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第32話 番外編 ベッドと寝起き
ベッドと寝起き
それは、ふたりが同棲を始めてから数日後のこと。そろそろ正月休みが終わるタイミングだった。
「ベッドは別々にする」
「えっ……」
朝陽は通販で注文して届いたばかりの敷布団を取り出してそう告げた。一郎はこの世の終わりのような顔をしている。
「オレはこの敷布団使うから、一郎は今まで通りベッド使ってくれ」
「な、なんで? 一緒に寝ようよ」
「……無理だ。オレはひとりで寝たい」
「でもっ……俺の部屋狭いから敷くの大変だし、ふたりでくっついて寝た方があったかくて気持ちいいよ?」
一郎にしてはやけに食い下がる。だがここは譲れない。
「とにかくオレはひとりで寝る。元々ひとり用のベッドなんだ。一郎がひとりで寝てくれ」
床に布団を敷きながら、朝陽はそう告げる。もう決めたことだ。一郎と一緒に寝たら生活が大変なことになりかねないのだから仕方ない。
「…………俺と一緒に寝るの、嫌?」
彼が濡れた犬のようにしぼんでいる。違う。一緒に眠るのが嫌なわけがない。
「……そうじゃない……オレの個人的な事情で……」
「個人的? 寝相が気になるとか?」
「違う。…………その……」
朝陽は一郎に顔を見られたくなくて、ぷいとそっぽを向いた
「お前と一緒に寝ると、気持ちよくて幸せだから……朝、仕事行きたくなくなるだろ……」
「…………」
一郎と共にベッドの中にいると、陽だまりに包まれているような安心感とまどろみで満たされる。
温かくて、優しくて、朝陽が抱き締めると一郎は眠りながらでも抱き締め返してくれて。
それを振り切って仕事に行くために起き上がれるほど、朝陽は強くない。
「だから駄目なんだ。お前と寝るのが嫌なわけじゃない」
「……あさひ」
柔らかな声。一郎がゆっくりと朝陽を抱き締めて、敷かれたばかりの布団に押し倒す。
「かわいい……朝陽がかわいすぎて、俺どうにかなっちゃいそう」
ちゅ、ちゅ、と顔に小さなキスがいくつも降ってくる。ベッドを共にしない理由は、目の前の男の心を射止めてしまったらしい。
「っ、ちょ、くすぐった……」
「確かに会社行けないのは困るね。じゃあ折衷案で、次の日が休みなら一緒に寝るってことにしない? 一緒に住んでるのにいつも別々はさみしいからさ」
「…………それなら、大丈夫……」
朝陽がこくんと頷くと、一郎はふにゃりと笑って朝陽を優しく包み込む。
「でも、寝てる朝陽見てたら思わず布団に潜り込んじゃうかも」
「そんなことしたら、オレはホテル借りて別で寝るぞ」
「……はあい、我慢します」
喉を鳴らす猫のように一郎が身体を寄せてくる。愛おしい温もりに温められながら、朝陽は彼の背中をぽんぽんと撫でてやった。
それから、数日後。正月休みが終わり初めての出勤日。
「朝陽、朝陽」
「ん……」
目を開けると、そこにはスウェット姿の一郎がいた。頭の近くに置いてある時計はちょうど起きる時間を指し示している。
「ごめん、先に起きて目覚まし時計止めちゃった。起きる時間だよ。朝ごはん作るから──」
「いちろう……」
むくりと布団から起き上がって、一郎の肩に手を置く。そして、彼の唇にちゅ、と口づけをした。
「……おはよう…………」
「……あ、あさひ? 今のは……」
「……? お前いつも寝起きにキスしてくるだろ……? 恋人同士は起きたら必ずするものじゃないのか……?」
あれが恋人としての一般的な挨拶だと思っていたのだが──目の前の男の頬が赤い。どうやらそうでなかったのだと理解した。瞬間、眠気が吹き飛んで顔が羞恥に染まる。
だが、言い訳はできなかった。朝陽が何か言う前に、一郎が朝陽に抱きついて布団に押し倒す。
「わっ、一郎、離せっ! 起きないと遅刻するっ!」
「やだ。会社行かないで朝陽とイチャイチャしたい! 今日テレワークにしよっ、ね?」
「外回りあるんだよ! 絶対無理だ!」
一郎は朝陽を強く強く抱き締めて離さない。優しい男のわがままな一面に振り回されながら、朝陽は必死に両手足をばたつかせた。
結局、朝陽も一郎も遅刻ギリギリの時間に出社し、日浦からは『明日雪でも降るんですか!?』と言われてしまったという。
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