り払うことをしなかった。  

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