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第20話 幕間:知らなかった怒り
幕間:知らなかった怒り
「うう……緊張するなあ……」
日浦がぷるぷると震えている。彼と朝陽と一郎は明日の仕事の準備のため、とある会社をおとずれた。
デザイン部と営業部の垣根を超えた大きな仕事。そのプロジェクトに選ばれたのが朝陽と一郎だった。日浦は朝陽の補助役だ。
「お前は補助だから表には出ないだろ。緊張する必要ない」
「それはそうなんですが……やっぱり少しでも関わった仕事ですから」
「……まあ、その意識はいい」
「日浦くんは責任感あるね~」
三人は最後の打ち合わせをした帰り道、催事場に寄っていた。明日は一郎たちの会社ではなく、相手先の会社で企業向けお披露目会を行う。一日がかりのイベントになることは間違いない。なので差し入れ用にデパートで菓子を買ったのだ。それらは全て『俺が一番下っ端なので持たせてください』と日浦が持っている。
「寒いしあったかい飲み物とか飲みたいなあ。カフェとか寄らない?」
「そんな暇ない。会社帰ったら最終確認だ」
「でも身体冷やして風邪引いたら明日のイベント参加できないよ?」
仕事モードの朝陽の顔を覗き込む。最近は『仕事中も適度に力を抜く』という練習をしている。今がその時だと、目で合図をした。
「…………」
「ね、日浦くんもお茶飲みたいよね?」
「あ、えっと俺は……!」
「……席に座って話し込んだら遅くなる。テイクアウトで買ってくる。何がいい」
「じゃあ俺あったかい紅茶で」
「新谷さん、俺が行きます!」
「お前はちゃんと菓子持っておけ、言わないなら適当にコーヒー買ってくるぞ」
「……カ、カフェオレでお願いします!」
「わかった」
朝陽がカフェの方へと向かって歩き出す。彼は仲良くなり始めたころより優しさを前に出すようになった。そのせいで嫉妬心を覚えたりもしたが、彼の変化は喜ばしい。
「新谷さんって、やっぱり優しくなりましたよね……」
「もともと優しいやつだよ、新谷は」
ふ、と笑みを零す。
──優しいだけじゃなくて、世界で一番かわいいんだけどね。
だが、それは一郎だけの秘密だ。そんなことを思っている時だった。
「危ないっ!」
遠くから、朝陽の叫び声がした。
「……!? 今の……」
嫌な予感がして走り出す。
「あっ、津島さん!」
声のした方に行くと、開けた催事場に辿り着いた。その壁の近くに、クリスマスの装飾をデフォルメした飾りがあった。いくつかのボックスで構成されていて積み上がっているものだ。それが床に散らばって、朝陽がその下敷きになっていた。
「朝陽ッ!」
全速力で駆け寄る。飾りは彼の下半身を覆っていた。手に持つとかなり重いそれを退けて朝陽の安否を確認する。
「朝陽、朝陽! 大丈夫!?」
「一郎……大丈夫……痛っ……」
朝陽は起きて立ち上がろうとして、足首を押さえ顔を歪ませている。
「足が痛いの? 立てる?」
「立てない……悪い……」
こんなにも重いものの下敷きになったのだ、きっと酷い怪我に違いない。最悪骨が折れている可能性だってある。
──簡単な手当てじゃダメだ。早く手当しないと!
