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第23話 貴方と幸せになりたいのです
貴方と幸せになりたいのです
走る。一郎の待つ部屋までの道順を、自分史上最高速で走った。朝陽の手には先程コンビニでプリントしたばかりの書類たち。応えてくれるかわからない。けれど、新幹線の中で自分たちの幸せを必死に考えて、帰結したのがこれだった。
一郎の部屋の前に着く。コートのポケットから鍵を出そうとするが、焦ってうまく取り出せない。
「っ、ああ、もう……!」
鍵を差し入れて、回す方を一度間違える。一刻も早く一郎に会いたいのに。ドアを勢いよく開けて、いつもと変わらぬ部屋の雰囲気に涙が出そうになる。鍵を開ける音で気づいたのか、彼は朝陽の目の前に立っていた。
「おかえり、朝陽」
普段通りの、大好きなふにゃりとした笑顔があって。
「っ、っ……! いち、ろぉっ!」
おかえりも言わずに、がばりと彼に抱きついた。
「偉いね、頑張ったね。俺のところ帰ってきてくれて、ありがとう」
一郎は優しく朝陽を抱き締め、常と変わらず頭を撫でてくれる。
「っふ、ぅ、う……!」
涙が零れて止まらない。朝陽の幸せの形をした人。世界で一番幸せにしたくて、世界で一番幸せにして欲しい人。
──好きだ。こいつがいい。こいつと一緒じゃないと、オレは駄目になる。
「いち、いちろっ、いちろうっ」
「うん。どうしたの? ちゃんとここにいるよ」
「っ、こ、れ」
朝陽は思わず握りしめてしまっていた書類を一郎に差し出した。大事なものだからと道中大切に持っていたのに、つい力が入ってぐしゃぐしゃになっている。
「……朝陽、これ…………」
差し出したのは、一郎のマンションがある区が配布している同性パートナー関係証明書と、同性パートナー関係に係る確認書。このふたつと必要なものを役所に持っていけば、ふたりは婚姻をしているのと同等の関係になれる。
「お前が、オレのこと、救ってくれてっ……今のままでも、充分幸せだけどっ、これからも、ずっと一緒にいたくてっ……」
ああ、新幹線の中ではもう少しまともな文言を考えていたのに、彼の前では全く格好がつかない。けれど、それも全部含めて朝陽なのだ。そして、一郎はそんな朝陽を愛してくれているから。
「一郎と、家族に、なりたいって、思ったんだ……! お、お互いのこと幸せにできる、家族にっ……! ありきたりって、思うかもしれないけど……!」
病める時も健やかなる時も、傍にいて、愛し合って、たまには喧嘩をすることもあるかもしれない。
そんな日々を、何年も、何十年も一郎と重ねていきたかった。
「一郎のことは、オレが幸せにするからっ……! お願いします、オレのこと、幸せにしてくださいぃっ……!」
えぐえぐと泣きじゃくりながら一郎に希う。幸せにして欲しいから結婚してくれなんて、あまりにも勝手が過ぎる。けれど朝陽は、一郎を幸せにしたいのと同じくらい、一郎と共にいることで自分が幸せになりたかった。
「っ、ぅ、ひっ、く……!」
十秒、朝陽の嗚咽だけが部屋を満たす。そして、一郎は握りしめている朝陽の手を取って。
「──────はい。朝陽のプロポーズ、お受けします」
そう言って、幸せそうに微笑んだ。
「っ……! う、うわあああんっ!」
「わっ!」
抱きついて体重の全てを一郎に預ける。彼は朝陽を支えきれず、後ろに倒れ込んだ。ふたりして廊下になだれ込む。
「いちろぉ、いちろおっ……!」
