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第9話 自分の価値
自分の価値
津島は、とにかく朝陽を褒めた。練習の度に頭を撫でて、いい子だと肯定してくれる。それをされる度に、胸がほの温かなもので満たされていく。
もっと津島に褒められたい。最近はそう思うようになっている。恋心を自覚してからは、それがより一層強くなった。
テストで百点を取った。運動会で一位になった。模試でA判定を取った。第一志望校に合格した。有名企業に内定をもらった。仕事で沢山契約を取った。だけど、だけど、だけど。
『────そんなことは、できて当たり前だ。これからも努力を怠るな』
どれだけ努力しても、そう言われた。褒められないことは普通なのだと学んだ。努力は為すべき当然のことで、それをしないのはただの堕落で、決して許されないことなのだと、信じて疑わなかった。
だが、津島は。
『新谷、いい子』
『よくできたね、頑張ったね』
そう言って、頭を撫でて、朝陽を許してくれる。
朝陽にとって、無条件で愛のようなものを与えられるなど、信じられなかった。それでも、津島の言葉と体温を求めるのは、どうしてか止められなかった。
「今日はこれ、使うよ」
津島は手鏡を朝陽に手渡してきた。
「……鏡?」
「うん、鏡に向かって、前向きな言葉を繰り返すんだ。受け売りなんだけど」
彼は朝陽の横に座って、鏡を持っている朝陽の手に手を重ねた。
「ほら、言ってみて」
「……何言えばいいのか、わからない」
「これは他人に主導権握らせちゃダメなんだ。自分で、自分を肯定してあげないと」
自分を肯定する。そんなこと、できるわけがない。
眉間の皺が深く刻まれた、愛嬌のない自分の顔を見つめる。
「……でき、ない」
褒めるところなんてひとつもない。朝陽はやるべきことをやっているだけで、誰かを救っているわけでも、世界に貢献しているわけでもないのだから。
「だって、オレに、本当のオレなんかに、価値はない」
ぽつりと、呪いが零れた。それはどんどんと溢れて、朝陽の心を真っ黒にしていく。
「要領が悪くて、物覚えも悪くて、何回も間違えないと学習しなくて、でも人に失敗してるところ見られるのは嫌で必死に何でもない風装って、人に当たりが強くて、優しくできなくて、一丁前にプライドだけ高くて、こんな、最低なやつ」
──オレなんかが、オレみたいな駄目なやつが、許されるはずが。
「新谷」
身体を引き寄せられて、津島の腕の中に包み込まれる。優しい温もりが、朝陽の呪いを止めさせた。
「ごめんね、この方法ちょっと早かったかも。一旦息吐いて」
「っ、……はー……」
津島の声は悲しそうだった。大きな手があやすように頭を撫でる。
「新谷、自分のことそんな風に思ってたんだね」
「……全部、事実、だろ……」
「お願いだからそんな悲しいこと言わないで。新谷は最低なんかじゃないよ」
「だっ、て……」
津島が朝陽の両肩を抱く。鳶色の瞳にじっと見つめられて、朝陽は何も言えなくなった。
「新谷は優しい人だよ。俺が保証する」
「……オレ、お前に優しくしたことなんてないぞ……いつも目の敵にして、冷たくしてただろ……」
「ううん、新谷は覚えてないかもしれないけど──俺、新谷に助けられたんだよ」
「え……?」
助けるという言葉の意味が理解できない。朝陽にそんな覚えはなかった。
「入社初日にさ、俺すっごく緊張してて……内定祝いに母さんからもらった大事なボールペン、落としちゃったんだ。でもそれに気づかなくて。新谷がそれを拾ってくれたんだよ」
「…………あ!」
津島に言われて思い出した。確かに入社初日に、廊下でボールペンを落とした男に声をかけた。
「思い出した? それで俺、新谷のことずっと覚えてたんだよ。いつか仲良くなりたいなって思ってた」
「あ、あんなことで?」
「俺にとっては大事なものだったんだ。……優しいことをそうだと思わずにできるんだから、新谷はすっごく優しい人なんだよ」
また、津島が優しく朝陽を抱き締める。とくん、と心臓の鼓動が早まった。
「だから、自分のこと責めないで。新谷はいい子だよ、優しい子だよ。新谷が自分のこと認められないなら、俺の言葉を信じて」
津島の言葉を信じる。それは世界で一番認められない自分を認めるより、はるかにハードルが低い気がした。
「……わ、かった……信じる……」
「うん、じゃあこれから、新谷のいいなってところ見つけたら伝えるね」
「っ……、それは恥ずかしいからいい!」
「恥ずかしくないよ。自分のこと大事にするのは、すっごく大切なことなんだから」
穏やかな波のような声が、心を満たしていく。世界で一番朝陽を大切に扱ってくれる男は、いつまでも朝陽の頭を撫でていた。
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