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第21話 押しつけられた『幸せ』

押しつけられた『幸せ』  十二月二十七日。昨日仕事を納めた朝陽は、一郎の家で早めの忘年会をしていた。 「朝陽は実家に帰るの?」 「ああ。いつも忙しくて帰れてないし」  鍋の後始末を終えたふたりは、ベッドでごろごろとしていた。 「……お父さんに会って、大丈夫?」 「? 何が?」 「……いや、なんでもない。朝陽にとって、お父さんってどんな人?」 「この世で一番尊敬してる人……かな。真面目で、努力家で、仕事ができて……オレのお爺ちゃんが借金作って早くに死んじゃったんだけど、それ全部完済して奨学金で大学入って首席だったんだって。すごいよな。簡単にできることじゃないって思う」 「……そっか、朝陽はお父さんのこと、好き?」 「勿論。……けど……」  朝陽は父のことを、今まで成してきた功績でしか見たことがなかった。父がそれを誇って、同じような人間になれと言って、それ以外の──たとえば趣味をしたり、楽しく笑ったり、そういう一面を見たことがなかった。母も同じだ。父の言うことを聞いて家のことをやって、プライベートがあったようには見えなかった。 「父さんと母さんは、誰かに弱いところ、見せられてるのかな……」  両親が互いを支え合っていればいいと願ってしまう。朝陽が一郎にそうしてもらったように。子どもに弱いところを見せたくなかったのだろうか。それとも、弱いことはいけないことだと思って、生き続けているのだろうか。それはひどく息苦しくて──悲しくは、ないのだろうか。 「オレは、一郎にそういうの見せられてるけど、ふたりは……少なくともオレにはそういうところ、見せたことない」 「…………」 「ずっと育ててもらったのに、そんなことに今更気づくなんて……」 「朝陽」  一郎が朝陽の肩を抱く。柔らかな声が耳に届いて、安心感が胸を満たした。 「朝陽は優しいね。お父さんとお母さんに幸せでいてほしいってことでしょ?」 「うん……」 「俺は朝陽のお父さんのこと知らないけど……もし俺なら、大事な人にそんなこと言われたら嬉しくて泣いちゃうな」  ぽんぽん、と優しく頭を撫でられる。なら、朝陽が両親の心配をするのは間違いではないのだろうか。 「……じゃあ、今度、愚痴とかないか聞いてみる」 「……うん」  彼の腕の中で一息ついていると、スマートフォンからコール音がした。画面を見ると、『着信中 母』の文字。 「ごめん、母さんからだ。……もしもし?」 『ああ、朝陽? よかった繫がって』 「何かあった? 」 「ええ、実はお父さん、一昨日退院して……」 「退院!? 入院してたのか!?」  朝陽はがたりと立ち上がった。父は健康体で、悪いところなどどこにもなかったはずだ。  ──なんで、父さん、いつも健康には気を遣ってるのに。 『ええ、検査入院だったんだけど、一応伝えておこうかと思って……』 「け、検査入院……そっか、ありがとう」 検査入院と聞いて、急いていた心がしぼむ。大きな病気でないのだろうか。 『帰ってくるのは二十九日よね?』 「……いや、心配だから明日帰るよ。もう仕事納めもしたし、大丈夫」 『そう。わかったわ。貴方に大事な話もあるし、ちょうどいいわね』 「大事な話?」 『ええ。詳しくはお父さんから話すわ。じゃあね』  ぷつ、と電話が切れる。一応帰省の準備はし始めていたが、明日となると急がなければいけない。 「ごめん一郎、帰省早くなった。明日出るから、今日は早めに帰る」 「そっか。お父さん大丈夫? 入院って言ってたけど」 「検査入院したみたいだ。健康に気を遣ってる人だったのに……」 「じゃあ今日はお開きにしようか。次会えるのは年明けだね」 「……そう、だな。実家から帰ったら、すぐに会いにくる」 「ふふ、嬉しいなあ。ちゃんと姫初めしようね」 「ひめ……?」 「新年初のエッチのこと」 「な、ばっ……!」  嬉しそうに笑う一郎をぽかぽかと殴る。朝陽は心の片隅で、いつか両親に一郎のことを紹介したいと思った。朝陽を世界で一番大事にしてくれる、世界で一番大事な人だと。  自分をここまで育ててくれた人は自分の幸せを受け入れてくれるのだろうと、朝陽はそう思っていた。だが、朝陽は気づいていなかったのだ。父こそが朝陽に『努力』を強いてきた人間であり、その為に心を擦り減らしてきたことに。  新幹線を使って一時間、バスに乗って四十分。田舎と言うには人の多く、郊外というには少し寂れている町が朝陽の故郷だ。  家につくと、懐かしい匂いがした。朝陽はここで育ち、生きてきた。贅沢を許されていたわけではないが、父と母は愛情を注いで朝陽に英才教育をさせてくれた。 「ただいま」 「朝陽、お帰りなさい。お父さんが待ってるわ」 「うん、ありがとう」  リビングのドアを開けると、そこには無表情で新聞を読んでいる父がいた。入院をしたという話を聞いたせいか、前に会った時より幾分小さく見えた。もう還暦近いのだから当たり前だが、少し心配になる。 