「すっごい幸せ……ありがとう朝陽。俺、世界で一番の幸せ者だよ」
一郎が朝陽を優しく包み込んで、存在を確かめるように頭を撫で続ける。その仕草に、自分の生きる場所はここなのだと改めて心の底から思った。
「これからのこと、一緒に考えていこう? ……けどまずは、手洗ってご飯食べようか。豚肉レモンで炒めたやつ、出来てるよ。米も炊いた」
「っ、ぅ、ん……!」
一郎の手作りの食事、ふたりで囲む食卓。それはこれからきっと何十年も続く、幸せの象徴だ。
いつまでも止まらぬ涙を拭うことなく、朝陽は一郎に縋りついた。
「なるべく早く引越ししないとな」
食事が終わって一息ついてから、朝陽はそう呟いた。
「なんで? 結婚するからってそんなに急がないでも……」
「父さんか母さんが乗り込んでくるかもしれない。体裁大事な人たちだから、会社には直接来ないだろうけど……」
「そっか。じゃあどうせ結婚するし、俺の家に荷物置いちゃえば?」
「え?」
「二人暮らしするには手狭だからそのうち引っ越すけど……お父さんたちが来る可能性あるなら、一日でも早く今の家から出た方がいいだろ?」
「それは、そうだけど……」
「ならそうしよ、ね? 荷物運ぶの俺も手伝うから」
「うん……」
「でも、なんでお父さんたちが来るって思ったの?」
「電話がかかってくるんだ……」
朝陽は両親からの携帯番号で埋め尽くされた履歴を一郎に見せた。
「こ、れは……」
「多分、戻って来いって言われるんだと思う。……けど、オレ……」
朝陽が言葉を紡いでいる最中に、電話がバイブ音を立てる。画面には『着信中 父さん』の文字。
「っ…………」
何度目にもなる問答を繰り返す。かつて一郎が朝陽にそうしてくれたように、対話するべきなのかもしれない。電話に出ないことはただの逃避で、親不孝で、最低な行いなのかもしれない。もしかしたら、電話に出て一生懸命言葉を尽くせば、父も、一郎と共に生きることを許してくれるかもしれない────。
躊躇っていると一郎の手が横から伸びてきて電話を切ってしまった。
「あっ…………」
「朝陽、いいんだよ。世の中には、どうしたって分かり合えない人だっているんだ」
「……でも、父さんは、オレを幸せにしたいって思ってくれてたから、もしかしたら……」
「うん。もしかしたら、本当にお父さんと分かり合えるかもしれない。でもそれにはたくさんの時間と気力と奇跡が必要だよ。それを使っちゃう時間があるなら……俺と幸せな時間を過ごす方がいいなって、ワガママな俺は思っちゃうんだけど」
困ったように一郎が微笑む。後ろ髪が引かれないわけではない。けれど、朝陽は父より一郎を選んだのだ。その一郎が、朝陽との時間を望んでいるのなら。
また、バイブ音が鳴る。今度は母の携帯番号だった。それを目をつぶって切って、着信拒否設定した。きっとまたかかってくるであろう、父のものも。
「…………念の為、スマホ、変える」
あの両親が番号を変えて連絡してくる可能性は低いが、公衆電話などからかけてくる可能性だってなくはない。朝陽の幸せのために、もう彼らとは縁を切るしかないのだ。
「うん、じゃあ明後日ケータイショップ行こう?」
「? なんで明後日なんだ? 早くしないと年末だから営業終わるぞ、明日のが……」
「多分、明日は動けないと思うよ。……プロポーズされて初めての夜だから、いつも以上に頑張りたくて」
「…………へ、あ……!?」
優しく微笑まれて、一郎の言葉の意味に気づく。今晩、眠ることはできるのだろうか?