「うわああああん!」
そう思っていた時、少し先で子どもが泣き声をあげた。見ると膝を擦りむいている。
「タカくん! どうしたの!?」
「あ、あのお兄ちゃんが、押したぁっ!」
「はあ!?」
子どもが朝陽を指さした。駆け寄ってきた母親らしき女性が朝陽を睨む。
「うちの子を押したってどういうことですかっ! こんな大怪我をさせて!」
「っ、その子が飾りにぶつかって、飾りが倒れてきたから下敷きならないように咄嗟に押しただけだ!」
「じゃあ押したんじゃないですか! 子どもを突き飛ばすなんてどういう神経してるの!? 立派な傷害罪ですよ、治療費を払ってもらいます!」
母親は子どものことしか目に入っていないのか、泣きじゃくる男の子を抱き締めて朝陽を非難する。
もし怪我をしたのが自分ならば、母親に謝ったかもしれない。だが、母親が理不尽にも罵声を浴びせているのは誰よりも愛しい恋人だった。頭がすうと冷えていく。
──朝陽を、こんな風にしておいて。
「随分勝手な言いようですね」
口から出た声はいつもより低かった。
「は……?」
「そもそも飾りにぶつかったのは息子さんの不注意でしょう。それに大怪我と言いましたが、連れは立てなくなるくらいの大怪我をしているんですよ。擦り傷とどちらが酷いかなんて一目瞭然です。そしてこれが一番許せないことですが──息子さんを助けた連れに対してお礼の一言もなく怒鳴りつけるとはどういう了見ですか?」
朝陽をぎゅうと抱き締める。津島一郎という人間に怒るという機能がついていたことに、頭の隅で驚いていた。
「で、でもその人がタカくんを押したのは事実でしょう!?」
「では息子さんが飾りに押しつぶされて大怪我をした方がよかったと? 頭にでもぶつかっていたら最悪死んでいたかもしれませんね」
「だからって怪我するほど押さなくたって……!」
「咄嗟の判断でそこまで加減ができますか? 貴方は息子さんが怪我をしたという結果だけを見て連れを非難していますが、それはお門違いですよ。これ以上彼を責めるつもりなら、弁護士を呼んでどちらに非があるのか検めてもらいましょうか」
「弁護士っ……!?」
「い、一郎……?」
あまりにも話が通じない。こんな酷い人たちと彼を会話させたくない。朝陽を安心させたくていつもの癖で頭を撫でた。
「ああ、それと先程治療費と仰いましたね。ではこちらもそれ相応の額を請求します。ご連絡先は?」
「っ……! そ、そんなもの払うわけないでしょうっ! 行くよタカくん!」
母親が泣き続けている子どもの手を引いて立ち去っていく。朝陽の顔を見ると、彼は酷く驚いていた。
「朝陽、靴脱がすよ」
靴と靴下を脱がして、朝陽が押さえていたところを見る。患部はひと目でわかるくらいに腫れ上がっていた。
「新谷先輩、大丈夫ですか!?」
日浦が駆け寄ってくる。彼がいるのをすっかり忘れていた。
「日浦くん、デパートの人呼んでくれるかな? 俺は救急車呼ぶから」
「わかりました!」
「いっ、一郎やめろ! 救急車なんて大袈裟……」
「立てないのに? じゃあ俺におんぶされてタクシーあるところまで行くのとどっちがいい?」
「なっ……!?」
「朝陽の意思は尊重したいけど、今は緊急事態だから我慢して」
そう言いながらスマートフォンを取り出して救急の番号にかけた。
「もしもし。救急車一台お願いします。場所は──」
オペレーターの質問に答えながら、屋外であることを忘れて強く抱き締める。
「はい、はい……。はい。よろしくお願いします。……朝陽、十分くらいで来てくれるって」
自分の中で消化しきれない怒りが渦巻いてる。
──許せない。朝陽を傷つけて、酷い言葉を浴びせて。防犯カメラでもなんでも見せてもらって、あの親子の身柄を特定してもらおうか。
「い、一郎、怒ってるのか……?」
そんなことを考えていると、腕の中の愛しい存在がおずおずと尋ねてきた。
「……うん、怒ってるけど、朝陽にじゃないよ。ごめんね、怖がらせて」
「びっくりしただけで……お前、怒れたんだな」
「それは俺も思った。朝陽のことだから怒れたんだと思うよ」
「……そう、なのか」
朝陽の手が、きゅうと一郎の腕を掴む。
「それは……すごく、嬉しい」
彼の頬は赤く染まっていた。その表情は一郎が怒っていることを照れながらも心の底から喜んでいて。
──こんなかわいい顔、オレ以外に見せて欲しくないな。
「朝陽……」
朝陽の顔を隠そうと腕の中に閉じ込めようとした、その時。
「津島さーん! お店の人呼んできましたー!」
「お客様、大丈夫でしょうか!? 飾りが倒れたとのことで……!」
デパートの店員が顔面蒼白で走ってくる。店の飾りで客を怪我させたなど、あってはならないことだろう。
