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第二章 第3話 ふたりを結ぶもの(後編)

ふたりを結ぶもの(後編)  それから一ヶ月と少ししてから、ふたりの指輪は完成した。  一郎と朝陽の要望を詰め込んだそれが、今朝陽の指に収まっている。一郎の髪の色に近いからと、素材はゴールドを選んだ。素材も宝石も一郎イメージのものなんて、少し溺愛が過ぎる気がするが一生に一度の結婚指輪なのだ。  一郎は指輪を作る時に言っていた通り、平日のうちは指に嵌めることをせずに、チェーンに通して服の下に隠すことにしたらしい。デザインも一見お揃いではないそれを更に隠せば、誰もふたりの関係には気づかないだろう。どうして隠さなくてはいけないのかという気持ちも正直あるが、まだ偏見の多い世の中だ。朝陽と一郎が社内で堂々と関係をあらわにするにはまだ早い気がした。  指輪を受け取った、次の月曜日。 「日浦、この案件なんだが──」 「あ、はい!…………あ、れ?」  日浦がぴし、と石化したように固まった。彼の視線は資料を持っている朝陽の左手に注がれている。 「し、し……! 新谷さんが、結婚指輪してるーーーーっ!」  日浦は部署中に届くのではないかと思うほどの声を上げた。 「っ、うるさい! 別にいいだろ、指輪くらいしたって!」 「いやいやいや! ただの指輪じゃないでしょう!? 結婚指輪じゃないですか! いつ結婚したんですか!? なんでサイレントで着けてるんですか!? お相手は!?」 「今は仕事中だ! 答えるわけないだろ!」 「ざんねぇ~ん、もう昼休憩の時間だよ~」  後ろからぬるりと村尾が顔を出す。  ──しまった、厄介なのに捕まった! 「ご想像の通り結婚しただけです、じゃあ、オレは飯食いに行くので!」  結婚の事実はバレてもいいが、根掘り葉掘り聞かれるのはごめんだ。そう思って逃げようとしたが、がっしりとふたりに肩を捕まれてしまった。 「逃がしませんよ新谷さんっ!」 「結婚祝いに美知お姉さんが社食を奢ってあげよう。だから詳しく話したまえ!」  村尾が朝陽の腕を引っ張って社食へと引きずっていく。朝陽の所属は本社なので、今時珍しい社員食堂があるのだ。 「まっ、待ってください、ちょっと!」  朝陽はどうしてこうなった、と思いながら、上司と部下の拘束から逃れることができなかった。 「……じゃあ、結婚のお相手は例の癒し系彼女さんですか?」 「……ああ」  正確に言うと彼女ではないのだが──それを言うと面倒なのであえて訂正しないことにした。 「すごいですね、新谷さんその彼女さんが初めてお付き合いした人って言ってたじゃないですか! 純愛だな~。プロポーズはどっちからしたんですか?」 「……なんでそこまで言わないといけないんだよ」 「いいじゃないですか、後学のために!」  日浦の目はきらきらと輝いている。朝陽をからかおうなんて気が一切ないのが伝わってきた。 「……オレから、した」  照れ隠しに社食で一番高いミックスフライ定食のエビフライにかぶりつく。村尾は朝陽だけでなく、日浦の昼食も奢った。気前のいい上司だ。 「うわあー! すげードキドキする! なんて言ったんですか!?」 「っ、絶対に言わない!」 「おっと新谷くん、ミックスフライ定食分は答えてもらわないとなあ~?」  村尾が鯖の塩焼き定食をひと口飲み込んでからにやりと笑う。  ──それ、ずるくないか。勝手に奢っておいて……。 「あ、あんまりあいつに会社で話すなって言われてるんです」 「大丈夫大丈夫、他の人に言ったりしないからさあ。ほら言ってごらん?」 「う…………」  どんなに抵抗しても逃げられないらしい。朝陽は仕方ないと思って、世界で一番情けないプロポーズの言葉を口にした。 「『お前のことはオレが幸せにするから、オレのこと幸せにしてください』……って、言いました」  今考えても恥ずかしい言葉だ。ましてそれを他人に言うなんて。  朝陽の言葉を聞いて、日浦は数秒固まった後、ぽんっ! と顔を赤らめた。 「す、すごっ……! めちゃくちゃ情熱的なプロポーズじゃないですか! 新谷さんのイメージと全然違います!」 「……柄じゃないのはわかってるよ、クソ…………」  だが、一郎の前ではイメージにそぐわない部分をさらけ出してしまうのだ。どんなにみっともなくても格好がつかなくても、彼は全部を許してくれて、甘やかしてくれるから。 「お相手さんは、なんて?」 「『朝陽のプロポーズ、お受けします』って言ってくれました。……今は同棲してて、近々広いところに引っ越す予定です」 「いいねえいいねえ。新婚さんだ。幸せそうでよかったよ」  村尾の生ぬるい視線が恥ずかしくて、朝陽はそれ以上なにも言わずに箸を進めた。奢られた分はこれで支払ったはずだ。    社員食堂を出たところで、村尾が朝陽に話があると日浦を先に戻らせた。そして、個室になっている面談室へと通される。 「あの村尾さん、話って……?」 「ああ、結婚祝い金の話。うちの会社、従業員が結婚したらお祝い金出るんだよ。知ってた?」 「あ……そうなんですか」 「でも新谷くんと津島くんの場合、男女間の入籍とは違うから、お祝い金が出るかどうか上に聞いてみないとわかんないんだ、ごめんね」 「はい……。……えっ!?」  ──い、今、津島くんって言った!? なんで相手が一郎だってわかったんだ!? 「ふたりって、パートナーシップ制度みたいなものは使った?」 「ま、待ってください! なんで相手がいちろ……津島だって気づいたんですか!? 誰にもバレないようにしてたのに!」 「んー、雰囲気? なんかふたりが話してるの見てたら、ああ好きあってるんだなあってわかっちゃったんだよね。大丈夫、他の人にはバレてないよ。私も言いふらす気なんてないから」 「…………」  雰囲気。そんなものでバレてしまうのか。個室で話をしてくれているあたり、隠したい事情を汲み取ってくれているのはわかった。 「で、ごめん話戻すんだけど、パートナーシップ制度って使った? それとも事実婚?」 「津島の住んでる区のパートナーシップ制度使いました。ただ、法的拘束力は持たないので……」 「ううん、書類出してくれてるならだいぶ話が進みやすいと思う。とりあえず、総務の信用できる子に相談してみていい? 最初は名前出さないで、お祝い金がもらえるってわかったら手続きのために教える感じで」 「はい、大丈夫です」 「ありがとう。じゃあわかったらまた面談するね」 「……ありがとう、ございます」  村尾の優しさが心に沁みる。頭を下げると、村尾はいつもの調子に戻って当然のことだよ~と笑った。 「ね、よかったら指輪見せてくれないかな~?」 「……はい」  左手を彼女に差し出す。村尾は花と鳶色の宝石が刻まれた金色のそれを慈愛のこもった眼差しで見つめて、ふ、と微笑んだ。 「津島くんのこと大好きって伝わってくるなあ~。こんなにわかりやすくしちゃって」 「う……それは、その……」 「幸せになんなよ、新谷くん」  ぽん、と村尾が肩を叩く。頼りがいのある姉がいたらこんな感じなのだろうか。彼女なら信頼できる、そう思えた。 「……はい。津島が幸せにしてくれるので」 「おっ、惚気られた。津島くんが拗ねても知らんぞぉ?」 「事実なので、惚気じゃないです」  朝陽は指輪に触れながら、まっすぐな瞳でそう答えた。      

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