「まあ、それは夜のお楽しみで……朝陽さ、年末年始うちの実家で過ごさない?」
一郎が朝陽の頭を撫でながら問いかける。そうだ、彼も年末は実家に帰る予定だったのだ。
「いや、家族水入らずのところに邪魔する訳には……!」
「俺にとっては朝陽も家族だよ。いいタイミングだから挨拶済ませちゃおう?」
「でも、急に行ったら迷惑に……」
「じゃあ今から連絡して確認取るよ」
確かに、それなら相手の反応が見れる。だが、急に男の恋人ができたと報告したら驚くだろう。
一郎はスマートフォンを操作して、耳に当てる。
「あ、もしもし母さん? うん、あのね、年末実家に連れて帰りたい人がいるんだ。……うん、うん。さっき俺にプロポーズしてくれた人」
『はあ!?』
女性の大声が部屋に響く。それはそうだろう。
『プロポーズって、いつからお付き合いしてたの!?』
「九月から。会社の同僚なんだ。プロポーズ受けたから、母さんたちにも会って欲しくてさ。隣にいるから代わるね。はい、朝陽」
「えっ、あっちょっ」
スマートフォンを渡される。反射的に耳に当てて、もしもしと喋ってしまった。
「は、初めまして。一郎さんとお付き合いしています、新谷朝陽と申します」
「…………んん? えっ、と、男の、人……?」
一郎の母が疑問符を浮かべたのがわかった。電話口から男性の声がしたのだからそうなるだろう。
「もしもし、えっと……新谷さん? は、男性ですか……?」
「はい。男です……すみません、驚かせてしまって」
「い、いえ、そういう人がいるっていうのは当たり前ですから。けどごめんなさいね、急だったからびっくりして……年末にうちに来てくださるの?」
「あ、その……もし、お邪魔でなければ、なんですが……」
「うちは全然構わないんですが……失礼ですけれど、ご自身の実家はいいの?」
「それ、は……」
思わず口ごもる。両親を捨てたなんて簡単に口にできるはずも無かった。
「朝陽は絶縁状態なんだ。そこらへんも帰ったら詳しく話すから。ね、母さんお願い。いつもおせち食べきれないんだし、人数ひとり増えた方が助からない?」
横から一郎が口を出す。いつもよりくだけた口調な気がするのは、きっと気のせいではない。
『……こら一郎、そんなおせち食べさせる要員みたいに呼ぶの止めなさい。アンタの婚約者なんでしょう?』
「へへ、はあい」
『新谷さん、食べ物、好きなものはあります?』
「あ、えっと……唐揚げと、一郎さんの手料理が好きです……あとは、甘いものですね。でもまだ自分の好きな物が全部わかってないので、何でも食べてみたいです」
『あら惚気られた。唐揚げと甘いものね。私、お父さんにパウンドケーキ作るの好きなんだけれど、いつも食べきれないんです。よければ食べてくださらない?』
「は、はい、食べるの好きなので、オレでよれけばいくらでも」
『じゃあ山ほど作っておくから楽しみにしててください。一郎の父は今出かけているので、私から話しておきます。一郎のこと、どうぞよろしくお願いしますね』
「は、はいっ! こちらこそよろしくお願いします!」
──優しいの、一郎そっくりだ。
声だけからでも、そんな印象を受ける人だった。
一郎の母といくつか言葉を交わして、通話を終わらせる。
「っはあ、緊張した……!」
「ふふ、お疲れ様」
「正直、お前にプロポーズする時より緊張した……」
「えー? ちょっとぉ」
一郎の身体に全ての体重をかける。入社して初めてのプレゼンくらいには緊張したのだ
「じゃあ朝陽の荷物置けるように部屋整理しないとね。大掃除兼模様替えだ」
「ん……オレもやる」
「ふふ、じゃあ初の共同作業、しよっか」
一郎が手を差し伸べる。きっと、これは第一歩だ。
スマートフォンを変えて、住む場所を変えて、生き方を変えて、共に生きる家族を変えて。自分の幸せのために、当然だったものを変えていく。変わることが怖くないわけではない。けれど、隣に一郎がいるのなら、朝陽は変わり続けることができる気がした。
「一郎」
「ん?」
「ありがとう。……全部、全部」
「……うん」
ゆっくりと彼の手を取る。それは年が変わる数日前の、晴れた夕方のことだった。
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