「父さん、帰りました」 「……ああ」 「入院したって聞いたけど、調子は」 「医者がうるさかったから検査をしただけだ。お前に心配される筋合いはない」 「っ……」  ぴしりと言葉を遮られる。最近は一郎の柔らかな物言いに慣れていたせいか、父と会話するのが久しぶりなせいか、それがひどく心に突き刺さった。 「会社の方はどうだ」 「営業成績は常に上位をキープしています。大手の契約も取ってきたので、成績優秀者にも選ばれました。デザイン部との共同発表制作では──」 「……営業なんて頭を下げるだけの仕事で『上位』か。つまり一位ではないんだな。もっと努力しなさい」 「……!」  過呼吸になってまで頑張った仕事をたった一言で否定されて、心臓がぎゅうと縮こまる。一郎との『練習』を経て気づいた。父は朝陽を褒めたことがない。仮に営業成績が一位でも、「努力を続けなさい」と言うだけだろう。  ──父さん、オレ、頑張ったんだ。頑張ったら、過呼吸になったんだよ。だから、休んでもいいって教わったんだ。一郎が、大事な人が教えてくれたんだ。  そう言いたかったのに、父の前で言うことはできなかった。 「……まあいい。下手に出世する前にこの話を持ってきて正解だったな」 「え……?」 「母さん、あれを」 「はい」  母は長方形の薄いアルバムのようなものを父に渡した。父はそれを開いて、リビングの机に置く。 「朝陽、お前の見合い相手だ」  写真の中で、着物を着た朝陽と同い年くらいの女性が微笑んでいる。誰がどう見ても見合い写真だった。 「み、見合い……?」 「お前もいい歳だ。父さんの伝手を使って一番条件のいい相手を見つけてきたんだ。先方は年が明けてから顔合わせをしたいと言っている。ちょうどよく帰ってきたから正月休みの間に済ませようと思ってな」  頭が真っ白になる。まるで見合いをすることが確定しているかのような物言いだ。 「待って父さん、オレ、そんな急に言われても」 「何だ、文句があるのか」  ぎろりと鋭い眼光に睨みつけられる。それだけでぞくりと背筋に寒気が走った。 「そ、じゃ、なくて……」 「朝陽、忙しいのはわかるけど、貴方の人生にとって大事なことなのよ。断ったらどれだけ大変か──」 「っ、違うんだ、オ、オレ、付き合ってる人が、いて」  声が震える。今にも泣きだしてしまいそうだ。けれど、どうしても伝えなければと思った。一郎への想いを隠して見合いに行くなんて、絶対にしたくなかった。 「すごく、大事な人だから……見合いは、できな……」 「お前が自分で選んだだけの相手と父さんが一年かけて探した相手、どちらが相応しいかわからないのか?」  冷たい声。父が怒っているのだとそれだけでわかった。 「今すぐその相手とは別れなさい。お前のためにならない。どうせお前の肩書や収入に惹かれただけの女だ。ちゃんとした相手と結婚して子どもを作って、それで初めて一人前の男になれるんだ。いつまで父さんに苦労をかけるつもりだ? どこまでも手間のかかる……」 「と……さ……」  手間のかかる子ども。そんな風に思われていたのか。朝陽は父に認めてほしくて必死に努力してきたのに、それらは父にとって意味のないことだったのか。  ──父さん、じゃあ、オレ、どうすればよかった……? オレがなにしても、駄目だったの……? あんなに頑張ったのも、全部、父さんには意味なかったの……? 「お前が人並みの幸せを手に入れて、ようやく父さんも幸せになれるんだ。いい加減親孝行をしなさい。それともその女は父さんが選んだ相手よりも家柄と器量がいいのか? この家の妻になるのにふさわしい相手か?」  だが、それよりも、一郎をけなされたのが悲しかった。彼は、朝陽を許して、抱き締めて、愛してくれた。朝陽を必要だと言ってくれた。肩書も収入なんて、見向きもしたことがない。 「違うよ、家柄とか器量とかじゃないんだ。あいつは優しくて、オレのこと好きでいてくれて、オレと一緒にいるのが幸せだって言ってくれるんだ。あいつがいいんだ、傍にいるだけで幸せで────」  パシンッ! と乾いた音がリビングに響いた。頬が熱い。熱さはすぐに痛みに変わり、自分が叩かれたのだと気づいた。 「いい加減にしろ! そんな阿呆な相手と付き合っているのか!? 東京に行って馬鹿になったのかお前は! 社会勉強のためだと認めてやっていたが、外に出したのがやはり間違いだった!」  許してくれない。父は、朝陽の今ある幸せを認めてくれない。あの陽だまりのような幸福を、泣きたくなるほどの甘やかな時を。  どうして、どうして、どうして、どうして。敬愛している父のことがわからなくなった。あんなにも愛おしいのに、幸せなのに、それを手放して『幸せ』になれだなんておかしい。父は何を幸せだと思っているのだろう。  自分より背の低い老人が、朝陽の全てを決定する。幼いころから当たり前だと思っていたことに、恐怖を覚えた。 「……頭を冷やしてきなさい。お前に受けない選択肢はない。お前の新しい就職先は工面してやる」  重たい一言。朝陽は俯いて、何も言い返すことができなかった。

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