「今救急車を呼びました。来たらこちらに案内してもらっていいですか?」
「はい、それは勿論! 治療費はこちらでお支払いします! 誠に申し訳ありませんでした!」
「あ、いや、労災出ると思うんで……」
店員は平身低頭謝り続ける。一郎は救急車が来るまで、朝陽が下手に動かないようその身体を抱き締めていた。
「骨にヒビが入ってますね。一ヶ月ほどで治るでしょう。腫れがひどいので薬を出しましょうね。それと痛み止めも。でも完全に痛みが無くなるわけじゃないので安静にしてください」
柔和な笑みの医者が診断を下す。飾りは重いと思ったが、まさかヒビが入っているとは思わなかった。
「あの、なんとか明日までに痛み引きませんか。大事な仕事があって」
「無理に動かしたら神経が傷つきますよ。駄目です」
「っ……」
「朝陽、お医者さんの言うことはちゃんと聞こう? 今無理したらもっと大変なことになる」
「…………わかった……」
朝陽はゆっくりと立ち上がって処置室を後にする。扉の先の待合室で日浦がそわそわしながら待っていた。
「新谷さん、どうでしたか!?」
「全治一ヶ月だ」
「そんな……痛さとかはないですか?」
「正直すごく痛いよ。これで痛み止め効いてるんだから怖いな」
朝陽が顔をしかめる。一郎に魔法が使えるのなら、すぐにでも痛みを取り払うのに。
「……明日のイベント、オレは現地参加できそうにない。日浦、頼んでいいか」
「えっ……!?」
「本来は村尾さんに頼むくらい大きな案件だってことはわかってる。けど今から情報共有して準備してもらうのは無理だ。お前ならプロジェクトに初めから参加してたからな」
「け、けど俺じゃ……!」
日浦はあわあわと狼狽えている。朝陽が綿密に計画を立てていた仕事だ。責任重大だろう。
朝陽は、ちらりと一郎の方を見た。『人に頼るって、これでいいのか』。瞳がそうたずねている。一郎はこくんと頷いた。
「……お前だから任せられると、思ったんだ。もう時間的に社用の使えないから、私用のスマホで連絡先交換するぞ」
社用のスマホは夜など勤務時間以外に長く使っていると時間外労働をしているとみなされて注意が行く。だが、資料だけでは明日の準備ができないだろう。朝陽はスマートフォンを取り出した。
「し、新谷さんっ……!」
日浦は目を潤ませている。自分で言うのもなんだが、あの『鬼』が認めたのだ。嬉しさは計り知れないだろう。彼は鼻をすすりながらスマートフォンを取り出した。
「なんか質問あったらいつでも連絡くれていい」
「はいっ!」
「よし、じゃあ明日の目途が立ったところで帰ろうか」
一郎はぱん、と手を叩く。もう夜も遅い。
「あ、新谷さん社宅でしたよね? よかったら俺送って──」
「いや、俺の家に泊まらせるから大丈夫」
「へ?」
「は!?」
「だってひとりだと不便だろ? 買い出しとか大変だろうし、俺の家泊まれば世話できるから。ほら行こう?」
朝陽を支えながら会計に向かう。彼ははくはくと口を動かして、けれど怪我の酷さからそうした方がいいと納得して、恥ずかしさでいっぱいの表情で一郎の手を借りた。
それから二週間、朝陽はテレワークをしつつ安静にしていた。そして復帰した金曜の夜、一郎は早上がりをして家で朝陽の帰りを待っていた。
がちゃりと鍵を開ける音がして、朝陽が家に入ってきた。
「おかえり、朝陽」
「……で……」
「ん?」
「なんで日浦の口塞がなかったんだよ! あいつ俺とお前がすごく仲いいって営業部の奴らに言いふらしてたぞ!」
朝陽の顔は恥ずかしさで真っ赤だった。身体もぷるぷると震えている。そういえば営業部に行った時『新谷さんと仲いいって本当ですか』と何回も聞かれたような。
──ああ、怒ってる朝陽もかわいいなあ。
「えっと……ごめんね?」
「どうするんだよ! 名前で呼び合ってるとかお泊りする仲だとか言われてるんだぞ! 日浦に『ツンデレってことですか?』とか聞かれたし!」
靴を脱いだ朝陽が、座っている一郎の傍に来てぽかぽかと胸を叩く。恥ずかしがり屋な彼のことだ。穴があったら入りたい気分だったろう。
「まあ嘘じゃないからなあ……これからはツンデレキャラでやっていこう?」
「オレはツンでもないしデレてもないっ! 責任取れっ!」
「うん。じゃあ会社でもたくさん甘やかすね?」
「そういうことじゃない! 駄目に決まってるだろ、馬鹿!」
朝陽のどうしようもない叫びが部屋に響く。一郎はこういうところもたまらないんだよなと思いながら、自分より少し背の低い恋人を抱き締めた。
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