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第二章 第十一話 活字と微睡み
活字と微睡み
その日は二月にしては暖かい陽気だった。朝陽はリビングのソファで本を読んでいた。引っ越しをしてから自分の持ち物をたくさん持つようになった気がするが、本もその内のひとつだ。今読んでいるのはベストセラーの小説。大人たちに搾取され続けた過去を持つ少女が救われていく温かな物語である。
「朝陽、隣座っていい?」
「駄目なわけないだろ」
ソファが少しだけ沈んで、隣に温かい人肌が座る。一郎はテーブルにマグカップをふたつ置いた。
「何読んでるの?」
「小説。面白いぞ」
「そっかあ。最近趣味増えたね」
そういえばそうだ。音楽に小説。無趣味だったころに比べれば休日や平日の合間に生活を彩るものが増えた。
「俺活字見ると眠くなっちゃうから、すごいなって思うよ」
「……文章読むのは、嫌いじゃなかったから」
学生の頃も現国の授業は好きだった。課題図書は親に認められた上で小説を読める唯一の機会だった。
「読み終わったらさ、俺が読めない分、朝陽がどんな話か教えてくれない?」
「……別に、いいけど」
一郎がいつものように頭を撫でる。優しいその手つきが嬉しくて、朝陽は頬を朱に染めた。
それから、数分。
「……ん……」
うつらうつらと舟を漕ぐ。暖かな陽気と一郎の体温が睡魔を連れてきて、瞼が重たくなってきた。
先程からページが全く進んでいない。主人公の独白を読んで眠くなって、はっと意識を取り戻して続きから読もうとして、また眠くなっての繰り返し。
「朝陽、眠い?」
「ん……うん……」
半分意識を飛ばした状態で答えると、一郎の手が朝陽の肩に触れて身体を引き寄せた。
「お昼寝しない? 今日はあったかいから、気持ちいいよ」
穏やかな声でそう言われて、瞼が下に落ちていく。
「ふふ、眠そうな朝陽、かわいいね。いい子いい子……」
一郎が愛おしげに朝陽を撫でる。朝陽は完全に一郎の肩に身体を預けて、夢の中へと落ちていった。
「……ん、ぅ」
ゆっくりと意識が浮上する。最後に時計を見てから一時間が経過していた。自分が本を持ったまま寝落ちてしまったことを思い出して、かぶりを振る。
ふと、朝陽は自分の肩を抱き締めている手に気づいた。横を見ると朝陽を抱き締めたまま、同じく午睡にふけっている男がいた。
「……お前も寝るのかよ」
思わずふっと笑ってしまう。彼はすうすうと気持ちよさそうに寝息を立てていて、起きる気配がない。ふわふわの金の髪に触れたくなったが、もしかしたら起きてしまうかもしれない。こんなにも気持ちよさそうに眠っているのにそれは可哀想だ。
まるで彫刻のような整った顔立ち。それをこんな間近で見れるのは朝陽だけという優越感が、ひどく胸を満たした。
「お前の方が、可愛いって思うけどな」
「……あさひ…………」
朝陽の名を呼ぶ声。夢の中でも朝陽のことを考えてくれているらしい。
「……どんな夢、見てるんだろうな」
「さすがにそんなに食べたら、お腹壊すよ……」
「……本当にどんな夢見てるんだよ……」
朝陽はそんなに食べる方ではなかった。だが、確かに最近夕飯は白米をおかわりしてしまう。しかしそれは一郎の作るものが美味しいからであって、朝陽の食い意地が張っているわけではない、と思う。
「……まあ、いいか」
きっと一郎が起きるまでもう少し時間がかかる。朝陽はそれまでに小説を読み切って、起きた一郎に物語の内容を教えてやろうと、温かな一郎の体温に身を預けたまま活字の世界に意識を集中させた。
時間は午後四時。ふたりだけの穏やかな日々が、そこにはあった。
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